犬猫



犬猫




 ナルトは髪を洗うのが下手だ。それを知ったのは、いつだったか何かの流れで一緒に風呂に入った時のこと。湯船に浸かりながらナルトが髪を洗う様子をなんとなく眺めていると、それがまた酷かった。髪全部を泡立てないまま、さっと流してしまう。しかも、目にシャンプーが入るのが嫌だから、という非常にくだらない理由で。それ以来、サクラは気が向くと、ハーフパンツにTシャツという軽装に着替えて、ナルトの髪を洗ってやることにしている。それは主に長期任務後と決まっていた。本人も髪を洗ってもらうのが好きらしく、風呂に入る前などはあからさまに浮かれている。任務の後にそういったささやかな楽しみを用意しておくのもいいだろう。
「入るわよ」
 そろそろ頃合かと浴室のドアを開けば、腰にタオルを巻いたナルトがおとなしく風呂椅子に座っていた。準備万端です、とその背中が語っている。
「……髪ぐらいお湯で流しておきなさいよ」
 サクラは文句を口にしながら、お湯と少しの水を出してシャワーの温度を調整する。今回は、そこまで体力を削られる任務じゃなかったはずだ。忍服も綺麗なものだったし、顔つきにも疲れは残っていない。
「えー、全部やってもらうのが気持ちい……ぶわっ!」
 甘えてくるその顔にお湯を引っ掛けてから、髪全体を濡らした。蛇口を締めて、シャンプーを手に取る。サクラは、他人の髪を洗うのに慣れていない。下に妹や弟がいるなら風呂に入らせる機会もあっただろうが、あいにくと一人っ子だ。それでも適当にやっていればなんとかなるだろうと思いながら、いつも洗ってやっている。ナルトから不満の声はないし、力加減もこんなもので良いのだろう。
「ふーん、今回はあんまり汚れてないわね」
 がしがしと髪を泡立てながら、サクラは言う。任務によっては泥まみれになったり、砂埃がひどかったり。砂漠を歩いた後なんかは、忍服やサンダルに入り込んだ砂を取り除くのにも苦労する。砂隠れの忍はあれが日常茶飯事なのだから大変だ。
「かゆいところはございませんかー、お客さまー」
「全部!」
 ふざけて美容室の口ぶりを真似をすれば、さらにふざけた声が返ってきた。調子に乗るなよ、このヤロー。そう思いはすれども、その手に力が入ることはない。
「……はいはい、まんべんなく洗えってことね」
 こいつは、なんでこうも髪を洗うのが下手なんだろう。サクラはそう思いながら、洗った箇所をもう一度繰り返しなぞるように洗う。小さな頃からいたずら三昧だったせいか、ペンキ塗りや罠張りなどはとても器用にこなす手だ。大工仕事も様になるし、料理の最中に包丁で指を怪我することもない。かと思えば、自分の髪を洗うのは苦手。得手不得手の境界が、どうもわからない。
「こんなところか」
 ナルトの希望通りに頭を洗い終えて、そのままシャワーヘッドに手を伸ばす。排水溝の脇で温度の調整をしてから声を掛けた。
「流すわよー」
「はーい」
 返事をしながら、ナルトは背中を丸めて耳を塞ぐ。人によっては情けない姿に見えるかもしれないが、最近はどうやら目が曇ってきたようで、サクラにはその後姿が可愛いらしく映った。外では知らぬ者はいないほど名を馳せる英雄が、時折間の抜けたことをしでかしたり、信じられないドジを踏んだり。そして今は、シャワーのお湯が入らないようにと、子供みたいに耳を塞いでいる。そういう落差に、人は惹きつけられるのだろう。そこに自分も含まれていることは、認めざるを得ない。
「よーし、次は仕上げね」
