「まあ、わかってたことだ」
 診療結果を聞き届けたサスケは、こざっぱりとした顔でほのかに笑った。サクラは手にした紙切れをじっと見ている。いくら眺めたところで、示された数値は変わらない。垂れた髪が表情を隠しているのは幸いだった。目にすれば、きっと心が痛むだろう。
「オレが何の覚悟もなくあいつらの世話になったと思うか?」
 最近になって痛むようになった部位をさすりながら、サスケは静かに問いかけた。サクラは黙ったまま、反応を返さない。禁術や薬物投与により限界まで酷使したサスケの肉体は、緩やかに衰えを見せていた。何も考えずに任務をこなしていれば、限界はいずれやってくる。医療班の世話になりながら、なんとかやっていくより他ない。
「お前が気に病むことはない。オレが望んだ道だ」
「……ごめんね、役に立てなくて」
 沈んだ声がかすかに震えていることを、サスケは敏感に察知した。
 まずい、泣く。
 体温が急激に下がり、血の気がさっと引く。サスケは、サクラの涙につくづく弱かった。慰める方法だとか、泣き止むような優しい言葉だとか、そういうものの一切が浮かんでこない。サスケは勢い良く椅子から立ち上がると、サクラの肩に手を置いた。
「おい、いいか。泣くなよ。そのまま待ってろ」
 扉に向かって一目散に駆け出し、部屋を出て行ったかと思えば、ひょこりと扉から半身を覗かせて、「待ってろよ!」ともう一度念を押す。
 両目に嵌めている瞳の力には絶対の自信を持っていたが、それは戦場でのことだ。この瞳が白眼だったら、すぐにでもあの野郎を探し出せるのに。犬塚なら、鼻で感知できる。蟲使いなら、数に任せて探すまで。カカシのように忍犬使いなら、すぐにでも口寄せ動物を呼び出すのだが、サスケの契約動物はあいにくと猛禽類だ。探知なんてできるはずもない。自分の持ち得ない能力が、次々と頭を過ぎっていく。しまいには影分身まで思い浮かべる始末だ。
「役に立たねぇな、クソがッ!」
 兄の瞳に文句を言っているわけではない。能無しな自分自身に腹が立った。戦場以外でこの身を役立てる方法を、サスケは知らない。そのこと自体が、致命的な欠落に思えた。オレにはいらないものだ。そう思って投げ出したいつかの自分を殴り飛ばしてやりたい。お前は、いつか死ぬほど後悔する。絶対にだ。
 サクラを慰めるのが一番うまい人間を探して里中を飛び回るが、上忍待機所にも、アカデミーにも、火影屋敷にも、演習場にも姿がない。こんな時間にまさか、とは思ったが、念のために一楽の暖簾をくぐると、カウンターで幸せそうにラーメンを食ってる横顔を見かけた。
「こぉのウスラトンカチがっ!こんな時間にメシ食ってんじゃねえ!とうとう時計の見方もわかんなくなったか、ドベ野郎!」
「あァ!?そんぐらいわかるに決まってんだろが!夕方四時だっつの!文句あっか!どんな時間に食おうがオレの勝手だってばよ!メシ食う暇もねぇ売れっ子忍者の悲哀が、テメーなんかにわかってたまるか!」
「おいおい、喧嘩は外でやってくれよ」
「……クソ、いくらだ」
「ハァ?」
 腰のポケットをごそごそいじるサスケに、ナルトは声を裏返らせた。何がしたいのか、まったくわからない。
「80両だよ」
 一楽の店主が呆れた顔でそう言えば、サスケは80両きっかりをカウンターに置く。そして、ナルトの襟首を掴むと、店の外へ引きずり出した。椅子ごと持ってかれそうになり、ナルトは倒けつ転びつサスケの後を追う。
「おお?やんのか、コラ!つーか、いつでも受けて立つんだけどよ、メシ奢りながら喧嘩売るってお前、ちょっと斬新すぎるだろ。テンション作り辛いから、どっちかにしてくんない?」
「喧嘩を売る気はない。お前の手を借りたいだけだ。オレじゃどうにもならん」
 サスケの口から出たいつになく弱気な発言に、ナルトは真顔になる。冗談を言っている雰囲気ではない。喧嘩腰から一転、気遣わしげにサスケの様子を窺う。
「……なんだよ、どうした。何があった」
「いいから来い」
 ナルトを引きずったまま木ノ葉病院に向かい、中に入ると受付を通り過ぎ、建物の奥へと突き進む。何が何やらわからず、ナルトはサスケに身体を引かれるまま、きょろきょろと周囲を見渡した。ナルト自身、あまり足を運んだことのない区画なので、現在地がどこなのかわからない。
「なあ、もしかして誰か怪我したとか、そういう……」
 サスケはナルトの問いかけに答えない。とある一室の前で足を止め、カラリと扉を開ける。ナルトの背中をドンと押すと、その身体は前のめりになり、部屋の中に二歩、三歩と踏み出した。
「サクラを慰めろ」
 スツールに座っていたサクラがパッと顔を上げて二人を見る。少し泣いたのだろう、瞳がうっすらと赤い。そんなサクラの様子を見て、ナルトは血相を変えた。
「んのやろ!サクラちゃん泣かしやがったな!」
「ナルト!」
 サスケの胸倉を掴むナルトの手を止めたのは、サクラだ。二人に駆け寄ると、サスケを庇うように身体を割って入れた。サスケはといえば、ナルトの仕打ちに文句の言葉どころか抵抗ひとつ見せることなく、されるがままに任せている。
「な、なんだってばよ、サクラちゃん。どうなってんの?」
「ナルト、違うのよ。ぜんぜん違うの」
「違うって……」
「サスケくん、ありがとう」
 サクラはサスケと向かい合い、その右手を両の手のひらで包む。ナルトは「ああッ!」と小さく叫ぶが、サクラの耳には入らない。
「やっぱり、サスケくんは優しいね」
 またサクラの目から涙が一筋流れた。
「だから、泣くな」
「うん」
「お前に泣かれると、困る」
 己を泣き止ませるためだけに、ナルトを探してこの場所に連れてきた。その事実が、その心が、サクラにはこの上なく嬉しかった。肩には葉っぱがついているし、里中を駆けずり回ったのだと容易に想像ができる。手を出そうか迷っているサスケの片手を取ると、自分の頭の上にぽんと乗せた。しばらくためらっていたが、やがてその手は不器用に動く。
「ナルトも、ありがとう」
「おう」
 サスケの方を向いたまま、サクラはナルトに礼を言う。事情はまったくわからないが、サクラが落ち着いたようなので、ひとまずよしとしよう。若干の疎外感を覚えながらも、ナルトはそう自らに言い聞かせる。オレも大人になったもんだ、と思う瞬間だった。
「あと私、今日は遅くなりそうだから、洗濯物取り込んでおいて」
「……おう」
 ずっと鼻を啜りながらの一言に、ナルトの眉尻が情けなく下がる。サスケと自分。この差は一体、なんだろう。それでも、サスケの手をぎゅっと握っているサクラの姿はなんだかいじらしくて、可愛いとさえ思った。サクラの背中を眺めながら、相手がサスケなんだから仕方ねえか、とやっぱり自分を納得させた。




※一部のサスケって、春野さんに対してそっけないんだけど、仲間として大事にしてることはとても伝わってきた。もし里に帰ってくることがあれば、それをもっとわかりやすい態度で示して欲しいなーと。



2013/02/15