残映



残映




 遮光機能のないカーテンから漏れる朝の陽射しに、まぶたを射抜かれる。目を覚ました途端、全身にぶるりと身震いが走った。右膝から下が、まるで凍り付いたような感覚だ。訝しげな視線をベッド脇に移すと、右足が布団からずれ落ちて剥き出しになっている。これでは冷えるわけだ。あたたかな布団の中にもぞもぞと右足を引っ込めると、今度はその温度差に、皮膚がむず痒くなる。朝からツイていない。冷え切った右足を左足に擦りつけながら、ナルトは少しへこんでいる隣の枕を撫でる。そのまま手を下に滑らせれば、よれたシーツには体温がしっかりと残っていた。
 隣の枕もシーツも確かにぬくいのに、布団には自分一人が寝っ転がっているだけ。この状況は、毎度のことながらナルトをガッカリさせる。慣れ親しんだ気配が台所でがさごそ動いているのを知っていても、ナルトの気分を浮上するきっかけにはなりえない。
「おはよう。喉渇いたから、お水飲んできた」
 ベッドに戻ってきたサクラは、すでに任務服を上下キッチリ着込んでる。それを見るなり、ナルトは表情には出さないながらも、大きく落胆した。任務服を着込んだサクラを脱がすのは、とてもとても大変だ。私服だったら脱がせやすいのかと問われれば、その難易度は大して変わらず、どちらにしたって勝率は極めて低い。入念に雰囲気を作って、ベッドに引き込んで、そこからようやく勝負がはじまる。ある時などは、サクラがメモを置いて朝修行に出てしまい、起きたら部屋の中にすらいないこともあった。あの絶望感は、忘れられない。今回は部屋の中に留まってくれたのだから、まだマシとも言える。「もしかして、オレの身体目当てなんでしょーか」とうっかりシカマルあたりに愚痴りそうになったぐらいだ。
 ナルトは、まどろみの残る朝、日常にまつわる他愛もない会話をしながらサクラの身体に触れるのが、何より好きだった。身支度に取り掛かるまでの限られた時間で、過ぎていく一分一秒を惜しむように抱き合う。そういう時間を、かけがえのないものだと考えている。
 時計を見て、「あ、まだ十分あるよ」とナルトが言えば、「十分で何ができるの?」とナルトを試すような視線をサクラは寄越してくる。そのまま黙って見詰め合うのだが、流れる空気がくすぐったくて、笑いながらキスをする。一日のはじまりに、ほんの十分を二人で分かち合っただけで、身に降りかかる理不尽や、大事な人との逃れられない別れ、日々の哀しみ、そういったものを真正面から受け止められるような気がする。そんなのは錯覚かもしれないが、丸くなりかけた背中に手のひらが添えられている感覚を、ナルトは時折感じていた。
「お茶でも飲もうかな」
 髪をかき上げて、サクラがぽつりと零す。ナルトはあえてそこには乗らず、サクラの名前を口にした。
「サクラちゃん」
「何よ」
「さむいなあ」
「服、着ればいいでしょ」
 サクラはそう言って、床を指差した。ベッド脇には、ナルトの装備一式が落ちていて、目隠しのつもりなのか、黒い任務服が上に掛けられている。ナルトは布団の中にぎゅうっと丸まって、手も出したくないとばかりに、「服、取って」とくぐもった声でサクラにお願いをした。
「横着者」
 呆れたような声色は、予想通り。ぺたぺたとベッドに足音が近づいてきて、服の擦れる音が続く。布団の隙間からTシャツを差し出すサクラの手が見えると、手首を掴んで布団の中に引き込んだ。こうなってしまえばこっちのもので、多少の抵抗はあったものの、がっちり身体を包んでしまえばサクラも暴れるのをすぐにやめた。
「つかまえたってばよ〜」
 布団から首を出すと、いたずら小僧が、満面の笑みを浮かべる。
「……人の優しさにつけ込んだわね。そういうやり方は好きじゃない」
 口の達者なサクラが騙されたことに反発するのもまた、予想通りだ。
「ごめんな。だって、こうでもしないとサクラちゃん、布団の中に来てくれないんだもん」
