十年来



十年来




(注) テンテンとキバ以外の同期は、所帯を持って落ち着いている設定です。カプは明確にしていませんが、苦手な方はご注意ください。




 そろそろくるかもしれない、と少しだけ思っていた。
 待機所でどんよりとした空気を纏っていることが何回かあったし、二人が仲睦まじく歩いているところをサッパリ見かけない。人の色恋沙汰に興味はないが、自分の予定を狂わせる要素を含んでいるとすれば、話は別だ。もう少し経つとバタバタ忙しくなるはずだから、その時がくるなら今のうちがいいなぁ、なんて思うのは酷いだろうか。キバに知れたら、「なんすかそれ!」と泣かれるに間違いない。
「今日の夜、時間あります?」
 目を離すと川に身投げしそうな顔でキバにそう言われたのは、昼休憩の時だった。やっぱりか、という気持ちが顔に出ているかもしれないが、そこは放っておいて、テンテンは膝の上に乗せた弁当をつつく手を止めた。
「上がったら行くから、いつもんとこで待ってて」
「ウス」
 幽霊みたいに薄い気配がスーッと遠ざかるのを感じながら、テンテンは弁当をもしゃもしゃ食べる。あの様子じゃ、話が長引くかもしれない。頭の中で午後の段取りを固めて、今日は早めに切り上げることに決めた。




