「報告は、以上です」 「了解した」 報告書に火影の確認印を押し付けると、ナルトは短い言葉を返した。暗部に依頼をする任務は、託す側にも託される側にも、精神的負荷がかかる性質のものが多い。表情や声には一切出さないが、火影の羽織を身にまとっている屈強な里長は、ひっそりと心を痛めていた。 「保護施設に送りますか?」 そう尋ねる猫面の隣には、その膝に頭が届くか届かないかくらいの小さな子供が立っていた。今回暗部に託した任務は、近隣の村から略奪行為を繰り返して国の中央を目指すクーデター勢力を、一人残らず始末すること。その途中で犠牲になったのは、子供の住む村だった。先回りを目指すも一歩及ばず、村は散々に荒らされ、生存者はこの子ひとり。 「いいよ、このまま屋敷に連れて帰るから」 「いえ、素性のわからない者を屋敷に入れるわけにはいきません」 猫面が、断固として反対する。 「大丈夫だって。うちのせがれ、今日は泊まりで演習だから。嫁さんと二人きり。後ろには、お前らも控えてるだろ?」 この言葉には、説得力があった。猫面は、反論を控える。なにせ屋敷の中には次世代三忍のうち、二人が揃っているのだ。これ以上の保険はない。 たった一人の生存者という巡りあわせは、作られた奇跡の場合がある。一人残しておいて、そいつの身体にありったけの起爆札を貼りつけたり、未知のウィルスをうえつけたり。死にゆく者たちの「犬死なんてしてたまるか」という執念は、今を生きる者にとって、大きな脅威となりえる。 「おう、坊主」 ナルトは、机に上体をぐいっと預けて、子供と視線を合わせようとする。 「坊主じゃねえ。フウタってんだ」 「こ、こら!」 子供の不遜な口ぶりに猫面が慌てて取り成そうとするが、ナルトは快活に笑い飛ばした。 「よーし、立派な名前だ。フウタ、今日はオレん家に泊まるぞ。ちなみに嫁さんは怒らせるとスゲーこえーから、大人しくしとけってばよ」 火影の一声には、逆らえない。猫面は腰に手を当てて、深く息を吐いた。まったく、変わらないねえ、お前は。そう呟く声は、なぜか少し嬉しそうだった。 猫面が去った後、ナルトはすぐに執務室の電気を落とし、フウタの手を引いて屋敷に向かった。もみじのように小さな手は、ナルトの手を握り返さない。心の壁は、頑丈に築かれたままだ。きっとひどいものを散々見せ付けられたのだろう、無理もない。悪い夢の只中にいるんじゃないかと思ったりもするはずだ。ナルトは、黙ってフウタの手を優しく包む。 「おーい、ただいまー。帰ったぞー」 「おかえりなさい。あら、こんばんは」 屋敷の奥から出てきたサクラを見て、フウタは意外そうに目を丸くした。「怒らせるとスゲーこえー」の一言を、実は気にしていたのだろう。優しげな風貌のサクラを呆然と見上げる。フウタは上から注がれる視線に気づくと、ナルトを振り仰いだ。ナルトは、いたずらっ子のようにニシシと笑いかけている。 「こいつ、フウタっていうんだ。明日も一緒に朝メシ食う予定。なあ、フウタ」 「……そんなこと、聞いてねえ」 サクラは小さな身体の前にしゃがみこんで、伏目がちなフウタの頬をそっと挟む。視線をまっすぐ合わせると、子供は警戒心むき出しの眼でサクラを睨みつけた。負けん気の強い子だ。サクラはフウタの柔らかい頬を両手でつまむと、みょーんと伸ばす。 「にゃ、にゃんだよ」 「ふふ、よろしくね、フウタくん」 にっこりと笑いかけるサクラに、フウタは視線を泳がせた後、小さな小さな声で「よろしくお願いします」と言った。 「先にお風呂入っておいで」 サクラは、そっと背を押して、フウタを部屋の中に招き入れる。幸い息子と年が近いので、着替えならすぐに用意できた。細かいことに頓着しない子なので、誰かに貸したところで何とも思わないだろう。フウタをナルトに預けると、風呂上りに必要なものを取りに、奥へと戻った。 「一緒に入ってやろうか」 「い、いいよ!入ってくんな!」 風呂場での応酬が、タンスの前まで聞こえてきた。ナルトは、ああいう気の強い子とじゃれあうのが好きで、最初は邪険に扱われたとしても、いつの間にか仲良くなっている。戦災孤児を集めた保護施設で、ナルトは大の人気者だ。戦災孤児に慕われる火影は、代々続く歴史の中でも初めてかもしれない。 風呂場に行く途中、着替えを抱えて冷蔵庫の中を確かめる。残り物はあるし、簡単な食事なら作れそうだ。きっと、おなかをすかせているだろう。何が好物か、きちんと聞いておかないと。小さな子供が好きなのは、ハンバーグとか、オムライスとか。何を作ろうかしらと思いながら、サクラは風呂場を目指す。 「あら、早いわね」 脱衣所に入ると、フウタは身体をタオルでぐるぐる巻きにされていた。そしてナルトは、フウタの頭にタオルを被せて、わしわしと混ぜ返している。何やら問答を繰り返したのだろう、フウタは唇を尖らせて、されるがままだ。 「着替え、用意したわよ」 「あんがと。オレもこれから入っちまうから、着替え取ってきてくんね?」 「はいはい、ちょっと待っててね」 風呂場を出ると、またタンスのある部屋に戻って、ナルトの寝巻きを取り出した。最近、甚平に凝っていて、触り心地のいい生地を見つけると、すぐに買ってしまう。毎日着るものなのでいくらあってもいいのだが、いくらなんでも増えすぎだ。