 今度はリンスを髪に垂らして、混ぜ返した。一通り髪に馴染ませると、キシキシした指通りが滑らかになる。手を止めてシャワーヘッドを掴み、また温度調節。
「ウチに犬がいたら、こんな感じなのかしらね」
 ザーザーと髪を流しながら、サクラは呟いた。カカシが使役している八忍犬は、自分で行水するのだろうか。石鹸で身体を洗うのは、たぶん無理じゃないかと思う。カカシ手ずから八匹も洗ってやっているとしたら、お疲れ様としか言いようがない。
「んー、何か言ったー?」
 勢い良く流れるシャワーの音に負けぬよう、ナルトは声を張り上げる。
「犬を洗ってるみたいだって言ったのよ」
「オレが犬なら、サクラちゃんは猫だってばよ」
「……猫ぉ?私がぁ?」
「こっちおいでーって言っても、気が乗らないと全然こねーし。触ろうとすると怒るしさ。風呂入れようと思ったら、死ぬ気で抵抗するしな」
 シャワーのお湯を止めて、あらかじめ用意してあったタオルをナルトの頭に被せた。その上に両手を乗せて、わしゃわしゃと混ぜる。ナルトは無抵抗に身を任せ、その口からは気持ちの良さそうな息が漏れた。
「それはあんたの態度がまずいんでしょ。忙しい時にこっち来いって言われても行くわけないし、人が周囲にいる時にべたべた触ろうとするんじゃないの。それに、人をお風呂嫌いみたいに言わないでくれる?お風呂大好きだからね、私」
 いずれもここ最近起こったことだ。部屋の片づけをしている最中に呼ばれても「手伝え!」と文句を返すしかない。同僚と喋っている時に手を伸ばされたところで、振り払う以外に選択肢があるだろうか。
「暇そうにしてる時に呼んだって、来ねーじゃんか」
「私、そこまで付き合い悪くないわよ」
「じゃあ、一緒に風呂入ろうよ」
「なんでそうなんの。嫌よ、絶対」
 こうなると、手を洗って風呂場をさっさと出るのが一番だ。サクラはタオルを据付の棚に置くと、蛇口に手を伸ばす。
「そんな、絶対って……あ、サクラちゃん、それ、」
 ナルトの妙に慌てた声を耳にしながら、手を洗うべく蛇口を開いた。だが、水が流れてきたのはシャワーからだった。
「うわ、冷たっ!」
 シャワーからカランに切り替えるのを、すっかり忘れていた。慌てて蛇口を締めても、もう遅い。髪から服からずぶ濡れだ。ナルトは切り替え忘れに気づいていたらしく、身体を避けて水が掛からないようにしていた。その顔は、ニコニコ笑っている。サクラの間抜けな姿を笑っているわけではない。
「……入らないわよ」
 じっとナルトを睨み付け、先ほど棚に置いたタオルをもう一度手に取る。少し濡れてはいるが、水気のない部分を選べば、まだ使えるはずだ。
「えー、そのままじゃ寒いよー。風邪引いちゃうってばよ」
 返事をすることなく風呂場を出て行こうとすれば、手を掴まれた。
「このまま湯船ん中に放り込んじまうぞ」
「それやったら、一ヶ月は口きかないわよ」
「もー、入ろうってばよー、気持ちいいよー?」
「だーから入らないって!身体拭きたいから、さっさと手ぇ離しなさい!」
 力勝負を挑んでくるとは、いい度胸をしている。ひねり倒してやろうかと思うサクラだが、Tシャツを脱がされそうになり、隙が生じた。
「ちょっ!脱がすな!バカ!」
「水に濡れたまま出すわけねーでしょ。いいから入っとけって」
「入んないったら、入んない!ちょっと、くっつかないでよ!」
 ずぶ濡れ女と半裸男の口喧嘩が、浴室にギャーギャーと響く。




※犬や猫を洗うみたいに、色気のない格好でがしがしナルトを洗う春野さんって、かわいっかなーと思って。




2013/04/16