手紙



手紙




 口に出してしまえば、ますますしんどくなる。そうとわかっていながらも、階段の踏み面に足を乗せた拍子に「疲れた……」と声が零れ落ちた。窓のない部屋で作業をしているので、時計の針を見るだけでは、朝なんだか夜なんだかわからない。職場に泊り込んでしまったら、生活の不規則さに歯止めが効かなくなるだろう。自宅に帰る意味を時々見失いそうになるサクラだが、仕事終わりの時間がずるずると延びるのを避けるために、あえて帰宅をするようにしていた。
 鍵を探りながら廊下を歩いていると、玄関ドアの郵便受けから何かが飛び出ている。請求書か何かだろうかと近寄れば、それは封書だった。春野サクラ様と少し癖のある字が表に書かれている。封書を引っ張り出し、くるりと裏返せば、ぐるぐるのうずまき印。
「……嘘でしょ?」
 今すぐ封を破りたい気持ちを抑えて、鍵を開けると、靴を脱ぎっぱなしにして部屋の中に入った。タンスの上段にしまってあるハサミを手に取り、慎重に封書の端を切って、中を覗き込む。やっぱり、手紙だ。任地から手紙を出すなんて、ずいぶんと骨が折れるはずだ。どういう経路を使ったのだろうか。繋ぎ役の忍に頼んだとすれば、手渡しが一番確実だし、自分だったら間違いなくそうする。郵便受けに入っていたところから察すると、連絡ガマだろうか?手足を器用に使う蛙もいたものだ。
 折り畳まれた手紙を取り出し、広げる。手紙の出だしには、「前略 春野サクラ様」と記してあった。どこで仕入れた知識なのか知らないが、普段の落ち着きない振る舞いが嘘のように、手紙からは大人びた雰囲気が感じ取れた。



『お元気ですか?里を離れてそろそろ半年になりますが、オレは元気にやっています。これといった動きはないし、仲間も一人残らずピンピンしてますので、安心してください。男ばっかり、むしろ元気すぎるくらいで、キバなんかは里にいるよりやかましいです。待ってる時間が長いので、最近はダレ気味かもしれません。もうちょっとやり合う任務だったら医りょう忍者が組み込まれるのになーと冗談交じりに言ったら、ヤマト隊長に怒られました。そんなところもいつも通りです。』



 そこまで一気に読むと、サクラの身体から力が抜けた。風の噂で任地の様子はサクラの耳に入ってくるが、本人の筆で伝えられるとホッとする。難しい字が平仮名になるのは、ナルト本人が書いている証拠だ。「医療」と口で言えても、字が書けない。ヤマト隊長に聞けば教えてくれるだろうに、自力で全部書こうと頑張る姿勢が微笑ましかった。口元に浮かぶ笑みをそのままに、続きを読む。



『サクラちゃんはどうしてるだろうかと、よく考えます。外に出てる時は大丈夫なんだけど、テントに戻ったり息抜きに話をしてる時なんかは、ぐるぐるとあてどなく考えちまいます。大変な任務が多いですか?バァちゃんがまた無茶を言ってませんか?ちゃんと寝てますか?メシ、食ってますか?ダイエットなんて言ってないで、腹いっぱい食ってください。オレはそれが心配です。』



「……あんたに言われたくないっての」
 思わず口からついて出た。ラーメンなんて任地ではとてもじゃないが食べられない。「あー、一楽行きてぇ」とボヤいては隊長に窘められる姿が容易に想像できる。腕に覚えがあるのなら、自分の手料理でだらしないラーメン生活から卒業させるのも吝かではないのだが、ナルトにとって一番のご馳走が一楽ラーメンだとわかっているし、あの味を越えられる自信もない。サクラにも女のプライドがあって、失敗作なんて絶対出したくないし、作るからにはお世辞抜きで美味いと言わせたい。サクラの料理修行は、いまだ道半ばだ。ナルトに腕を披露するからには、口うるさい母を納得させられるぐらいまでにはなっておきたい。



『オレの方は、本営の近くにいい狩り場があるので、肉料理が多いです。調味料が足りないのでいつもは味気ないけど、ヤマト隊長が当番の時は、なぜかウマいのが不思議です。でも、やっぱり里のメシが恋しくなります。里に戻ったら、一楽食いに行こうな!サクラちゃんと一緒に食える日が、今から楽しみです。』



「ほら、やっぱり一楽だもの」
 日常を綴っているせいか、ナルトと会話をしている気分になる。手紙片手にぶつぶつと呟く姿は珍妙だろうが、自分の部屋なのだから問題はない。帰還して最初のデートは、きっと一楽だ。
 その下が空行なので、手紙はこれで終わり。半分は食事の話題だったが、元気にしていることがわかったので、おおむね満足だ。お疲れ様、と手紙に向かって労わりの言葉を掛けて、そのまま閉じようとする。その時、手紙の最後に一文が付け加えられているのに気づいた。



『追伸  任務も残り一ヶ月です。里の大門を潜ったら、真っ先に、君を迎えに行きます。』



「……君だって」
 いつもいつも、呼ばれる時はサクラちゃん。面と向かって「君」だなんて一度も呼ばれたことがない。普段使わない表現がさらりと出てくるのは、手紙だからだろうか。「君」という少し気取った呼び方が、ナルトの文字で綴られている。そのことが気恥ずかしくて、くすぐったい。真っ先に行くのは一楽じゃないの?なんて憎まれ口すら出てこなかった。
 文字を指でなぞると、疲れの染みついた身体から、淀んだ重みがすうっと消えていく。濁流に巻き込まれるように過ぎていく日々だが、ナルトの帰りを待つ一ヶ月は、とてつもなく長く感じられるだろう。その日を指折り数えて待ちわびるなんて、子供の頃に戻ったみたいだ。
 愛しい人が自分を攫いに来た時、くたびれた姿では興ざめにも程がある。家に帰って、着替えをして、少しでも綺麗な姿を見せてやろう。日々の張りを取り戻したサクラは、手紙を丁寧に畳んで封筒に戻すと、バスルームに向かった。




2013/10/29