冬の宿



冬の宿




 任務先を目指して鉄の国を進んでいた二人は、ひどい吹雪に足止めを食らっていた。視界ゼロの中、猛烈な寒気に身体の動きは鈍り、旅人を白い牢に閉じ込める。忍でなければ、とっくに野垂れ死んでいたかもしれない。
 方位磁石を頼りに街道と思しき雪原を進んでいると、運よく宿場が見つかった。行程がかなり後ろにずれ込んでしまうが、ここは一旦宿を探して休むべきだ。そう主張したのはサクラで、ナルトは時間が惜しいから進めるうちに進んでおこうと反論した。しかし、サクラに無理やり説き伏せられる形で宿についた時には、その判断が正しかったのだとナルトは思い知る。宿の玄関で雪を払っていると、いよいよ周囲は猛吹雪となり、方位磁石が手元にあっても針路の確認ができない状況に変わった。
 急な宿泊ということもあり、宿には部屋数の余裕がなかった。食事は用意できるが、相部屋になるという。宿主の一言に内心浮かれるナルトだったが、サクラはきっと嫌がるはず。どうやって言いくるめようかとぐるぐる悩んでいたが、宿帳に名前を記入する段になっても、サクラは抗うどころか何も喋ろうとしなかった。遅い昼餉を済ませて、夕方になる頃には忍具の手入れも終わる。ナルトは整えた忍具をポーチに仕舞うと、部屋の中央から窓辺に移り、格子に片腕を乗せて腰を落とした。先ほどまで視界は一面真っ白だったが、今は向かいの宿の輪郭がうっすらと見える。雪の降り方はだいぶ落ち着いたようだ。
「ほんと、よく降るよな」
 サクラに向けて喋りかけたのだが、結果として独り言になった。ナルトは窓の外から目を離して、部屋の隅を見る。サクラは一言も発することなく、襖脇の壁に背を寄せて、じっとしていた。昼餉が終わってからは、ずっと膝を抱えて縮こまっている。あまりに居住まいが悪そうな様子に、ナルトは軽く吹き出してしまった。
「……なによ」
 不満そうな声で、サクラがぽつりと小さくこぼした。
「思い出してたんだろ?」
 お見通しだとばかりに、ナルトが尋ねる。何を、なんて口にする必要はなかった。
「この宿、似てるもんな。窓の下、見てみなよ。あの時とそっくり」
 そう言ってナルトは、ついっと指を外に向ける。サクラは動く気配を見せなかったが、流れる沈黙に我慢できなくなったのか、腰を持ち上げる。サクラが窓辺に座ると、二人は窓を挟んで向かい合わせの格好になる。しんしんと降り積もる雪はすべての音を吸収し、部屋の中は耳がキンとなるぐらい静まりかえっていた。
「……確かに、似てる」
「だろ?」
「外套姿で、あそこに立ってたわ、私」
 ナルトは二階部分が半壊した旅館の屋根で、チャクラを練っていた。肩や頭には雪が積もっていて、鼻の頭は真っ赤だった。
「あん時、オレが頷いてたら、どうするつもりだったの?」
 遠回りすることなく、核心に切り込む。その潔い様は、いかにもナルトらしい。
「アンタは、頷かないわよ」
 窓の外に目を向けたまま、サクラは言い切る。確信の篭った声だった。周囲の宿はどこもかしこも雨戸が閉まっていて、まるで人ひとり住んでいない街のように映る。どこまでも静かだ。
「たとえばの話。誰だって、想像ぐらいはするだろ」
 ナルトの言葉に、サクラは気まずそうに黙りこくる。
「もしかして……それすら考えなかったの?」
 返事どころか、頷きも返さない。それでも、サクラの表情がナルトの問いかけを肯定だと告げていた。
「無謀だなあ……」
「アンタに言われたくないわよ。現に、拒否したじゃない」
 サクラは唇を尖らせて反論する。ナルトは、きょとんとした顔をした後、そうか、と呆然と呟いた。
「ああ、だからか。それに腹が立ったんだな、オレは」
 うんうん、と合点がいったように頷くナルトだが、話の行方が掴めずに、サクラは小首を傾げる。
