残夏



残夏




 毎年、浴衣を用意して楽しんでいた夏祭りだが、片割れが任務となれば出かける気にもならず、今年は家で留守番をしていようとサクラは思っていた。その話を誰にしたのかは覚えていないが、巡り巡って彼の耳に入ったらしく、「行くならついていってやる」とわざわざ病院まで告げに来た時は、心底驚いた。人ごみが苦手で、賑やかな場所を遠ざけて生きている人だ。祭りなんて、一番縁遠い場所と言える。それでも、自分を気に掛けてくれたことが嬉しくて、「じゃあ、一緒に行ってくれる?」と気づけば口にしていた。12歳の自分が、ひょこっと首を出したのだ。
 その日の食卓で、「今年のお祭りは他の男の人と行きたい」と正直に申告すると、真向かいの顔はムッと不機嫌面に変わったが、相手の男が誰だかわかると、お許しが無事に出た。なんだか妙に心が浮き立ってしまって、準備をしている姿がいつもより楽しそうだと片割れは文句をこぼした。




 つるべ落としとはよく言ったもので、この時期、西日はあっという間に沈んでしまう。祭りの屋台が立ち並びはじめる手前のところで待ち合わせをしたが、こうも暗いと顔がわかるかどうか。下駄をカラコロと慣らしながらそんな心配をしていたが、まったくの杞憂だった。彼の人が立っている場所は、提灯のあかりがなくとも、道行く人々の目を自然と惹きつけた。これから隣を並んで歩くのだと思うと、髪の乱れや着崩れが気になってしまう。
「サスケくん、浴衣、着てくれたのね」
 そう笑って、サクラは結い上げた髪に左手をあてる。薬指には、ここ数年一度も外したことのないシンプルな指輪が嵌っていた。
「祭りだからな」
 サスケは濃紺地のかすり柄に、白い帯を締めている。立ち姿が、嘘みたいに絵になる人だ。眉間にうっすら皺が寄っているのは、いつものこと。言葉数が少なくて、口を引き結んでいるものだから、近寄るには勇気がいるらしい。
「どこに行きたい」
「花火の前に、何か食べておこうか」
「花より団子か」
「おなかがすいてたら、ゆっくり花火も楽しめないでしょ?」
 袖から腕を引き抜くと、サスケはサクラに向けて、手を差し伸べる。
「ん?何?」
「手」
 それはわかってるんだけど、と口に出そうとするのだが、サスケが先に言葉を発した。
「この人ごみじゃ、たぶんはぐれる」
「……じゃあ、遠慮なく」
 そっと手を重ねると、サスケはサクラの手を引いて歩き出す。その途端、おかしそうに笑いはじめるサクラに、サスケは怪訝な視線を送った。
「なんだ」
「ごめん、違くて、その……なんか私、すごく浮かれてる」
「いい年こいて、浮かれるもクソも、」
「サスケくんと二人でお祭りに来てる。すごい。夢みたいね」
 繋いだ手を軽く振ると、サスケはふいっと顔を真正面に戻した。照れているのだ。指なんて絡ませない、添えるだけの繋ぎ方だが、記憶をどれだけさらったところで、こんな思い出はひとつも浮かんでこない。一緒にいる時は、任務か修行かのどちらかだった。たとえ特別なことがなくても、サクラは一緒にいられるだけで嬉しかった。同じ七班だからこその特権だとすら思ったものだ。
 広場に置かれた長椅子に腰を落ち着けて、屋台で買ったお好み焼きを食べながら、瓶ラムネを飲んだ。サクラは酒を勧めたのだが、任務に出ている片割れに遠慮をしているのか、飲もうとしなかった。慣れないラムネの甘みに顔をしかめるサスケを見るに見かねて、サクラは席を立ち、ビールを買った。いか焼きも一緒に差し入れると、サスケは「すまん」と頭を下げてからビールを口にした。幼い自分が思い描いたお祭りデートでは、サスケの片手にりんご飴が握られていたのだが、何もわかっていなかったなぁと苦笑しか出てこない。
「花火、どこで見ようか」
 広場を抜けて河原に出れば、花火がよく見える。打ち上げ時間も迫っていることだし、移動するなら、今しかない。
「ここから見えないのか」
「んー……見えないこともないだろうけど……」
「ゆっくり、座って見るのもいいだろ」
 ぞろぞろと移動をはじめる人の群れを目にしながら、サクラは「そうね」と頷いた。ここからでも、花火は見える。わざわざ人の多いところに行くこともないだろう。長椅子からは次々と人が離れ、屋台の手伝いをしている子供が花火をちらちらと気にしはじめる。
「静かになったわね」
「そうだな」
「ビール、もう少し飲んだら?」
「いや、いい」
 ひゅうっと何かが流れる音に続いて、ドン!と空に花火が散る。人がまばらになったこの周辺でも、ワッと空気が沸き立った。その後は途切れることなく花火は舞い上がり、二人は夏の終わりを静かに味わった。