 赤提灯のぶら下がる店の木戸を開けると、キバがカウンターで背を丸めて一人酒をしていた。いつも連れている赤丸は店の外にも繋いでいなかったし、置いてきたのだろう。
「生、もらえます?あと、おでんの盛り合わせ」
 店主に注文をすると、丸椅子を引いてキバの隣に座る。マドラーでグラスの中の梅干を潰している横顔は、酒を飲んでいるというのにちっとも楽しそうじゃない。辛気臭い酒はできれば遠慮したいのだが、腐れ縁なら付き合ってやるかと思えた。
「なんでいつもいつも私を呼びつけんのよ。同期の男どもに泣きつきゃいいじゃないの。仲いいんだからさ」
 挨拶もそこそこに、筆文字で書かれている今日のオススメをチェックしながら、つっけんどんに言い放つ。キバはがばりと顔を上げて、反論の口火を切った。
「いつもいつもって、そういう言い方やめてくれる!?オレ、失恋してばっかみたいじゃん!」
「じゃあ、恋多き男ってことにしとこうか?」
「なんか軽そうに聞こえるし、正直ビミョー」
 めんどくさい男だな、と思うテンテンの前に、ゴトリとジョッキが置かれる。テンテンは乾杯もしないでジョッキを持ち上げると、ごくごくと喉を鳴らしながら飲んだ。この喉越しを楽しむために、午後は水分をなるべく摂らないようにしていた。一気に半分近くを喉に流し込み、今日も里のためにと奔走した自分自身を労った。こういう楽しみでもなければ、忍なんてやってられない。
「あいつらさ、全然捕まらねぇんだもん。十時前には帰っちゃうしよ。家でね、嫁さんと子供が待ってるんだって。一晩ぐらい帰らなくたっていいじゃんねえ!どいつもこいつも飼い慣らされやがって!」
 知っている顔は皆、家庭を持つようになっている。おしどり夫婦に嫁バカ娘バカ。ちなみに亭主関白はいない。この里の男どもは、どうも女に頭が上がらないようだ。今日も元気に主導権を握られている。
「じゃあ、同期の女子。亭主が帰ってくる前に捕まえれば?」
「やだ……あいつらこわい」
「ヒナタも?」
「ばっか!あいつは良家のお嬢様だぞぅ!こんなきたねー飲み屋に連れていけるかっての!」
「きたねー飲み屋で悪かったな」
 こめかみをひくつかせながら、店主がおでんを盛った皿をどんと置く。すかさずテンテンはぐっとキバの胸倉を掴み、ドスの利いた声で凄んだ。
「あんたねぇ……ここ出入り禁止になったら一生恨むからね」
「すんません。ほんと、すんません」
 この店は、だらだらと酒を飲みながら長居をするのにちょうどいい。小洒落た雰囲気の店は肩が凝るし、カクテルは甘すぎて苦手だ。ちびちび唇を湿らせるのが好きなタイプとしては、美味い肴と気の利いた酒が揃っているこの店は貴重だった。一人でふらっと入っても気楽に過ごせるし、店主も気さくで、誰かと話したい時には相手をしてくれる。やっと見つけた行きつけを手放すことになったら、縁を切ってやろうとさえ思う。
「犬に嫉妬するのが、耐えられないんだって」
 うなだれたキバが、ぼそりと声を落とす。
「……ふーん」
「好きだけど、一緒にいるのが辛い。どうしても壁があって、隣にいるべきなのは私じゃないんだって思う。ま、何度か聞いた台詞だけど、やっぱキツいっすよ」
 テンテンは箸をパチンと割って、練り辛子を小皿の脇に乗せた。最初はがんもを食べようと思ったが、キバの好物なので今回は譲ることにしよう。ちくわを箸でつまむ。
「だってオレ、犬使いじゃん。犬は大事だよ。オレの人生と切り離せない。でも、その子のことだって大事なんだ。同列になんか語れねえけど、大事だった」
 彼女のことを語るキバの口調は、過去形だ。恋が終わったんだな、とテンテンは思う。
「あんたはさ、忍以外とは合わないって。前にも言ったでしょ」
「合わないって言われたって、どうしようもねぇよ。好きになった子が、みんな忍じゃなかった。そんだけの話」
「そういう子たちはさ、あんたの一番のパートナーが犬ってことに納得できないんでしょ?人類の中で一番好きですって言ったところで、そんなの嬉しいと思う女なんかいないって」
「じゃあ、くノ一なら……嬉しいと思う?」
「やー……それはどうかなあ」
 味のよく染みているちくわをもぐもぐと味わいながら、首を捻る。おでんの皿をキバの方に寄せるのだが、キバはそんなの目に入らないようで、机をダンと叩く。
「何ソレ!じゃあオレは人間の女の子と仲良くするのを諦めないといけないわけ?そんなのってねえよ!」
「だからさ、あんたのそういう生き方を含めて受け入れてくれる女神みたいな人を探すしかないのよ」
「それ、オレが高望みしてるみたいに聞こえんだけど……」
「同じ犬使いならいいんじゃない?理解してくれそうだし」
「同業者かー……」
 キバはそう呟くと、思案顔でグラスを傾ける。猫だって犬だって鳥だっていい。使役動物が忍にとってどんな存在かを知っている子が一番いいのではないかと、テンテンは失恋話を聞くたびに感じていた。
「この里のくノ一、可愛い子たくさんいるじゃないの」
「うん、知ってる」
「私とか」
「えー、そこに自分入れちゃうんだー」
「場をなごませる冗談よ。そんぐらいわかれ、バカ」
 キバの頭にごつんと拳骨を食らわせると、テンテンは空になったジョッキを持ち上げて、店主におかわりを注文した。
 一人が片付くと、不思議なことに我も我もとバタバタ決まり出し、そんな流れに乗り遅れたのは、テンテンとキバの二人だけだ。隣で涙目になっているキバは嫁さん募集中であるが、テンテンはといえば、忍稼業が性に合っているらしく、家庭に落ち着くのはもう少し先でいいと思っている。どうしたって男より女の負担は大きいし、家事やら何やら一切を任せられる男性となら結婚してもいいかなと思うが、同業者では難しい。忍以外はそもそも出会いがない。だったら今は、恋人で十分だ。任務の前後に楽しく過ごせる相手がいれば、それでいい。
「そんなに結婚したいかねぇ」
「したい。すっごくしたい」
「同期に置いてかれるのがヤなの?」
 ちんけな男のプライドってやつなら、やめておけと言いたい。キバは一緒に飲んでいて楽しい男なので、酒を飲むたび嫁の文句ばっかりのつまらない奴に成り下がるのは、嫌だった。
「それもちょっとあるけど……。やっぱりさ、家族っていいもんだからさ」
 キバの家は父親が追い出されて、母親の手ひとつで育ってきた。それを考えれば、家族を持ちたいと思う気持ちにも頷ける。キバの中には、きっと理想の家庭像があるのだろう。
「数打ちゃ当たるとは限らないけど、気持ちが切れたら終わりだしね。早く次に行きなさいよ。そのうち見つかるって」
 大根を箸で割って、適当な慰めを口にすると、キバは渋い顔をしながらも、そうだよなぁと口の中で呟いた。そして、カウンターの上に両肘をついて、がしがしと自分の髪を混ぜ返す。
「あー、クソ。こうなったら、他里のくノ一に期待するしかねぇのかなー」
「私以外の女が聞いたら、あんた殺されるわよ」
「ここだけの話だよ!他のヤツに言うわけねーじゃん!」
 縁があればこいつを引き取ってやってもいいのだが、友情というほど熱くもない二人の結びつきが十年愛に変化する気配は、微塵もない。こうやって涙酒に付き合うことが、キバにしてやれる精一杯なのだろう。
「ねー、私おなか空いた。何か頼まない?」
「じゃあ、串盛りと、もつ煮込み。あと、高菜チャーハンでしょー……うわ、カラスミあるじゃん!絶対食う!ぶり大根も外せないよね。おでんと少し被るけど、頼んでいい?」
「……ずいぶん頼むわね」
「オレだって腹は減ってんの。合流するまで頼むの我慢してただけ」
 カウンターに並べきれないほどの料理を注文して、酒を飲む。適当に相槌を打ったり、反論したり、大きく頷いたり。いつも通り、時間は過ぎていく。どんな女を選ぼうがキバの自由だ。結婚でも何でも、さっさとすればいい。でも、どうせ選ぶのなら、時々は自分と飲むことを許してくれる寛容な嫁がいい。好きな女の仕草について熱弁をふるうキバの横顔を見ながら、テンテンは思った。




2014/01/04