悪人



悪人




「おかえりー。あれ?」
 出迎えに顔を覗かせたサクラは、玄関で佇むカカシの姿を見るなり、動きを止めた。武装をしたカカシの足元を、子犬が纏わりついている。
「……新しい忍犬?」
「いやあ……そういうわけじゃないんだけど、ね」
 弱り顔で、カカシはがしがしと頭をかく。
「なんだか、ついてきちゃうのよ」
「じゃあ、飼うわけ?」
「うーん……このまま放っておくのも、ねえ」
 ウチじゃ飼えないよ、といくら言い含めても、子犬はご機嫌な顔でカカシの後ろをついてくる。近いうち、飼い主募集の貼紙を出すことになるだろうな、とカカシは覚悟をしていた。
「とりあえず、牛乳でもあげてみよっか」
「悪いね」
 サクラはスリッパをパタパタ鳴らして台所へ向かい、カカシはサンダルを脱ぐと、尻尾をちぎれんばかりに振っている子犬をそっと抱きかかえた。忍犬としての適性があるかどうかは大いに疑問だが、汚れた足で家の中を走り回らなかったことだけは、誉めてやりたい。
「庭、行ってるよ」
「うん。私もすぐ行く」
 声に続いて、がしゃん、と奥から音が聞こえる。冷蔵庫を開けたのだろう。カカシは縁側に出ると、地面に子犬をそっと立たせて、自分は縁板の上に腰を落とした。庭に出したというのに、子犬は駆け回るでもなく、つぶらな瞳でカカシを見上げている。
「お前、おとなしいんだか積極的なんだか、わからないね」
 頭を撫でていると、サクラが牛乳瓶を片手にこちらへ近づいてきた。カカシの隣にしゃがみこみ、きょろきょろと庭を見渡す。
「お皿、どこにあるっけ」
「うん。ちょっと待ってな」
 カカシはサンダルに足をつっかけて、庭の片隅に転がっている忍犬用の餌皿を拾い上げた。足元を見下ろすと、やっぱり子犬がくっついている。
「へー、ずいぶんと懐かれたわねー」
「……どうしたもんかねぇ」
 サクラの元に引き返し、腰を落ち着けると、足元に餌皿を置いた。それを受けてサクラは、餌皿の中に牛乳を注ぐ。子犬は「飲んでいいの?」と尋ねているのか、期待に満ちた瞳で二人を見上げた。カカシは眉を下げ、サクラは「どうぞ」と笑いながら牛乳の入った餌皿を子犬の方へと寄せる。その仕草で、ようやく子犬は餌皿に顔を近づけた。ぴすぴすと鼻が小刻みに動く。ちろりと牛乳を舐めると、腹が減っていたのだろう、その後は夢中で牛乳を飲み続けた。
「君も人を見る目がないよね」
 サクラが子犬の頭に手を伸ばす。子犬は触れられることを嫌がるでもなく、おとなしく撫でられた。警戒心というものが、あまり備わってないらしい。
「この人はね、わるーいおじさんなの。わかる?」
 オレのことですか、とカカシは心の中で呟いた。てっきり、飼う意思のない家にくっついてきたことを言っているのだとばかり思っていた。矛先がいきなりこちらへ向いたことに、冷や汗が出る。
「可愛がられると思ったら大間違いよ?手裏剣やクナイが飛び交う戦場に、平気で呼び出してコキ使うんだから。君、延々走らされちゃうかも」
 ぐうの音も出ない。犬使いとはそういうものだし、呼び出す側は使役動物の都合なんて、一切考えやしないのだ。
「ま、人間相手だって、つきあい上手とはとても言えないけどね。ボーッとしてるし、ものぐさだし。元部下がどれだけ慕っても、うんともすんとも靡きやしない。振り向かせるのに二年もかかっちゃった。こーんな可愛い部下の好意をすげなく突き返すなんて、ほんっと酷いと思わない?」
 これは、一時撤退が賢明だ。こちらには武装を解くという理由もある。サクラに感づかれないように、カカシはそっと腰を持ち上げた。しかし。
「で、都合が悪くなると、すーぐ逃げる」
 カカシは再びサクラの隣に腰を落とし、背中を丸める。そのうち君、へのへのもへじ柄の変な布を巻かれちゃうわよ、だの。君の先輩は八匹もいるんだから、こき使われちゃうかも、だの。さらにはカカシと付き合いたての頃の苦労話まで、サクラは子犬に向かって延々と語り続けた。この気まずい時間はいつまで続くのだろう。そう思いながら、カカシはじっと耐え忍んだ。
「でも、気に入っちゃったんなら、しょうがないよね」
 サクラは、独り言のようにぽつりと零した。
「ねえ、先生」
「……うん」
 何を言われるのかとビクビクしていたのだが、降ってきたのは予想外の言葉だった。
「この子、うちで飼う?」
「ええ?」
「先生のこと、ご主人だと思ってるわよ、この子」
「まあ、うん。懐かれてるな、とは思うけど……飼えるのか?」
「私は平気。あとは先生次第」
 カカシは黙りこくったまま、うんうんと悩む。サクラは膝の上に頬杖をついて、カカシの答えをじっと待つ。
「……うち、来るか?」
 その声に、子犬は餌皿から顔をパッと持ち上げ、キャン!と嬉しそうに一声鳴いた。
「じゃあ、決まり。君はもう、私たちの家族ね」
 犬の飼い方なら手馴れたものだが、忍犬にするつもりもない犬というのは、経験がない。
「躾って、どれくらいやればいいのかね」
「さあ?戦場で動く必要がないってことを考えて、判断するしかないんじゃない?」
 その後は、名前をどうしようかと話し合い、明日にでも小屋を作るかと結論がついた。




2013/06/23