そろそろ自重してもらうことにしよう。 寝巻きを持って風呂場に行けば、フウタは息子の服に袖を通して、ぼんやりと突っ立っていた。シャワー音が聞こえてくるので、ここで待ってろよ、と言い含められたのだろう。せめて、リビングまで連れて行ってやればいいのに、とサクラは思う。いくら屈強な火影とはいえ、その辺の雑さは、まるで変わっていない。 「こっち、おいで」 サクラは手招きをして、リビングまでフウタを連れて行った。そのままソファに座らせて、ブランケットをフウタの膝に乗せる。 「おなか、すいてない?」 無言で首を振るフウタだが、冷蔵庫から牛乳を取り出して、ホットミルクを作ることにした。鍋に火をかけて、砂糖を少し入れると、小さな気泡が出てきたら火を止める。沸騰させてしまうと、やけどが怖い。あとは小皿にビスケットを並べて、ダイニングテーブルで手持ち無沙汰にしているフウタの前に置いた。しかし、フウタは手を出すどころか、小皿もカップも見ようともしない。しきりに右目をごしごしと擦っている。 「かゆいの?」 フウタは無言で頷く。炎症でも起こしているのかもしれない。サクラはフウタが座る椅子の前にしゃがみこむと、目を擦っている手をそっと外して、代わりに自分の手を翳した。フウタの肩が、びくりと跳ね上がる。 「痛いことしないから、大丈夫」 安心させるように、サクラは柔らかに笑う。医療忍術を施すと、腫れぼったい赤みが、すっかり消えてなくなった。 「……あれ、痒くない」 右目を押さえて呆然とするフウタを見て、サクラはニッコリと笑った。今度は、ちょっと自慢げな笑み。 「すごいでしょ」 「あ、あの、」 ためらいがちに声を発すると、フウタはちらりとテーブルの上に視線を飛ばして、飲み物に興味を示した。 「……これ、飲んでいい?」 「ええ、どうぞ」 フウタは両手でマグカップを包むと、ふうふうと息を吹きかけて、ごくごく飲む。どうやら、信用に足りる人物だと思ってもらえたらしい。 「ビスケットも食べていいのよ」 やはりおなかがすいていたのだろう。カップに口をつけたまま、二度頷いてみせた。もう、ホットミルクに夢中だ。風呂上りということもあり、屋敷に来た時よりもずいぶんと血色がいい。 「あのおじさん、すごく偉いんでしょ」 ようやくカップから口を離したフウタは、サクラに問いかける。サクラは目を丸くした後、プッと吹きだした。子供にかかれば、木ノ葉の英雄も形無しだ。ナルトがおじさんということは、私はおばさんかしらね。サクラは胸中で諦めたように息を吐いた。 「ええ、そうよ。この里で一番偉い人、かな?」 「なんでおれのこと、構うんだろ」 「困ってる人を、放っておけないのよ」 「おれ、別に困ってない」 「あら、そうだった?」 「おれは、ただ、村に帰りたいだけだ」 「そっか」 ナルトが連れ帰ったということは、村に何か重大な異変が起きたか、あるいは跡形もなく焼き払われたか。世界は依然として、弱者に厳しい。 「……おれ、ちゃんと帰れるの?」 「ごめんなさい。私には、ちょっとわからないわ」 きちんとドライヤーを使ったらしく、フウタの髪は乾いていて、頭を撫でると髪の毛がさらさらと指からこぼれおちる。 「ただ、あのおじさんはね、君がどうしたいかをきちんと聞いてくれる。そのために、一番偉い人になったのよ」 「すごく偉いのに、偉そうじゃないから、びっくりした……」 「そうだね、びっくりするよね。でも、そういう良いおじさんもいるのよ」 そこでフウタのおなかが、ぐうと鳴る。この分だと、ビスケットだけでは足りないはずだ。 「何か食べたいものはある?オムライスとか、食べやすいかな?」 「卵の中に色のついた米が入ってるやつ?」 「そう。食べたことある?」 フウタは、パッと顔を輝かせると、大きく頷いた。 「おれ、それが食いたい」 「ん、わかった。それじゃ急いで作るから、ビスケット食べて待っててね。」 もう一度フウタの髪を混ぜ返して、サクラは台所に向かった。オムライスなら、冷蔵庫に入っている食材でなんとかなる。細かく刻んだ野菜を、たくさんいれてみよう。あれは野菜嫌いのナルトと息子に評判で、野菜の存在に気づくことなく、ぺろりと平らげてしまう。 「ありがとう!」 突然聞こえた大きな声に、サクラは後ろを振り向く。フウタは少し赤らんだ顔をサクラに向けて、ぺこんと小さな頭を下げた。身体ぜんぶで、お礼を表現しているのだ。 「どういたしまして」 孤児の受け入れを木ノ葉主導で行うとナルトが言い出した時は、何のメリットがあるんだと里の上層部から猛反発をくらった。そこで一役買ったのが、サクラとシカマルだった。話の落とし所を設定した上で、言葉巧みに誘導し、舌先三寸でだまくらかした。好き嫌いは別として、二人とも筋書きを作るのは得意な方で、里の頭脳とも言える二人が力を合わせれば、ゴリ押しも立派な戦術になるのだと証明された一件だった。 さきほどフウタの口にした「ありがとう」は、ひときわ心に沁みた。あの人が選んだ道は、やっぱり間違ってなかったのだ。たまねぎをみじん切りしていると、涙が出てくる。包丁、切れなくなっちゃったかな。そう自分に嘯いて、サクラは野菜を刻み、オムライスを作ることに専念した。 2014/11/1
|