玄関



玄関




「あら、先生。いらっしゃい」
「うん」
 自分を出迎えるサクラの声に、カカシは言葉少なに頷いた。
 里に居る間、サクラは病院で忙しく立ち振る舞い、カカシは上忍待機所に詰めている。その接点の少なさから、二人はすれ違いになることが多い。里中で会話をするどころか、姿を見かけることさえ稀だ。こうしてサクラの一人住まいを訪れる回数だって、そう多くはない。そういうわけで顔を合わせるのは久々なのだが、サクラは昨日会ったばかりかと勘違いしそうなほど、あっけらかんとした態度でカカシと向き合った。
 玄関の前に立ったまま微動だにしないカカシを前に、サクラは大きくドアを開ける。その仕草を受けて、カカシはようやく一歩踏み出した。その腰元から、ガサリとビニールの擦れる音がする。
「ああ、これな。土産」
「……ありがと」
 ついっと袋を差し出せば、少しの戸惑いを浮かべながら、遠慮気味にサクラは袋を受け取った。中身はあんみつだ。閉店間際の甘味屋に駆け込んで買ったのだと言ったら、サクラは信じるだろうか。手土産がないと部屋に上がらせてくれないわけではないのだが、なんとなく手ぶらでは入りにくくて、いつも頼りにしてしまう。いわば、カカシの保険だ。
「毎回、いいのに」
「まあ。でも好きでしょ?」
「そりゃね」
 毎回は、少し重かったか。マメな方が好まれるかと思いきや、そうでもないらしい。若い子の扱いがどうもわからず、カカシはしばしば往生する。特定の女と先のことを考えて付き合うのは生まれて初めてなものだから、全部が全部、手探りだった。かつての恩師は自分の行く末を案じていたが、元部下を相手に右往左往している今の姿を見たら、楽しそうに笑うだろう。それはきっと、幸福な笑顔だ。
「オレも、最近になってあんみつの良さがわかってきたところだ」
「ならいいんだけどさ」
 後で一緒に食べよう。そう口にしかけたカカシだが、サクラの言葉はそれだけでは終わらなかった。
「でも先生、あんまり畏まらなくていいのよ?手土産はともかくとして、毎回ちゃんと律儀に玄関から入ろうとするんだもの。いい加減、肩凝るでしょ」
「……うん?」
 言っている意味がよくわからず、カカシは頭をやや右に傾ける。髪の毛がその動きに合わせてふさりと揺れた。
「あのね、ちゃんと知ってるから。先生、ナルトやサスケくんの家には、窓から入るんだって。正直言ってよくわかんない習性だけど、まあ、先生も忍のキャリア、長いしね。何か理由があるんでしょ」
 残念ながらというか、特に理由などない。己の懐に入れた生徒だし、と横着を繰り返しているだけだ。そういう怠慢な自分が、この家を訪れる時にはきちんと玄関の扉をノックしているその理由にこそ着目して欲しいのだが、どうにもままならない。
「だからさ、別にいいよ?」
「なにが」
「わざわざ玄関から入らなくても、ベランダからで」
 気兼ねなんていいから、とでも言いたげな顔で、サクラはそう告げた。
「いやあ、そういうわけにも、」
 好いた女の家だからこそ、ちゃんと玄関から入ろうと思うのだ。そう説明すればサクラは納得するのかもしれないが、それを口に出す踏ん切りは、なかなかつかない。中年男に高いハードルを設定するなあ、とカカシは弱り顔で黙りこくる。
「なぁに遠慮してんのよ。先生と私の仲じゃないの。今日はベランダから入ってみたら?いつもより寛げるかもよ」
 サクラはカカシの腕を掴むと、ぐいぐいと身体を外に押し出した。戸惑うカカシをよそに、一階に続く階段を指差してから、笑顔で手を振る。
「えっと、あのな、」
 その弱々しい声は、玄関のドアを閉める音と重なり、ピシャリと遮られる。言い訳をする隙間もなく、とうとう玄関を締め出された。
「あー……ベランダ、ね」
 首の後ろを撫でながら、先ほど昇ってきたばかりの階段を、力ない足取りで降りていく。建物に沿ってぐるりと反対側に回りこみ、最近手入れをしたばかりと思われる綺麗な植え込みの間をするりと抜ける。ハァと溜息をついてから、とん、と地面を蹴って、サクラの部屋のベランダに着地する。遮光カーテンが勢い良く引かれ、満面の笑みと共に、掃き出し窓がカラリと開いた。
「いらっしゃーい」
 やたらと明るい声が月夜に響き、もう自分に選択肢がないことを、カカシは悟った。しかし、ここで引いてしまったら、この先ずっと、ベランダが自分用の出入り口になってしまうだろう。それでは、まるきり不審者だ。
「なあ、サクラ。やっぱり玄関から……」
「だーから遠慮しないでって言ってんでしょ?」
 バシンと二の腕を叩かれる。痛い。これ以上しつこく言えば、怒り出しそうな雰囲気だ。やっぱり、本心を告げるしかないんだろうか。途端に喉を詰まらせるカカシにくるりと背を向けて、サクラは奥へ引っ込んでしまう。このまま突っ立っていても埒が明かない。
「……参ったねぇ、どうも」
 カカシは眉尻を情けなく下げて、サンダルを脱いだ。




2013/04/20