おかえし



おかえし




 大戦が終わって、もう三年になる。誰もが日常を取り戻している一方で、あの戦いを転機に巻き起こった新しい風は、世界に変化を促していた。それぞれの隠れ里でも、昔ながらの風潮との擦り合わせを今も探り探りで行っていて、五影同士が歩調を合わせるための会合が頻繁に行われていた。そして、ナルトもまた、大戦前の状態との決別を余儀なくされている。
「あれ、珍しいっすね」
 木ノ葉病院の門を潜ろうとしたところで、声を掛けられた。顔なじみの後輩忍者だ。任務を一緒に何度かこなしたことがある。
「怪我じゃねーから、心配すんな」
「そっすか……お疲れさまっす。お大事にしてください」
 後輩忍者は、少しだけ沈痛そうな表情を見せた後、頭をぐっと深く下げて、ナルトが通り過ぎるのを待った。怪我じゃないと言っても、皆が皆、ホッと息を吐くことはない。
 半年に一度の検診は、サクラからきつく言い渡されている大事なことだった。桜の花が芽吹きはじめる今の時期と、紅葉が一斉に里を覆いはじめる頃の二回。出かける前、いつも鎖帷子をどうしようかと一瞬迷うのだが、急な召集に備えて着込むことにしていた。
 受付は、素通りする。普段は滅多に顔を見せないので、ナルトの姿を廊下で見かけた医療忍者が、「検診ですか?お疲れ様です」と声を掛けてくる。ナルトが向かうのは、サクラの仕事部屋だった。病院の少し奥まった場所にあって、ずっと空きっぱなしだったネームタグが埋まるのはずいぶん久しぶりだと聞いた。それぐらい、医療忍者を育てるのは難しいのだろう。扉の前で足を止めて、ノックをする。
「サクラちゃん、来たよー」
「あ、どうぞ。入ってー」
 誰かの部屋に入るというのがどうしても慣れなくて、扉を潜る時にどうしても緊張する。そこが私室でなくとも、サクラが使う部屋なのだと考えれば、心臓のリズムが狂ってしまう。こればかりは上手く制御ができない。これから検診するんだから、少し落ち着けよ、と自分自身に言いたくなった。



