おうちごはん



おうちごはん




「さてと、やりますか」
 なんだか妙に張り切っているサクラを、ナルトは複雑な表情で見つめていた。テーブルの上に置かれている食材の中には、どう調理すればいいのやらわからないものも含まれている。これ、余ったらどうすんだろ。腐らせるのは勿体無いし、サクラに持って帰ってもらうしかない。
 珍しく早めに任務が終わったこの日、「このあと付き合って」とサクラに言われた。天にも昇る心地でサクラの後ろをついて歩けば、食材を買う荷物持ちにされた。少しがっかりしながらも、サクラと一緒にいられればいいかと思い直し、会計を済ませて店を出た。そのままサクラの自宅に向かうのかと思えば、反対方向にどんどん進み、その足が止まったのはナルトが暮らすアパートの前だった。
「サクラちゃん、家で料理とかすんの?」
「んー?あんまりやらない」
 その返答に、ナルトの表情が曇る。あからさまな態度を取れば怒られるとわかってはいるのだが、不安はだだ漏れだった。そんなナルトの顔の前に、サクラはある書物を掲げる。
「でも、これがあるから大丈夫」
「……それ、アカデミーの教本じゃねえか」
 その教本はくノ一クラスのものなので、ナルトは目にするどころか、手に取ったことすらない。右下の隅に幼い文字で、「春野サクラ」と名前が書いてある。
「そ。これねえ、かなり役に立つわよ?料理の工程も図解つきだし。最近、たまに読み返すのよね」
 サクラはそう言って、手にした教本をパラパラと捲る。
「探し物してて偶然見つけたんだけど、つい読みふけっちゃった。ついでに他の教本も探しちゃったわよ。この言葉って、ああいう意味だったのかー、なんてさ。授業受けてる時には気づかなかったけど、忍になって経験を積むと、違った言葉に思えてくるのよね。アカデミーって、案外奥が深いわ。あんたも読み返してみたら?」
「いや、オレはいいってばよ」
「そう?勿体ない。面白いのに」
「サクラちゃんなら、頭の中に全部入ってるでしょ?」
「そりゃ入ってるけど、紙に乗ってる文字をなぞると、また違った見方ができるのよ。それに私、料理は慣れてないけど、今回は薬だと思って作るから安心していいわよ」
「薬?料理を?」
「匙で計って、混ぜ合わせる。工程は同じだもの。ちゃんと計ってちゃんと混ぜれば、そう間違ったものはできないはずよ」
 その言葉、信じていいんですかね。口に出そうになった言葉を、慌てて飲み込む。
「まあ、大人しく待ってなさいって。味見はするし、悲惨なことになったら出さないから」
 サクラは気合を入れると、普段は湯を沸かすぐらいしか使っていない台所に向き直った。




