「はー、飲んだ飲んだー!たーのしいなー」
 覚束ない足取りで夜道を歩きながら、いのがはしゃいだ声を出す。しばらくぶりに酒でも、と話がまとまり、シカマルが馴染みにしている店でしこたま飲んだ帰り道だった。千鳥足でふらふら歩くいのを見守るように、シカマルは後ろをくっついている。
「ほれ、気ぃつけろ。垣根にぶつかんぞ」
「はーい、気をつけまーす。しっかしさー、なーんでチョウジいないかなー、こーんな楽しいのにさー」
「しゃーねえだろ。任務入っちまったんだから。また三人で飲もうぜ。あいつ、またいい店見つけたらしいぞ」
「え、そうなの?すっごい楽しみー。チョウジのオススメって、ハズれた試しがないもんね!お、ベンチ発見。少し休んでこーっと」
 言うが早いか、ててっと駆け寄ると、どっかりとベンチに座る。いのの自由奔放な振る舞いに、シカマルはがしがしと頭をかきながらも付き合うことにした。その程度の寄り道なら文句を言う気がしないくらい、今日は楽しかった。
「水、飲んだ方がいいんじゃねーの?」
 いのの隣に腰掛けながら、シカマルは首を前方に振る。少し離れた所に、石造りの水飲み場があった。何か容器でもあれば汲んでくるのだが、あいにくと持ち合わせていない。
「ちょっと休めば大丈夫。家帰ったら、ちゃんとたくさん飲むから」
「酒、明日に残すなよ」
「うん。明日から情報部詰めだからねー。ホント、人遣い荒いんだから」
 また、負担の大きい任務を任されているのだろうか。ちらりと隣の様子を窺えば、本人はいたってけろりとしている。いのは、その手の愚痴を吐きながら酒を飲むことがなかった。腹に抱えている様子もないし、発散させるのが上手いのかもしれない。
「今日さ、たくさん話せてよかったよ。最近は違う任務ばっかりだし」
「おー、そうだな」
「シカマルの寂しい独身生活をなんとかしないとなー、と気持ちを新たにしたね!」
「ほっとけ」
「フツーの女、紹介したげようか」
「……遠慮しとく」
 日付が変わるまでだらだらと店に居続けて、特に身のある話をしたわけではないが、シカマルの胸には不思議な充足感があった。先ほどの言葉から察するところ、その点はいのも同じなのだろう。昔馴染みとじっくり話をするというのは、知らずに溜まってしまった鬱憤を浄化する作用があるらしい。アスマとの思い出をあんなに長く語り合ったのは、久しぶりだった。チョウジの姿を恋しく思ういのの気持ちは、よくわかる。あいつもここに居たらいいのにな、とふと思う瞬間が、シカマルにもあった。
「私、山中でよかったなー」
「なんだ、急に」
「ん?言葉通りだよ。山中でよかった」
 ほのかに笑いながら、いのは言う。シカマルはといえば、もしも奈良以外の能力を持つなら山中一族だけは御免だ、なんてことを密かに思っていた。他人の記憶を覗くという極めて特異な術は、弊害も多い。里のためにと火中の栗を拾い続け、神経だけが痩せ細っていく。
「だってさー、秋道だと体型気にしちゃうし。奈良はさ、ほら、鹿の世話とか文献の整理とか、色々めんどくさそー」
 人差し指を中空にふらふら漂わせて、いのはおかしそうに続ける。
「管理する敷地も広いしさー。あんたみたいなめんどくさがりが、よく奈良一族なんてやってるよね」
「オレも思う」
「やっぱり山中だなー、私は」
 しみじみと呟くいのの声を聞いて、シカマルは泣きそうになった。あれはいつのことだったか、シカマルは任務中にいのを抱きしめたことがある。かなりキツい記憶を覗いたのだろう、衰弱しきった真っ青な表情で、装置の補助もないのに情報を探り続けようとした。まだもう少しやれるから。いのはそう言って、ぶつぶつと独り言を呟く廃人の頭を覗こうとする。そんないのを、シカマルは必死で止めた。
 もうやめろ、お前の心がダメになる。
 いくら言って聞かせても、いのは廃人の頭に手を伸ばそうとした。こんな状態になってもなお、能力を行使しなければならない。忍という因果な商売を、そして一族の血を、シカマルは呪った。
「シカマルがいて、チョウジがいるんだもの。山中でよかった!」
「オレも、お前が山中一族でよかったよ」
「そう?ほんとにそう思う?うれしーなー」
 偽りのない本音を口にすると、いのは嬉しそうにはしゃいだ。お前以外に、考えらんねーだろ。山中なんて、お前じゃないとやってらんねー。優秀な忍は数居れど、他の人間に勤まるわけがないと、シカマルは信じている。
「お前、最高だよ」
 口の中でもごもごと呟いた小さな言葉は、いのの耳に届かなくてもよかった。こんなのは自分の柄じゃない。隣にいのがいて、チョウジがいる。この時代の猪鹿蝶が、歴代ナンバーワンだ。今なお背中を追い続けている先代だって、この三人ならば超えられそうな気がする。いや、いつか超えてやるんだと、シカマルは密かに誓いを新たにした。
 その時だ。すっと頬に柔らかな感触を覚えて、シカマルは目を丸くする。いのの唇が頬に触れたのだと気づき、驚きを隠すことなく隣を見た。酒のせいで少し赤い頬をそのままに、いのは笑っていた。
「へっへー、感謝のしるし!」
「……おう」
 たちまちに顔が赤くなる。曇りがちな夜だったことが幸いした。顔を俯けていれば、気づかれないはずだ。頬にキスなんて子供みたいなことで喜ぶのは自分でもおかしかったが、それでも嬉しかった。自分たちが紡いできた絆が形になって返ってきたことに、じんとした。やべえ、本当に泣きそうだ。
 そこで、ふと思う。先ほど胸の内で呟いた言葉を、きちんといのに届けてやるべきだろうか。今更すぎてひどく照れくさいのだが、ちゃんと形にして返してやったら、こいつは一体どんな顔をするだろう。シカマルは地面を睨みながら散々迷ったが、意を決して顔を持ち上げた。しかしいのはシカマルが口を開くのを待たず、ふいっと反対側に顔を向ける。
「どれ、チョウジにもしたげよっかなー」
 いのは一拍遅れて首を傾げると、きょろきょろと周囲を見渡した。
「……あれ?なんでチョウジいないんだっけ」
「だから……任務だよ」




2013/4/10