「あん時、オレはスゲー腹立ったんだ。まあ、サクラちゃんの告白が嘘だと思ったからなんだけど、それとは違う感覚があってさ。理由がよくわかんなくて、時々あれはなんだったんだろうって思い返してたんだ。今、なんかわかっちゃった。あれはさ、オレがいつもサクラちゃんの思い通りに動くと思ったら大間違いだぞっていう、そういう怒りだったんだよ。オレんこと侮ってんじゃねーよ!みたいな、さ。あー、そっか、だからか。なーんか、すっとしたってばよー」
 ナルトは気分の晴れた顔で伸びをするが、サクラはますますバツの悪い表情に変わった。そんなサクラを苦笑気味に眺めて、ナルトは続ける。
「そんで、サクラちゃんはオレがあんなにキレるとは思わなかったんだろ?オレがヤダって言うにしたって、もっとやんわり断るかと思った。違う?」
 ナルトは鈍いと思い込んでいるだけで、本当は観察眼にも長けているし、好意や悪意に鋭く反応する。咄嗟にサクラは、キバの一言を思い出した。
 おめーはナルトをなめすぎだ。
 確かに、そうだった。あの時サクラは、ナルトにそこまでの頭がないと思い込んでいた。本当に自分は、ナルトを侮っていたのだ。怒るのも無理はない。
「オレはさ、たぶんサクラちゃんが一番傷つくと思う言葉を選んだんだよ。無意識に、だけど。ヒデーこと言っちゃったなぁ」
「……私の方が、ずっと酷いわよ」
「まあ、そうだね。オレってば、チョー傷ついちゃった。アンタの事が好き、なーんて嘘吐かれちゃったんだもん。そりゃもう虚しくってさ。喉から手が出るほど欲しい言葉だったのに、嬉しくもなんともねーの」
 ナルトは、ガクリと肩を落として、ハーッと息を吐く。サクラは逃げ出したくなるが、ずっと避け続けてきた話題にようやく触れることができたのは、二人にとって大きな進歩だと感じていた。だからこそ、真正面から受け止めたい。ぎゅっと拳を握って、口を開く。
「……ごめんなさい。酷いことをしたって思ってる」
「でも、後悔はしてない」
 わかってんだよ、と言わんばかりの声色に、ピクリとサクラの眉が跳ねる。いつの間にかうつむけていた顔を持ち上げると、ナルトは窓枠に肘をついて、頬杖をしていた。大人びた表情に、若干ドキリとする。
 バカな真似をしたとは思っているが、あれ以外の方法がどうしても思いつかなかった。それが、あの時のサクラの限界だった。吐いた台詞が絶望的に間違っていただけで、自ら行動を起こしたのは間違っていない。今でもそう思っている。
「ぶはっ!サクラちゃん、正直すぎ!よく忍者やってられんなあ!忍の心得第25項を述べよ!」
 答えないという選択肢はなかった。今は、ナルトに逆らえない。第25項は、胸の内でどれだけ反芻したかわからない心得だった。もし記憶が失われても、この心得だけは、きっと頭に刻まれたままだろう。
「忍はどのような状況においても感情を表に出すべからず。任務を第一とし、」
「ウーン、任務第一ってのは、合ってるかな?」
 ナルトはサクラの声を途中で遮ると、人差し指で顎を擦った。
「ま、なんにせよ、昔のことだってばよ。むっちゃくちゃ傷ついたけどさ、頬染めてるサクラちゃん、可愛かったな」
「消して、その記憶」
「やだね、オレの宝物だ。絶対、消えないもんね」
「だったら、いつか上書きしてやる」
「へ?」
「もっと可愛いって思わせて、宝物を入れ替えてやるわ」
「参るね、ほんと。サクラちゃん、愛してるってばよ」
「こういう時に、やめなさい」
「別に何もしねぇって。だって、任務中だもーん」
 ナルトの心には、あいにくと上書き機能はついていない。宝物は入れ替わるどころか、ますます増えていくばかりだ。そのことに、サクラはまだ気づいていない。
 その夜、並べた布団の中に包まって、枕元にある常夜灯をつけたまま、ぽつぽつと語り合った。サクラは、面と向かってキライだと言われた時の衝撃を、はじめて晒した。ナルトは、サクラちゃんと喧嘩腰で話をする日が来るなんて思いもしなかったと言って、朗らかに笑った。誤解と、しこりと、嘘と本音。全部を解いて楽になる。翌日の行程に差し支えがないようにと注意をしていたのに、気づけば深夜になっていた。二人は、もっと話をしていたいと名残惜しみながら、互いの手をしっかりと繋いで寝た。



2014/10/27