 花火がすべて打ちあがると、人が溢れないうちにと二人はさっさと家路に着いた。サスケの腕は浴衣の袖に突っ込まれ、サクラの手はサスケの隣をふらふらと揺れている。
「花火を見ないと、夏が終わらない感じ。毎年、見てるからかな。サスケくんは、いつも花火見てるの?」
「いや。今日、久しぶりに見た」
「綺麗なものでしょ」
「そうだな」
 興味がないと話を切られるかと思ったが、まんざらでもなかったらしい。表情が、いつもより少しだけ柔らかくなっている。サクラは口元を綻ばせて、空を見上げる。
「今日、12の頃の夢はだいたい叶ったわ。ひとつずつあげていこうか?」
「いや、いい」
「一緒にお祭りに行けたこと、サスケくんが浴衣を着てくれたこと、手を繋いでくれたこと、」
「だから、いいと言ってる」
 サスケは眉間にぐっと皺を寄せると、サクラの言葉を遮った。
「でも、私は欲張りになったみたい」
 そう言って、サクラは空に向けていた視線をサスケに移す。歩みがゆっくりと遅くなり、やがて二人は道の真ん中で立ち止まる。
「あなたは、いつまで一人でいるの?」
「……何言ってんだ、お前」
「あなたの隣に誰かがいる景色を、見てみたくなっちゃった」
 すっと顔の前に、サクラの手が近づく。避けようと思えばできるのだが、何をするのかと見守っていると、頬をむんずと掴まれた。いよいよ何がしたいのか。サスケが文句を言おうとしたところで、サクラは眉尻を下げて笑う。
「あなたは、顔で得をすることより、損をすることの方が多いみたい」
「得したことなんて、一度もねぇよ」
「そう?人に好かれるのは、いいことよ。みんな、あなたのことが好きだもの。あなたが笑えば、もっと近づいてくるわよ」
 サクラは頬から手を離すと、両手を後ろに組んでのんびり歩きはじめる。サクラの自宅までは、いくらか距離がある。
「40に届く前には、夢が叶うといいんだけど」
「お前の夢なんざ知らん」
「そう言わないで、誰かに絆されてよ」
「……馬鹿馬鹿しい」
 サスケの腕は、袖の中に収まったままだ。うぬぼれでも何でもなく、サスケが手を引こうとする女は、里中を探してもサクラしかいないだろう。それが現状だった。だけど、とサクラは思う。いつか現れるかもしれない。背中を見守るでもなく、気にせず先を行くでもなく、同じ歩幅で歩こうと思う人が。たとえサスケが望んでいなくても、サクラはその手を取る姿を見てみたかった。眉間の皺も取れて、口元には笑みさえ浮かべるサスケの顔を、なんとか脳裏に描いてみようと思うのだが、うまくいかない。だから、これは夢だ。見ることの叶わない顔を、いつか見てみたい。
「お百度参りでもしようかしら」
「本気で止めるぞ」
「じゃあ、縁結びのお守り」
「受け取るわけねぇだろ」
「あら、こっそり部屋に忍び込んで、わからないところに置いていくもの」
 通りの後方から、ざわざわと人の声が近づいてくる。のろのろと歩きすぎたのだろう、他の花火客が追いついてしまったようだ。足取りを速めながら、サスケの顔をちらりと覗き見ると、いつもより眉間の皺が深くなっている。火の国で一番ご利益のある縁結びの神様は、どこに祀られているのだろう。場合によっては同期連中も巻き込んで、お守りを手に入れなければならない。まずは、明日帰宅する予定の片割れに相談をしてみようとサクラは決めた。




2013/09/06