 検診は、一日がかりだった。本当は入院をしてもらいたいのだけれど、売れっ子忍者だから拘束時間を少なくしているのだと、サクラが周囲に向けて冗談まじりに言っているのを聞いたことがある。自分を特別扱いされているようで、ナルトは嬉しかった。サクラに無理をさせているのだとわかっていても、嬉しさを抑え切れなかった。
 検査はどれも窓のない部屋で行われ、一通り終わった後にサクラの部屋へと戻ると、朝イチで駆けつけたというのに陽が傾いていた。昼間に簡単な軽食しか入れていない腹が、ぐうと鳴りそうになる。
「じゃあ、そこに腰掛けて」
 先に部屋に入ったサクラが、任務の時によく耳にする凛々しい声で、そう言った。サクラが使う机の前に、丸椅子が置いてある。二人は、窓際で向かい合わせに座った。
「今回のところは、異常なし」
「……そっか」
 サクラの言葉に、肩の力が抜けていく。どことなく硬い表情が和らぐのを見て、サクラもまた、ふっと顔を綻ばせる。
「まだ全部の結果は出てないんだけどね。何かあったら、すぐに式を飛ばせるから、そのつもりでいてね」
「うん」
「何年か経ってから異常が出てくる時もあるから、念には念を入れて、ね」
 サクラは手に持った紙束の端を軽く叩いて揃えると、引き出しからファイルを取り出して、その中に挟んだ。背表紙にはナルトの名前と登録IDが書かれていて、丹念にデータを追っているんだとすぐにわかった。
「機能不全でも起こされたら、アンタの身体、今度こそ持たないし」
「ごめんなぁ……」
「そこは、ありがとうって言われたいわね」
 申し訳なさそうにナルトが言えば、サクラは困ったように笑う。
「直に心臓を鷲掴みにしたの、あれがはじめてよ。人工呼吸も、人形相手でしかやったことなかったしねぇ。たかが数年の医療経験しかないのに、よくやったと我ながら思うわ」
 止まりかけた心臓を無理に動かしたから、今、こうして検診を受けている。それはわかる。だが、よくよく考えてみれば、呼吸はどうやって保ったのか。ナルトは考えてもみなかった。
「人工呼吸……って?」
「肺に直接、空気を入れるのよ」
「チャクラの受け渡しで、なんとかなるの?」
 肺に空気と言われても、まったくピンとこない。想像がつかなくて、医療忍者にはそういうチャクラの使い方があるのかな、とナルトは思った。
「なるわけないでしょ。口でやるの」
「……ん?」
 機械もないのに、そんなことできんのかいな。眉尻を下げて、首を傾ける。その様子を見て、サクラはいかにも呆れたという顔で、息を吐いた。
「にっぶいわねぇ、あんたの口に口くっつけて、そのまま空気入れんのよ」
「でぇ!?なんっじゃそりゃ!」
 衝撃のあまり、勢い良く立ち上がると、丸椅子が派手に転がった。そんなの気にしている場合じゃない。えらいことを聞いてしまった。
「そ、そ、それって……え?え?」
 ナルトはパカパカと口を開け閉めをしながら、自分とサクラとを、交互に指さす。
「ま、そういうこと。考える隙なんてないわよー。でないとアンタ、死んじゃうし。ま、事故だと思ってね。ご愁傷様です」
 そう言ってサクラは、椅子に座ったまま頭をぺこりと下げる。ナルトは、慌てた様子で武器ポーチの中に手を突っ込むと、ガマ財布を取り出して、中身を開いた。最近、任務報酬が格段に増えたので、札が何枚も重なって入っている。
「サクラちゃん、今から時間ある?」
「これ書いたら、今日は上がり」
 机の上に置いてあるのは、一枚の報告書。ナルトはサクラの手首を掴むと、そのまま思い切り手前に引いて、サクラを立ち上がらせた。ちょっと何よ、と文句が返ってくるが、そんなの気にしちゃいられない。サクラを引き連れて部屋を出ると、廊下をずんずんと歩く。
「ねえ、どうしたのよ、ちょっと!」
 サクラは、それしか言わなかったが、病院を出たところで、ようやく違う問いかけを口にした。
「ご飯おごるとか、そういう話?だったら、最近できたとこで気になってる店あるんだけど、そこで食事しない?とりあえず報告書まとめちゃうから、後で待ち合わせるってどう?」
 サクラの言い分に、ナルトが耳を貸す様子はない。木ノ葉通りの方角に向けて、まっしぐらだ。人ごみが目立つようになると、ナルトは一旦足を止めて、きょろきょろと周囲を見渡す。そして、「確か、あっちだな」と独り言を呟くと、また大股で歩き出した。競歩なんじゃないかと思うくらい、早足だ。
「あ、ナルト、この路地を通った先に……」
 サクラの声なんて、聞いちゃいない。なんだかもう、どこに連れてかれるのやら。ナルトにも思うところがあるのだろうと、サクラは流れに身を任せる。
「おー、あったあった!」
 サクラの手を掴んだまま一目散に駆けていくのは、装飾品を扱う店だった。
「サクラちゃん。ここで一番高いの買わして。そんぐらいしないと、オレの気持ちが収まんないってばよ!」
 サクラは、目を丸くして驚いた。指輪だの何だの、一通りの物は揃ってる店の前、ナルトはショーウィンドウにへばりついて、「一番高いのってどれだ!」と視線をあちこちに飛ばしはじめた。サクラはその背中に向かって、ぽそりと呟く。
「一番高いのって……たぶん、アンタの財布の中身じゃ足りないわよ?」
「え!そうなの!?げっ!上の段、スゲー高い!」
 装飾品に興味なんて一切持ったことがないのだろう。二万両という値札に、声を裏返して驚いた。ラーメンを基準に考えていたら、宝石商など仕事が成り立たない。サクラは、ナルトの隣に並んで、つっとある方向を指差した。
「ちなみに石がついてると、こんな感じ」
 ナルトは、顎が外れるんじゃないかと思うくらい、口を大きく開けて驚いている。言葉が出ない状況だ。
「どうする?買う?」
 正確に言えば、「買える」なのだが、ナルトにもプライドはあるだろうと、サクラは柔らかめな表現を選んだ。ナルトは武器ポーチに手を突っ込んで、ガマ財布を取り出す。おそるおそるという仕草で、そーっと留め金に手を掛ける顔があんまり面白いものだから、サクラは吹き出してしまった。
「……サクラちゃん。笑うのは酷いってばよ」
「ごめん、ごめん。だってアンタ、ラーメンの替え玉頼んじゃダメって時より酷い顔してる……」
 腹を抱えて笑い出すので、ナルトはますます格好がつかない。意気込んで店に来てみたはいいが、想像よりも二桁、いやこの調子だと三桁は違うのだろう。
「……火影になったら」
「え?」
「火影になったら、ぜってー買ってやるかんな!」
 一番上の棚、台座に貴重な石が嵌っている指輪をビシッと示して、ナルトが言う。
「火影って、そんなに収入増えるのかな?」
「だって、火影だよ!?石ぐれー買えんだろ!」
「だって、師匠の借金、まだ返せてないわよ?」
 ナルトは、うぐっと喉を詰まらせる。今まで踏み倒した借金をこつこつ返済しているのは、ナルトも知っているところだった。「この先、全部返しきれるんでしょうかね……」とシズネがこっそり息を吐いていたのは、つい最近の話だ。
「ま、今のアンタなら、このくらいかな」
 サクラはナルトの手を引くと、ショーウィンドウの右側に移動する。足を止めたのは、とある商品の前だった。朱色に「特価品!」の文字が横に踊っている、実にシンプルな指輪。
「指輪って、したことないの。買ってくれる?」
「……でもこれ、他のと全然、桁が違う」
 むぅと唇を尖らせて、ナルトは不満気な顔だ。
「石がついてない方が、作業しやすいもの」
「ほんとに?これでいいの?あ、向こうの方が……」
 まだ未練があるらしく、ナルトは他所を向こうとする。その耳を引っ張り、「これがいいの」とやや顔を近づけてはっきりと言った。息がかかったのか、ナルトは顔を赤らめる。
「買ってください、お願いします」
 にっこりと笑って、サクラは言う。ナルトは眉尻を下げてひとしきり指輪を見ていたが、がしがしと頭をかいた後、サクラの手を取った。
「もっと高いの、絶対買ってやるからな」
「うん」
「石の種類、調べておくぞ」
「うん」
 店の扉を開けると、二人は揃って中に入る。
 これがサクラへの初めての贈り物で、石のついていない指輪は、どんなに過酷な任務の時でも、サクラの右手の人差し指にずっと存在し続けた。






※ここまでやっておきながら、特につきあってもいない二人というミラクル。




2014/02/11