土産



土産




 陽の落ちかけている木ノ葉通りは、夕餉の買出しや任務上がりの忍たちで溢れかえっていた。隠れ里とはいえども、人の営みがそこにある限り、盛り場とは縁が切れない。任務となれば真っ先に切り捨てられる娯楽が、この場所には溢れていた。特に木ノ葉の忍者は食道楽が多いらしく、裏通りの飲み屋街ですら、酒の肴には気を使っている。皆、美味いものに目がない。
「あら、カカシさん。これから任務?」
 明かりの入った提灯を眺めていると、声を掛けられた。顔を反対側に向ければ、密かに通っている甘味処がすぐ目の前だった。本日分が完売となったのか、店の看板を中に仕舞おうとしている。アンコはここの団子に目がなくて、ほくほく顔で袋をぶら下げる姿は、木ノ葉ではお馴染みの光景だ。袋の側面に印刷されたシンプルながらも目立つロゴは、いい宣伝になるだろう。
「どーも、少しばかり働いてきます」
「行ってらっしゃい!団子おまけにつけるから、帰りに寄ってね!」
 快活な声で、店主が言った。気風の良い女性で、任務帰りの忍には、よく値引きやおまけをしてくれる。それも、店が繁盛している要因のひとつだろう。
「先生、いつもここであんみつ買うんですか?」
 元部下の仮面をしっかりと被ったサクラが、カカシの横からひょこりと顔を出して、店主に問いかけた。
「ああ、そうだよ。ずいぶん贔屓にしてもらっていてね、あのはたけカカシ御用達、なんて一文を看板に付け足したいぐらいだよ!」
 誇らしげに胸を張る店主を前に、カカシは旗色の悪さを感じ取っていた。できればさっさと大門に向かいたいのだが、サクラの足は、店の前から動きそうにない。察しの良さは五代目のお墨付きで、このままだと触れて欲しくない方向に話が流れそうだ。いっそのこと瞬身の術でも使いたい。
 カカシはいつも、この店であんみつを買ってから、サクラの家に行く。手土産がなくたって歓迎されるとは思うのだが、「店先で見かけてね」とあんみつを片手にドアをノックするのが、自分には似合っていると感じていた。そんな理由を作らないと好きな女の家に行けないなんてみっともない、と人は言うかもしれない。それでも、カカシには必要な手順だった。
「先生、そんなにあんみつ好きだったっけ?」
「……ここのは、美味しいからね」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない!こりゃ、団子のおまけじゃすまないね。必ず寄ってもらわないと!」
 うまいこと話がまとまったようだ。カカシは表情を一切変えることなく、ホッと胸を撫で下ろした。「帰りに寄らせてもらいます」と店主に告げてから、足を一歩踏み出す。だが、サクラはその場に突っ立ったまま、カカシをじっと見上げていた。
「閉店時間、早いのに。よく買えるね」
 サクラがカカシに問いかければ、気の良い店主がニコニコと答える。
「カカシさんは売れっ子忍者だから、いつもいつも閉店間際に飛び込んでくるんだよ。シャッター下ろしてる時なんかに、今日は来ないのかしらって、つい思っちゃうもの。あんみつ、ほんとに好きなのねえ!」
 今まで少しずつ積み上げていった何かが、ガラガラと崩れ落ちていく。これほど完膚なきまで伸されるのは、いつ以来だろう。動いてもいないのに心拍はバクバクと跳ね上がり、そのわりに身体の芯はスッと冷えて、手汗がすごい。
「へえ、知らなかった」
 まじまじと顔を見てくるサクラの視線を、カカシはまともに受け止めることができない。
「今度差し入れするといいよ。残ってるわよって言った時のカカシさん、すごく嬉しそうだから」
 底まで落ちたと思ったのに、まだもう一段残っていた。フル装備の覆面越しだというのに、素人にもわかるぐらい緩んでいるのか。カカシは、立つ瀬がない。だいたい任務帰りなんて、誰も彼も殺気立ってるのが当たり前だというのに、あんみつが残っていたぐらいで頬を緩めるなんて、それでも忍かと自分を叱咤したくなる。
 その後、主人とサクラが何を話していたのかは、覚えていない。駆け込みで買うのをサクラに知られる以上に恥ずかしいことなんて、カカシにはなかった。こうなればイチャパラでも出して読みながら大門に向かおうと思ったが、いつも通りを装っているのだと丸わかりなので、やめておいた。商店街を通り抜けて、大門までの長い長い道を並んで歩く。うつむけた視線の先には、砂利しかない。
「閉店間際に駆け込むぐらいなら、買ってこなくたっていいのに」
「……うん」
「お土産なんて買わなくたって、家に入れるわよ?」
「……オレが、食べたくてね」
 そっぽを向いて、がしがしと頭をかく。そんなのは苦し紛れの嘘だと、出来のいい元部下は察知しているだろう。それでも、体裁を整えるぐらいはさせて欲しいと、カカシは思う。
「閉店時間が一時間遅い甘味屋さん、知ってるよ」
「あの店がいいんだ」
「私が好きな店だから?」
 こうなると、無言になるしかない。勘弁してくれ、と胸中で呟いて、口を噤む。
「ねえ、先生」
 さらなる追い討ちでもかけられるかと、カカシは内心冷や汗だ。逃げたと思われようとも、今こそ瞬身の術を使うタイミングかもしれない。チャクラを練ろうとしたその時、ぎゅっと握ったサクラの手が、カカシに向けて差し出された。
「いいものあげる」
 パッと手がひらき、きらりと何かが光った。
「じゃーん、魔法の鍵でーす。これがあると、ウチの中にいつでも入れます。ついでに元気にもなれます」
「……ウチって、サクラの家か?」
「まさか実家の鍵なんて渡さないわよ。私、もう住んでないんだし。これは、アパートの鍵」
 ポケットに手を突っ込んだまま、カカシは呆然と手のひらの上に置かれた鍵を見る。いつまで経っても鍵を手に取ろうとしないカカシに焦れたのか、サクラはカカシの右腕を引っこ抜くと、その手に鍵を握らせた。
「帰るのが夜中でも、必ず寄ってね。おまけはないけど」
 甘味屋の店主の言葉をなぞって、サクラは笑う。そして、カカシの頭に手を伸ばして、二度三度と撫でてから、すっと身体を離した。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
 たたっと通りを駆けていくサクラの足取りは、軽やかだ。角を曲がる際、カカシに向けてひらひらと手を振って、その姿は垣根の向こうに消える。カカシは棒立ちのまま、手のひらの上に残った鍵に目を落とした。理由なんて、なくていい。夜中だって構わない。元気になれる、魔法の鍵。サクラはずっと前から土産のことを気にしていて、渡すタイミングを探っていたのかもしれない。立ち止まったり、ぐるぐる同じところを回ったり、どうにも下手な自分を、いつもサクラが「こっちだよ」と引っ張ってくれる。どん底まで転がり落ちて瀕死だったカカシの心が、ふわっと優しく浮き上がった。
「……ほんと、魔法の鍵だね」
 きっと今、覆面越しでも笑っているのがわかるだろう。心がふにゃふにゃとやわらかくなって、奥の方がくすぐったい。自然とこみ上げてくる笑い声を、ぐっと堪える。そして、大事な大事な魔法の鍵をなくさないように、ぎゅっと握り締めてから、武器ポーチの内ポケットにしまった。




2014/03/02