階段



階段




 サクラは家を飛び出すと、一目散に火影岩のふもとへと向かった。ひどい胸焼けを起こしたようなムカムカとした感情は、身体をいくら動かしても消えてくれなかった。人気のない道を選んで、火影岩の脇に備え付けられた階段に辿り着くと、一段飛ばしで駆け上がり、いつもの場所を目指した。
 奇妙な世界でナルトと二人、途方に暮れた場所。その後に一人きり、孤独を噛み締めた場所。
「……あ」
「あれ、サクラちゃん」
 階段の踊り場には、先客がいた。ナルトが眉を少し持ち上げて、こちらを見ている。一瞬動きを止めたサクラだったが、このまま引き返すのも何だか気まずい。最後の三段を昇りきると、一人分の距離をあけてナルトの左隣に並んだ。
「また喧嘩でもした?」
 ニシシと笑って、ナルトが問いかける。うまく表情が作れないサクラは、ふいっとそっぽを向く。幻術が作り上げた世界とはいえ、両親と幸福な時間を過ごしたナルトには、家族の綺麗な部分だけを残してあげたかった。家族っていいものだよ、そう思わせたかった。
「いつも一緒に居ると、色々あるんだろうなぁ」
 手すりに身体を預けて、ナルトが呟く。以前の自分なら「わかったようなことを言うな!」なんて八つ当たりをしたかもしれないが、そんな振る舞いをする気にはもうなれない。
「向こうの母ちゃん、すっげえ怖かったし。母ちゃんのあだ名、赤い血潮のハバネロっていうんだと。怒らせるとおっかねえのなんの。父ちゃん、超ビビってたし。オレだって、喧嘩のひとつもそりゃしただろうと思うよ、うん」
 喧嘩しちゃダメだってばよ、なんて諭されると思ったのに。母親に自分のやり方を否定された後だからだろうか、ナルトの言葉が嬉しかった。
「……どうしても、ダメなのよね」
「うん?」
「大事だって、わかってるの。あの世界で過ごした時間が、それを私に教えてくれた」
 迎えにきてくれた両親に飛びついた時の気持ちは、今だって忘れてはいない。生きていてくれてありがとうと、心の底から思う。
「でも、うまくいかないんだー」
 サクラは手すりに両腕を組んで乗せると、その上にこてんと頭を横たえる。家庭の悩みをナルトに打ち明けるのは、これが二度目だ。最初は、公園でマダラに遭遇する前。逆転世界を体験した今となっては、とても零す気になれない類の愚痴を、延々垂れ流した。それまでは私生活に一切触れさせなかったというのに、あの時は腹の虫がどうしても収まらず、手前勝手に不満をぶつけてしまった。今だって同じことをしているはずなのだが、その胸中はまるで違う。攻撃的で尖った感情が、丸みを帯びている。
「何かあった?」
「すっごいしょうもないことなんだけどさ、」
 横たえた顔を、真正面に戻す。ちらっと隣を見れば、ナルトはほのかに笑みを浮かべながらこちらを見ていた。あの世界から戻って一番変わったのは、ナルトとの距離かもしれない。ずっと閉ざしていた扉がいつの間にかナルトに向かって開かれていて、今までの自分たちからは考えられないほど踏み込んだ話をするようになった。
「部屋の片付けをするタイミングが、どうしても合わない」
「……ごめん、言ってる意味が全然わかんねぇ」
「だからさ、私は非番の日に布団干したり、机の掃除したり、全部まとめてやりたいの!だけど向こうは、毎日少しずつやらないからだって、人を怠け者みたいに……」
 とにかくあの母親は、頭ごなしに否定から入る。人の言い分を聞こうとしない。言っていることがたとえ正論だとしても、感情を逆撫でされて、最終的にはいつも喧嘩になる。父は傍観を決め込んでいて、茶々を入れる時は決まってダジャレだ。その後は部屋に閉じこもるか、家を飛び出して終わり。
「それがきっかけで、大喧嘩」
「……ほんとにしょうもねえな」
「そうよ、こんなのばっかり」
 そう言って、サクラは溜息をついた。我ながら、本当に呆れる。火影の弟子になった。中忍にもなった。死線を何度も乗り越えた。一人前の忍者の顔をしているけれど、家庭に戻れば感情のコントロールもできない子供に逆戻りだ。
「優しくなりたいな」
「ん?」
「もっと、優しくなりたい」
 母親の小言を笑って受け止めて、父のダジャレにもちゃんと付き合って、あの世界のナルトと両親みたいに、三人笑って暮らしたい。この世界に戻ってきた時には、ちゃんと大事にしようと誓ったはずなのに、また同じことを繰り返している。成長の見えない自分自身が嫌になる。
「サクラちゃんは、優しいでしょ」
「……そんなこと、少しも思ってないくせに」
「だってさ、オレをあの世界から無理やり連れ出そうとはしなかった」
 その言葉を聞いて、サクラはナルトに顔を向ける。
「やろうと思えば、できたはずだよ。いつもみたいに、耳引っ張ってさ」
 ナルトはニッと笑いながら、自分の耳たぶを指差す。あの世界の飛ばされる前にも、公園までナルトを引きずって歩いた。やっぱり自分は優しくないと、サクラは思う。
「喧嘩すんのもいいんじゃね?一人じゃ喧嘩もできねぇしさ。ま、オレはできるけど」
「どういうこと?」
「影分身同士で、時々喧嘩すんだ。カカシ先生とヤマト隊長と三人で修行した時、影分身とやり合ったぜ?一番修行が進んでるのは、オレだ!いや、オレだ!なーんてさ。全部オレだっつーの!」
「……何それ」
 ぷっとサクラが吹き出すのを合図に、二人は肩を小刻みに揺らしながら笑い合う。
「喧嘩ぐらい、誰でもするよ」
「そっかなあ」
「そうだよ」
 本当に優しいのは、誰だろう。それは自分じゃない。優しいのは、ナルトだ。本物の孤独を知り、乗り越え、その果てに親子喧嘩の愚痴さえも笑って受け止める。ナルトと話をすることで、いつの間にか心が解れていることに、サクラは気づいていた。
「ね、」
「ん?」
「なんでここに来たの?」
「やー、なんでかな?一楽でメシ食って、知ってる奴らと立ち話して、ふらふら歩いてたら、なんとなく、ね」
「ふーん」
「時々、ここに来るんだ。里の様子がよく見えるじゃんか。みんな、ちゃんと生きてんなーってわかるから」
「じゃあ、今度から私も誘って?」
 よくわからない、という顔でナルトは首をわずかに傾げた。
「ここから、一緒に里を見たいなって思ってさ」
「……朝早いかもしんないよ?」
「私はあんたより早起きだもの」
「真夜中かもしんないよ」
「別にいいよ」
「じゃあ、誘っちゃおーっと」
 へへっ、とナルトは嬉しそうに笑った。この場所は、なんだかいい。とても落ち着く。気持ちが柔らかくなる。折り合いの悪い両親にも、ちゃんと優しくできそうな気がする。このままもう少しナルトと話をして、家に帰ろう。両親の顔を見て「ただいま」と言って、掃除のひとつもしてみよう。
 その後は、「向こうのカカシ先生とガイ先生、凄かったね」と二人で笑い合い、どんな指導をしてるんだろうかと、あれやこれや想像を膨らませる。そのまましばらく無駄話に花を咲かせて、夜の風に吹かれた。




※何かあったら、二人はこの階段で語り合うんだと思う。二人にとって、色んな思い出が詰まった場所。




2013/06/01