(注)いのちゃんの男運が悪いです。苦手な方はご注意ください。




「相変わらず、おモテになること」
 病院の屋上、鉄製の柵に身体をだらりと凭れかけて、いのが言う。その視線の先、病院近くの大通りには、めでたく歴代一の英雄に成長した元いたずら小僧が子供たちに囲まれていた。立ち話が終わると、三歩も進まぬうちに話し掛けられて、きゃっきゃと騒がれる。映画俳優さながらの持ち上げられっぷりは、今となってはさして珍しくない光景だ。おそらく昼休憩の合間を縫って、サクラの顔を一目でも見ようと病院に向かっているのだろうが、ちっとも辿り着けずにいる。
「断るって選択肢が、たぶんないのよね、あれ」
 いのは一人頷きながら、紙パックに突き刺さったストローを咥えた。延々と弾かれ続けるピンボール状態のナルトがとびきりのハイスコアに設定しているであろうサクラは、いのの呟きには何も答えず、柵の上に両腕を組んで、ぼーっと虚空を見つめている。相変わらず激務なのだろう、顔色が少し悪い。
「ほんとに会いたいならさ、誰に話し掛けられようがさっさと振り切って、早くここに来いっつーの。あんたもあんたで、迎えに行くなり何なりしなさいよ」
 目的地はもうすぐだというのに、ナルトは声を掛けられると、少しも気を悪くした様子もなく、勘違いしてしまいそうなほど愛想良く対応するのだ。こんな調子じゃ、大通りから抜けられずに昼休憩が終わってしまうだろう。
「あんたら、ちゃんと顔見せ合ってんの?ていうか会話してる?『お疲れさま』とかそういうんじゃなくてさ、こう、恋人ですーって雰囲気を周囲にちゃんとバラ撒いて、邪魔なものは寄せ付けないように努力しなさいって」
 捲くし立てるようにそう言って、紙パックの中身を勢いよく啜る。柑橘系が飲みたくてオレンジジュースを買ったのだが、喉に甘さが張り付いて仕方ない。おとなしくお茶でも買っておけばよかった。いのは眉を顰めて、また口を開く。
「断れない男って、何なのかしらね。任務絡みなら私だってわかるわよ。でもさ、合コンの数合わせって、それ彼女持ちが行っちゃいけない場所でしょ。そんでバレたら途端にしおらしくなっちゃってさ、こっちのご機嫌伺いするの。あれ、何なのかしら。バレたら謝ればいいやって思ってるのが透けて見えんのよね」
 完全に、話題がナルトから逸れた。それでもサクラは話の腰を折ることなく、いのの口から延々垂れ流される「男ってどうなのよ」論を黙って聞き届けた。言いたいことを言い終えたいのは、オレンジジュースを啜って、はあ、とため息を吐く。
「また別れたの?」
 手短ながらも、ズバッと切り込んでくるサクラに、いのは身体ごとぐるりと向ける。
「フラれてないわよ!私からフッたんだからねッ!」
「あんたの悪い癖よね。ちょっと揉めると、自分の方からすーぐ切っちゃうの」
 サクラの的確な指摘に、反論しようにも言葉が出てこない。
 付き合っている男との間に不穏なものを感じ取ると、いのはすぐに自分から別れを切り出した。その理由はいくつかあって、傷が浅いうちに離れれば次にすぐ行ける、とか。いつだって自分が主導権を握っていたい、とか。自分がフラれたという事実を残したくない、とか。まあ、言ってみれば自分本位なものばかりだ。
「私が好きなら、死ぬ気で引き止めてみろっての」
「苛烈だなぁ」
 穏やかに笑うサクラが、いのは面白くない。所帯持ちのお母さんと喋っているような気さえする。
「あーやだやだ。モテる彼氏を持つと、こんな風に達観しちゃうのかしらね」
「達観なんてしてないわよ」
「どうだか」
「ただ、嫉妬とかするのは、もう飽きちゃった。そういうの、もういいかなーって思ってさー」
 サクラは、組んだ両腕に顎を乗せて、背中を丸める。
「あいつがずっと私のこと見ててくれるかっていったら、そんなのわかんないじゃない?『私のことだけ見てて!』なーんて泣きついたら、そりゃそうしてくれるのかもしんないけど、そういう縛り方って負担大きいでしょ。私にとっても、あいつにとっても。私は散々やらかした身だから、特にね。他にいい人を見つけちゃったって言われたら、その時は喜べないだろうけど、忘れる努力ぐらいはしてさ、次は幸せになって欲しいなーとか……いったぁ!何すんのよ!」
 背中をバシンと思い切り叩かれて、サクラは文句を言う。そんな声は知らないとばかりに、いのはサクラの両肩をがっしり掴むと、前後にがくがくと揺さぶった。
「ねえ!思い出して!私らまだ19よ!?この先の人生の方が長いわけ!老成するには早すぎんのよッ!」
「だから、達観も老成もしてないって。人並みに執着心はあるし、つまんないことで怒るし」
「だったら、夢も希望もないことは、万が一でも口に出すんじゃないの!他にいい人見つけるって、それ浮気じゃん!許してどーすんの!」
「浮気って言ったら、まあそうなんだけど。でもさ、あんたの言うとおり、この先の人生の方が長いわけだし、あ、」
 サクラはパッと視線を大通りに向けて、柵から軽く身を乗り出した。
「ごめん、なんかほんとに困ってるっぽいから、助け舟出してくる」
 サクラは軽やかに柵を乗り越えると、近くの木を経由して、地面に降りる。病院の敷地から出てくるサクラの姿に気づくなり、ナルトは両手をぶんぶんと振り、周囲の人間に両手を合わせてから、サクラめがけて一目散に駆け出した。サクラがついっと指差した方角に、二人は歩いていく。五分、いや、十分ぐらいなら、今からでも時間は作れそうだ。
「……助け舟なんて出すくらいなら、ガッチリ束縛しときゃいいのよ」
 いちいち縛らなくても、一緒にいるのが当たり前だと思える在り方なんてのは、家族ぐらいしか思いつかない。昔はやたらと形やらシチュエーションやらに拘っていたサクラだが、愛し方を変えたんだろうか。だが、そんなものはいくら繕ったって変わるはずがないと、いのは思う。ナルトが他所を向いたら、蓋をしていた嫉妬心がみるみるうちに燻りだされて、手が着けられないほど怒り狂うだろう。そんなサクラが、いのは好きだ。
「いい男、さっさと見つけよーっと」
 甘ったるさを我慢しながらジュースを飲み干すと、病院内に続く扉に向けてゆっくりと歩き出した。




2013/12/24