「もし、そこのお若いの」 一人の年寄りが、道を急ぐ青年に声を掛ける。 「……僕ですか?」 「そうそう、お兄さん。ちょっとこれを見てくれんかね」 手招きをすると、青年は迷うそぶりもなく年寄りの元に駆け寄った。 「ここに行きたいんじゃが……わかるかのう。さっきから迷ってしまって」 「地図をお借りしても?」 「もちろん」 青年は手書きの地図をそっと受け取ると、顎に手を当てて悩みはじめる。その様子を見て、年寄りはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。 腰の曲がった爺様に変化しているのは、ナルトだ。先ほど蓄積した影分身経由の情報で、サクラに惚れているという役人の姿形は掴んでいた。足止めがてら、人となりを見てやろうというわけだ。一般人に、忍の変化が見破られるわけがない。 「知っている施設が書き込まれていますね。そこを起点にして歩いてみましょう」 「なんと、案内してくださると!」 「もちろんです」 ニコリと笑って、進行方向を指差した。その動きはゆったりしていて、さながら育ちの良い坊ちゃんという感じだ。もしかして、生まれながらのエリートなのかもしれない。年寄りの歩く速度に合わせて、ゆっくりと歩く。 「お急ぎではないのかね?」 「いえいえ、平気ですよ」 お前、サクラちゃん追っかけて抜け出したろうがよ、とナルトは心の中で突っ込んだ。息をぜえぜえ切らせて走っているのを、別の影分身が見ていた。必死に手足を動かしているわりにちっとも前に進まず、体力はあまりなさそうだった。 「この角を曲がると、あるはずですよ。あれ?おかしいな……」 バッテン印が記された建物は、空き地だ。地図上ではあるはずの施設が、見当たらない。 「うーん、ここがアカデミーで、火影屋敷がここ。合っているはずなんだけど」 その通り、地図は合っている。目的の建物が、最初っから存在しないだけだ。第一の目的は足止めなので、適当にでっちあげた地図を持たせて迷わせた、というわけだ。地図に書かれた目的地が実在したら、ナルトの方が驚く。 その後、青年は、アカデミーを起点に一度、火影屋敷を起点にもう一度、地図を片手にうろついた。きょろきょろとあたりを見回し、地図が合っていることを確認し、あるわけがない目的地を目指して歩く。 「……大丈夫ですか?お疲れでしょう。弱ったな、建物が見当たらない」 年寄りに変化したナルトを気遣いながら、困り果てた顔で地図をじっと見る。そんな青年の様子を眺めながら、ナルトは思った。 こいつ、イイ奴だ。しかも、ちょっとじゃない。すごくイイ奴だ。 本当はすぐにでもサクラを追いかけたいのに、困ってる人を放っておけないのだ。この人柄に、サクラは絆されかけたのだろう。もしも自分なら「オレってば急いでるから!」と言い残して置き去りにしてしまうかもしれない。目の前のことだけに全力を注ぐのではなく、ちゃんと周りが見える奴だからこそ、サクラも突き放せないのだ。 大事なのは、誰が一番サクラのことを好きなのか、ではない。誰が一番ふさわしいかだ。火影になったら有無を言わさず連れ去るつもりなのだが、五大国の里長ともなるとその道はなかなかに険しく、候補に名前が上がるだけに留まっているのが現状だ。適当な地図をでっちあげて足止めをして、任務でもないのに人を騙くらかす奴が、火影になんてなれるものか。なんとも後ろめたい気持ちに襲われ、ナルトは顔を俯ける。 「こんにちは」 物思いに耽っていたため、気配が近づいたことにまるで気づかなかった。少し離れた場所に、サクラが立っている。 「……春野先生!」 弱り顔で紙片とにらめっこしていたはずの青年だが、一気に晴れやかな表情になる。自分もサクラを見つけた時、こんな風になるのだろうか、とナルトは思う。まるで合わせ鏡だ。 「道に迷われたんですか?」 年寄りに変化をしたナルトに視線を移し、サクラが尋ねる。 「へ?あ、ああ、そうなんです!」 「私はこの里の忍です。