弁当



弁当




 週に一回、ナルトが心待ちにしているイベントがある。それは、サクラの勤務の都合により、大抵は月曜日か木曜日に起こった。朝、病院の一番端っこにあるサクラの仕事部屋に立ち寄って、窓の外からそっと中を覗く。サクラが手招きすると、ナルトは毎回、満面の笑みを浮かべて窓を開けるのだ。
 その日は木曜日。同じ週の月曜日にサクラは不在だったので、今日こそは受け取れるはずだと期待をしながら病院に向かった。「うずまきナルトが来ましたよー」と気配をダダ漏れにして、意気揚々と窓から顔を覗かせる。ほどなくしてサクラはナルトの姿に気づき、目が合うと、ちょいちょいと軽く手招きをした。窓の鍵は、開いている。
「おはようってばよ、サクラちゃん!」
 からりと鳴り響く窓のレール音に負けぬよう、ナルトは声を張り上げる。
「……おはよう」
 サクラは、ナルトの大声に眉を顰めながら窓辺に歩み寄り、脇によけていた荷物を机の上に置く。
「最近、ちょっと暑いね」
「そうね。腐らないように梅干いれといたから」
 サクラは包みを取り出すと、うずうずしながら突っ立っているナルトの前にそれを差し出した。頬を緩ませて受け取ろうとするナルトだが、サクラはといえば、さっと包みを遠ざける。
「受け取る前に、確認。お弁当食べる時はどうすんの?」
「背後を絶対取られない」
「よし。じゃあ、あげる」
 いつもの確認を済ませると、ようやくナルトの手に包みが渡される。包みの中身は、サクラの手作り弁当だった。見てくれが良いとはとても言い難いが、味はちゃんと整っているし、ナルトにしてみれば十分にご馳走と言える類のものだった。それでもサクラは、「誰にも見せないこと」をナルトに徹底させた。
「そんなに気にしなくてもいいんじゃねぇのかな。オレが自分で作ったことにすりゃいいってばよ」
「ダメよ。あんた、嘘つくの下手だもの。今日は、里の中にいるの?」
「うん。任務の下準備と、修行」
「そ。気をつけてね」
 それは、身体を心配してるのか、弁当を見られるなという意味か。勝手に前者だと思うことにして、ナルトは病院を後にした。




 里の端っこ、誰もいないベンチでそうっと包みをほどき、フタを開ける。アルミ製の大きな弁当箱の右半分にはご飯がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、真ん中に梅干が二粒乗っていた。焼き物は焦げ目がつき、卵焼きの形は不恰好。揚げ物は苦手なのだろう、入っていた試しがない。それでも、手作りの味が出ているこの弁当は、ナルトの大好物だ。手を合わせると、軽く頭を下げて「いただきます」の一言。
 陽射しは厳しいながらも、木陰のベンチは風が涼しく、心地が良い。誰かと喋りながら味わいたいところだが、人目には触れさせない約束だ。時々、「サクラちゃんに弁当作ってもらってんだぜ!」と無性に自慢をしたくなるのだが、二人きりの秘密を共有しているのだと思えば、それも辛抱できた。
 いつもより咀嚼に時間をかけて楽しんでいると、人間とは比べ物にならないほど小さな気配が擦り寄ってくる。たぶん野良猫だろう、首輪も鈴もついていない。そのくせ妙に毛艶がよくて、構ってくれる人間がたくさんいるのだと知らせていた。昼時をちょっと過ぎているから、残飯にはありつけただろうに、猫は物欲しげにナルトの足元をうろうろする。
「なんだよ、食いたりねーのか?」
 その問いかけると、猫は返事をするように、ナァと喉を鳴らした。
「……猫って、何食うんだ?魚とかかな……」
 カカシが忍犬使いなので、犬が何を食うかなら知っているが、猫となるとお手上げだ。裏側がまだらに焦げた焼き鮭を箸で割って、地面に軽く投げる。猫は警戒心を見せることなく、焼き鮭の欠片に駆け寄った。
「へっへー、うまいだろー。これ作ってもらうのに、スッゲー苦労したんだぞー。なかなか食えねえんだから、しっかり味わえってばよ」
 猫相手なら、問題あるまい。自慢する相手をようやく見つけたナルトは、弁当箱の中身を猫に見せつけながら、弁当にありつくまでの長い道のりを語って聞かせる。最初はてんで相手にされなかったというのに、よくぞ頑張ったと自分を褒めてやりたい。
「……そんでさ、サクラちゃんにはワリーけど、弁当なんて作れないって言えないとこまで追い込んで、『じゃあ作ってやるわよ!』って言葉引き出した時には、もう!『絶対だぞ』って何度も念押してさー。最初に作った時も、なっかなか渡さないの。『やっぱやめる』とか言い出すし」
 この時点になると、がっついたら負けなのだとナルトも気づいていて、「食べ物を粗末にするのは勿体ないよ」と冷静な顔を装い、弁当を受け取ることに成功した。いつもはド直球のナルトが変化球を用いたのは、あれが初めてだ。
「ほんと一筋縄じゃいかねーっつうか……。まー、そこが可愛いんだけどねー!」
「おっまえ、すげえ弁当食ってんなー」
 その声に、背筋がぞっと凍る。猫相手にのろけ話をしているのを聞かれたのも赤面ものだったが、それ以上に弁当を見られたことは致命的だった。
「そんな悲惨な卵焼き、見たことねぇぞ」
「い、いいじゃねぇか!卵焼きが食べたかったんだってばよ!」
 見られたからには意味がないのだが、律儀にフタで弁当を隠しながら、ナルトはキバに返す。自分で作ったことにしないと、サクラに怒られる。それだけならまだしも、弁当を作ってくれなくなってしまう。
「うまく巻けねぇなら、卵焼きじゃなくてゆで卵にしろって、サクラに伝えとけ」
 キバの口からサクラの名前が出てきたことに動揺して、フタがガタリと鳴る。
「ちっげえよ!オレが作ったの!」
「……お前ん家、フライパンねぇだろ」
「最近買ったの!とにかく、これ作ったの、サクラちゃんじゃねえからッ!」
 必死に否定すればするほど、サクラが作ってくれたのだと主張をしていることになる。それにナルトはまるで気づかない。
「あー、わかったわかった。それでいいから、とにかく伝えとけ。茹でるぐらいなら、あいつもできんだろ」
 面倒くさそうにそう返すと、キバはベンチから離れていった。
「誤解すんなよ、キバ!」
 遠ざかる背中に向かってそう叫ぶと、キバは水気を払うような適当さで、さっと手を振った。キバの口が思ったより堅かった、という展開を期待するしかない。ゆで卵の件は、サクラに伝えるべきか。少し甘めの卵焼きが大好きなナルトにとって、仕上がりの形はどうあれ、食べるのが楽しみな一品だった。
「……色々と台無しだってばよ」
 ナルトのぼやきなど、どこ吹く風。鮭をぺろりと平らげた猫は、前足を舐めては、その顔にこすり付けている。悠然と毛づくろいをはじめる猫を恨めしげに見つめながら、ナルトは弁当の残りをつつきはじめた。




2013/08/17