怪談



怪談




 その日、大門前に集合したナルトとサクラは眠かった。これから任務に出発するのだから、気合を入れなければならないのはわかっている。しかし今回は、夜通し走った後の緊急呼び出しだ。身体を動かしている間ならなんとかなるが、こんな風に黙って突っ立っていると、まぶたがくっつきそうになって困る。しかも隊長格のカカシがやってくる気配はない。たぶん一時間は遅れるだろう。ぽかぽか陽気に風が気持ち良くて、意識を一気に持っていかれそうになる。
「やべえ、落ちる」
 顔をごしごし擦って、ナルトが言う。
「言わないで。こっちも結構キツいんだから」
「これ、目ぇ瞑ったらたぶん起きらんねーだろうなぁ……眠気覚ましに何か喋ろうぜ」
「無理。頭回んない」
 サクラはもまた額に手を当てて、力なく首を振った。
「そこをなんとか」
「んー……こないだプロポーズされた」
 ぼんやりした口調でサクラが言えば、隣のナルトは一瞬にして、しゃんと目が覚める。
「……詳しく話を聞こうじゃないの」
「よく来る患者さんが相手。完治したはずなのに通ってくるし、これはまさかと思ったら、やっぱりそうだった」
 こういったケースが、今までなかったわけではない。戦争中にも経験があったし、こういう言葉があるのかわからないが「断り慣れ」をしている方だとサクラは思っている。その気がないので、と押し通すしかない。
「お付き合いしてください、じゃないからね。最初っから結婚だからね。嫁に来てください、だからね。『うわー、押しが強い系来ちゃったかー、まずいなー』って思ってさ。知らない人と結婚はできませんって言って帰ってもらった。でも、病院って無力よね。具合が悪いって言い張って来院したら、追い返すわけにもいかないし。非常勤だからシフトなんてわからないはずなんだけど、狙ったように私が入ってる時間帯に来るのよ。もしかしたら、どっかから漏れてんのかなー」
 口を動かすと、だんだん頭がクリアになってくる。ああ、なるほど。喋るというのは良い眠気覚ましになるらしい。サクラはそれを自覚すると、顔を上げて意識的に声を張り、話を続けた。
「結婚はまだ考えられないんでって断ったら、『今が考え時ですよ!』なんて力説してくるし。あの押しの強さには参るわ。新商品の売り込みとか向いてるかも。お役人にしておくの、勿体無いわよ。あ、国のお役人なんだけどね、その人。木ノ葉への財務援助を調整しに定期的に来てるんだってさ。あれ?数字に強いんなら、やっぱり商売に向いてる気がするけどな」
 ぼんやりと男の風貌を思い浮かべる。人の良さそうな顔をしているくせに、こっちが怯んだとみるやグイグイ来る。顔色を窺うのが上手いのは役人気質かと思うが、勝負所を弁えている上に、あの押しの強さ。一介の役人にしておくにはやっぱり惜しい。
「四度目で来ちゃったからね、婚姻届。『ここに署名をお願いします』だって。いちいち展開が早すぎんのよ。そんで証人の欄、空いてますよって指摘したら、『あー!しまった、そこかー!』って勝手に勘違いして出てっちゃうし。いやいや、問題はそこじゃないんですよって。色々すっ飛ばしてますよって。なんで気づかないかなー」
 診察室に一人ぽつんと取り残された時、きっとひどい間抜け面を曝していただろう。たっぷり数十秒は呆けていた。
「で、次に持ってきた婚姻届。今度は証人の欄はちゃんと埋まってたんだけど、妻側の欄に名前書いちゃってるし。そこ埋めちゃダメでしょー。仕事デキる人だって聞いてるんだけど、ほんとに大丈夫なのかしら」
 気になったサクラは、それとなくシカマルに探りを入れてみたのだ。件の役人の名前を出して、仕事ぶりを尋ねてみると、「役人にしては融通が利くし、悪くない」らしい。仕事はそつなくこなすくせに、私生活になると途端にダメになるタイプなのかもしれない。いの曰く、「あんたそっくり」だそうだ。なんと失礼なことを言う親友だろうか。確かに仕事も恋愛もきちんとこなせる器用な人間ではないが、あそこまで抜けてはいないとサクラは自負している。自分ならもうちょっと上手くやれるといのに反論したかったが、バッサリ斬られたら立ち直れなさそうなので黙っておいた。
「なんかもう、この人放っておけないかもって思っちゃってねー。間違えずにきちんと書けた時には『よく書けましたね』って褒めちゃったわよ。そんでうっかり妻の欄に名前書いちゃいそうになるし。書かなかったけど。押しの強さって、やっぱり大事なのね。いい勉強させてもらった感じ」
 今度は完璧です!とにこにこ笑っているあの男の顔を見ていたら、じゃあ名前書いてあげようか、なんて妙な仏心が出てしまった。彼の人柄がなせる業だろう。医療忍者なんて因果な商売をしている女ではなく、内助の功をしっかり果たしてくれる気立ての良い娘さんを見つければいいのだ。身元のしっかりした人なんだから、きっと相手には困らない。
「私も少し見習ってみようかなー」
 そう呟いたところで、ふと気づく。隣の様子がおかしい。サクラの話に相槌ひとつ返すことなく、黙りこくったままだ。首を横に向けると、ナルトは腕を組み、顔をガクリと下に向けていた。
「ちょっと、人に話させといて何寝こけてんのよ。話をしろって言ったのはあんたでしょうが」
 睨みを利かせて不機嫌声をぶつけるが、ナルトは微動だにしない。ぶん殴って起こしてやろうかと思った矢先、長い長いため息がその口から漏れた。
「何その話……超こえー……。ある日気づいたらサクラちゃんの苗字が変わってるとか、それどんなホラーだよ」
「だから、名前書きそうになっちゃったってだけの話よ」
 サクラが笑いながら言えば、ナルトはがばりと顔を上げる。
「サクラちゃんはさ、ちょっとバカだよね?」
「……ん?今、何て言った?」
 バカという単語が、超絶バカの口から飛び出た気がする。聞き間違いかもしれないと思って、サクラは念のために聞き返した。
「サクラちゃんは、バカだよね?」
 ムッとした表情で、ナルトは同じフレーズを繰り返した。どうやら聞き間違いではないらしい。常日頃からバカの称号を欲しいままにしている男に、バカ呼ばわりされたのだ。
「バカとは何よ、バカとは!あんたにだけは言われたかないわよ!」
「だってバカでしょ!婚姻届に名前書きそうになるって、バカ以外何者でもないでしょ!借金の保証人のとこ以上に名前書いちゃダメなとこでしょ!もうバカだ!バカ!サクラちゃんのバカ!」
「あんた、何回バカって言えば気が済むのよ!訂正しなさいバカナルト!」
 怒りはたやすく頂点に達し、ナルトの首をギリギリと締める。それでもナルトは懲りずに「バカだ、バカだ」と繰り返した。二人とも眠気はすっかり取れたが、遅れてやってきたカカシが合流した時には、「お前らどうしたの?」と首を傾げるぐらい不機嫌だった。




※その後、非常に険悪な雰囲気のまま任務に赴いた二人ですが、口を利くどころか目も合わないくせに阿吽の呼吸で任務を終わらせて、挨拶もなしにその日は解散となります。




2013/03/24