道案内ならお任せください」 「あ、あの!」 自分の存在を主張するように、青年が大きく声を張り上げた。サクラはそちらに目を向けて、穏やかに微笑んだ。青年の頬が、傍目からでもわかるぐらいに真っ赤に染まる。 「病院に向かわれる途中ですか?」 「ええ……まあ」 サクラの問いかけに、青年はもそもそと答える。ナルトには、青年の心中が手に取るようにわかった。サクラ目当てに病院の世話になろうというのだから、歯切れが悪くなるのも当たり前だ。 「診察、ちゃんとしますから。私は、午後から勤務なので」 「そうですか!では、午後一番に伺います!」 パッと顔を輝かせると、青年はぺこりと頭を下げてから、曲がり角の向こうに消えていった。気配がすっかりなくなったところで、サクラは傍らに立つ年寄りの手から紙片を奪い取る。 「元に戻りなさい」 バレていたか。ナルトは無言で術を解く。ぼふんと煙が上がり、年寄りだったはずの人影は、忍服姿の男になる。 「どういうつもり?こんな出鱈目な地図こしらえて。シカマルが血相変えて私のこと追いかけてきたわよ」 もっとギャンギャン怒鳴られるかと思ったら、サクラはしょうがないわねと言わんばかりの顔で、取り上げた紙片をただ見ている。もっと感情的になってくれて構わないのに、なんだか突き放されたみたいで寂しかった。隣に立っているのに、サクラがずいぶんと遠くにいるような気がする。 「オレ、やだなあ」 「……何が?」 「サクラちゃんが誰かのものになっちゃうの、やだなあ」 サクラはわずかに目を見開いたが、やがてふうと息を吐くと、地図を持った手を腰に当てた。 「私は時々、あんたが手の掛かる弟みたいに思える時があるわ」 「……弟じゃねってばよ」 「知ってるわよ」 ほら見ろ、自分達はどうしようもなくすれ違っている。実弟ではないと否定したわけではない。ただの弟だったら、こんなに好きにならないのに。家族愛というものがナルトにはよくわからないが、一つ屋根の下で暮らす人間にこんな感情を抱いてしまったら、日常生活が回らなくなる。純情と邪の間を行ったりきたり。とてもじゃないが身が持たない。 「結婚すんのか」 「だから、しないって」 「ほんとにか」 「私、まだ十八よ?やりたいことは山ほどあるし、そういうのは、もう少し後でいいわ」 もしするんなら、オレとしてくんねぇかな。喉から飛び出そうになる言葉を、慌てて引っ込める。一緒に暮らしてくれっていうのも、たぶん言っちゃダメなんだろう。手の掛かる弟みたいだというサクラの一言が、腹の中でずっしりと重く居座っている。 好きなんだ、といっそのこと告げてみたら、一体どうなるのだろう。「私もよ」と笑って返されて終わりになったりして。どこかでボタンを掛け違えたまま、平行線を永遠に辿るのかもしれない。 「オレ、ずっと言いたかったことがあるんだけど」 「どうしても、今?」 そういえば、午後から病院だと言っていた。急いでいるのだろう。昼飯を食わないままハードな勤務なんて、まさかさせられない。 「今じゃなくても……いい」 「そ。なら後日改めて聞かせてもらうわ」 でも、言いたいなあ。どうしようかなあ。今じゃなくていいと言ったくせに、ナルトはサクラを引き止める方法を探って、もたくさする。 「ひとつだけ言っておくとね、私、昔と比べて気が長くなったの」 ナルトは眉をこれでもかと寄せて、ぐりんと首を横に倒す。サクラはそんなナルトの頬に手を伸ばし、ぺしぺしと叩いた。 「ま、意味は自分で考えなさい。じゃあね」 サクラは綺麗な笑みを残して、病院の方角へ去っていった。意味をウンウン考えていたが、腹の虫がぐうと鳴り、服の上からごしごし摩る。どうせなら、昼飯に一楽に誘えばよかった。それぐらいなら、今だってきっと言ってもいいのだろう。 ※たまにはもたもたしてる二人を書くのもいいかな、と思って。 2013/07/15
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