 ナルトが唇を寄せると、サクラは嫌そうに首を逸らせた。何すんのよ、としかめ面が言っている。まさか、ここまで機嫌を損ねてしまうとは。ナルトは眉尻を下げて、サクラと向き合った。
「あんさあ、これ真面目な話なんだけどね。できれば朝は、どっちかが目を覚ますまで、一緒にいたいなあ。もちろん、急な呼び出しがなければだけど。あとは任務の都合とかね」
 そう言って、ナルトは今にも離れていきそうなサクラの身体を抱え直した。着用したばかりなのだろう、体温が馴染んでいないサクラの任務服は、まだ冷たい。それが二人の温度差に思えてしまって仕方がなかった。動物が匂いつけをするように、髪の生え際をぐりぐりとサクラの首筋に押し付ける。
「サクラちゃんは布団から出て行っちゃう時が少し多いかなーって、ずっと思っててさー。オレ、そんなのつまんないってばよ」
「……スケベ」
「うん、否定しない」
 さらにすうっと息を吸い込むのを受けて、間髪入れずにナルトは続ける。
「オレがドスケベで、隙あらばサクラちゃんとイチャイチャしたいってのは認めた上での話。オレね、布団の中でだらだらしながらサクラちゃんとくだらねー話するの、すっげー好きなんだ。昔じゃ考えらんないほど任務がキツくなって、自分一人じゃどうにもならない問題にも直面してさ、完全にドン詰まった時に思い出すのって、サクラちゃんと朝に喋ったことなんだよね」
 その場しのぎの思いつきではなく、それは事実だった。たいていは、帰りの夜道で思い出す。落ちていく気持ちを持ち上げるきっかけが欲しくて、もらった何気ない言葉や、密やかな声色や、寝起きの柔らかな表情を、何度も何度も思い返す。またいずれやってくるあたたかな朝を待ちわびながら、日々を生きる。
「サクラちゃんは、そういうのないかな?まあ、オレが単純なだけなのかもしんないけどさ」
「あるよ」
 サクラの答えは明確で、疑念を挟む余地など一切なかった。
「……あるの?」
 きょとんとした顔で間抜け声をもらすナルトを、サクラはじっと凝視する。
「私も、あんたのこと、必ず思い出す」
「そ、それって、えと、」
「それ以上は秘密」
「えー!どういうオレを思い出すのかが重要なんだけど!ヒント!ヒントくれない?大戦の時かな……いや、中忍に昇格した時かも……どあっ!」
 身体をドンとぶつけるようにして、サクラが抱きついてきた。いささか乱暴だったが、抱きつかれること自体は嬉しい。問題なのは、息もできないほどぎゅうぎゅうに締め付けられていることで、骨が今にもミシリと悲鳴を上げそうだった。
「ぐ、ぐるじい……」
 嬉しいけど、苦しい。感触なんて、確かめるどころの騒ぎじゃない。ナルトは息を吸い込むのに必死だ。これは締め技を掛けられているのかと本気で思いかけた頃、急にサクラの腕から力が抜けて、身体が解放される。
「はい、本日のイチャイチャ終了」
 大きく深呼吸をするナルトに、サクラが無情の一言を告げる。
「ええ〜!?今のがイチャイチャ!?」
 そりゃないよと異論を唱えるナルトを他所に、サクラはベッドを抜け出して、部屋の隅に置いたバッグの中身を確かめる。床を一通り眺めているのは、ナルトの部屋に何度か忘れ物をしたことがあるから。
「ごめんね、今日は早いの。これからはなるべく気をつけるから、それで許して」
 捲くし立てるように早口でそう言うと、サクラはバッグを肩に掛けて、部屋を出て行った。バタン、と扉の閉まる音を耳にしながら、ナルトはサクラが照れているのだとようやく気づく。わかりにくくて、素っ気無い。それなのに、思い返すとじわじわこみ上げるものがあって、癖になる。
「ほんっと、かーわいいなぁ」
 今日の夜に思い出すのは例の締め上げになるだろうが、まあ、そんな日があってもいい。ナルトはずりっと身体をずらして、シーツにまだ残っているサクラの温度をぬくぬくと感じながら、任務までの時間を過ごすことにした。




2014/04/19