 トン、トトン、トン。食材を刻む音はリズミカルとは言いがたく、時々不恰好だ。それでも、不思議と人を安心させる響きがあると思う。その手に握るのがクナイではなく、包丁だというだけで、こんなにも違いが出るのかと驚きすら生まれる。その音を耳にしながら、ナルトはサクラの背中を眺めていた。どうしても気になることがあった。
 最近のサクラは、自分をなぜか構おうとする。いつもなら放っておかれるのに、サクラの方から近づいてくる。それは、あの奇妙な日々を過ごしてからだった。サクラが天涯孤独で、ナルトは家族円満。すべてがひっくり返ったあの世界で、サクラは何を考え、どんな感情を持ち帰ったのか。
「あのさ、サクラちゃん。オレのことカワイソウって思ってる?」
 ばりばりと髪を掻き毟りながら、ナルトが言う。それだけは、何がなんでもはっきりさせておきたかった。そうしなければ、飯なんて喉を通らない。
「他の奴にどう思われようが別にどってことないんだけどさ、サクラちゃんからそう思われるのって、さすがにキツいんだよね」
 それがナルトの矜持だった。好きな女の子に単なる同情で手を差し伸べられるのは、心が軋む。好かれたいと思ってはいるが、こんな手を使ってサクラの気を引くのは絶対に違うと思った。そして、その手を掴んでしまいそうになる自分が、情けなくて、悔しい。振り払うなら、今しかなかった。
 サクラはガスの火をいったん止め、手を洗うと、ふきんで水気を拭う。そしてエプロン姿のままベッドに近寄ると、ナルトの隣にぼすんと座った。「生意気言うな!」って殴られるかな、と覚悟をする。でも、殴られたって叱られたって、これだけは言っておきたかった。サクラにカワイソウだと思われたら、たまらなくなる。
「これって同情なのかしら」
 サクラの口から漏れ出た一言は、問いかけというよりも、独り言のように聞こえた。ちらりとサクラを見れば、何かを考え込んでいる時の表情で、きっと言葉を探しているんだろうと見当をつける。ナルトは視線を床に落として、続きをじっと待つ。
「私、一人で生きるってどういうことなのか、ちっともわかってないのよね。向こうの世界で私が知った孤独なんて本当に取るに足らないもので、たったあれしきのことで孤独ってものを理解した気になんかなれない。だけどさ、」
 サクラはそこで言葉を区切ると、黙ったまま座っているナルトを見た。
「誰かとご飯食べるのって、楽しいよね」
「……うん、そりゃね」
「だったら、一緒に食べようよ」
「そんなの、別に、一楽でいいじゃねーの」
「一楽より、家のほうがゆっくりできるでしょ。ご飯食べ終わっても、店を出なくていいんだし」
 ナルトはいつになく頑なで、サクラの言葉に頷こうとしなかった。
「あんまり深く考えないでくれると助かるんだけどな」
 サクラはそれ以上何も言えないようだった。短い沈黙のあと、弱ったな、と力なく笑う。その困惑しきった声を聞いて、ナルトは慌てて顔を上げた。
「ち、ちげえんだって!嬉しいの!オレ、サクラちゃんとメシ食うの、チョー嬉しいんだってばよ!たださ、こういうの慣れてねえっつーか、どうしたらいいかわかんねえっつーか」
 ひとり不貞腐れた結果、サクラを困らせた。ナルトの中の秤がカタンと揺れる。同情云々より、そっちの方がずっとずっと悲しかった。わたわたと言い訳を並べるナルトを見て、サクラは少しだけ表情を和らげる。
「ただ、一緒にごはん食べようってだけの話なの。それでいい?」
「……うん」
 釈然としないものは胸の中に残っているのだが、サクラをこれ以上困らせたくなかった。ためらいながらもナルトが頷けば、サクラはパッと顔を輝かせる。
「待ってて、ちゃんとしたもの作ってみせるから」
 ぐっと握りこぶしを作ると、サクラはバタバタと台所に駆け寄り、包丁を再び手に取った。少し力の入った肩に、強張った背中。魚を捌く手つきは危なっかしく、まな板の音は途中で止まる。
 ナルトはベッドに座ったまま、自分の家の台所に誰かが立っている光景をじっと眺め、聞き慣れない音に耳を欹てた。水を張った鍋の中に、刻んだ野菜がばちゃばちゃと落ちる。一度も回したことのない換気扇がガタガタとうるさい。きっと教本を見ているのだろう、サクラが横を向き、口の中で何かを呟いている。
 サクラの不器用ながらも必死な後姿が、はじめて耳にする音の数々が、ナルトの心を覆う堅い殻にヒビを入れる。しつこく残っている胸のしこりはボロボロと崩れて、まな板を叩く調子外れな音と一緒に散っていく。心の殻はやがてバリンと割れて、柔らかな部分が剥き出しになる。じわりと胸が熱くなった。
 オレのことがカワイソウ?自分のためにここまでしてくれるってのに、何をいじけてんだ、オレは。その心だけで十分じゃないか。そう素直に思えた。
「オレさ、」
「んー?」
「出されたもの、全部食うよ」
 振り返ったサクラに、ニカリと笑いかける。サクラは包丁を握ったまま、目を丸くした。
「サクラちゃんの作った料理、全部食いたい」
「……やれるだけのことはやってみるから、ちょっと待ってて」
 これから任務に行くのか、と問いかけたくなるほど真剣な表情で、サクラは言う。料理って、そんな顔して作るんだっけ?手に握ってんの、クナイじゃねーの?なんだかおかしくなって、くつくつと笑う。ばたん、とベッドに身体を横たえると、枕に顔を押し付けた。あんまり笑うと怒られる。それでも笑いは止まらない。
「くっだらねー!」
 勝手な思い込み、つまらない勘違い、ちんけなプライド。それらを全部まとめて笑い飛ばした。




※私、あの映画の二人がとても愛しいんです。




2013/02/06