催促




「いい天気ねー」
 ぼんやりとしたサクラの声に、ナルトは少し遅れて顔を上げた。仕事を持ち帰ってるから、とサクラが閉じこもった部屋にナルトがずかずか入り込んできたのは、かれこれ一時間ほど前のことだ。身体のどこかに触れていれば気が済むから、とナルトは告げて、サクラと背中をくっつけて座っている。手に持つのは忍術書。邪魔はしません、という合図だった。
「はかどらねえの?」
「なんか集中できないのよね」
「……オレ、外に出ようか?」
「そういう意味じゃなくてさ、外があんまり晴れてるから、部屋に閉じこもってるの馬鹿馬鹿しいっていうか」
 文机に頬杖をついて、サクラはため息を吐く。背中越しには、意外なことに集中してる気配を感じた。本を大人しく読んでいるナルトの姿は、あまり想像ができない。
「さっきから何してんの?」
「印結ぶ術、少し覚えようと思ってさ。練習してんの」
「あー、わかるわかる。忍術使ってるって感じがするよね」
 サクラもナルトも、複雑な印を必要とする術には縁がない。カカシがやたらと印を結ぶタイプなので、ナルトはそこに憧れているのだろう。恩師に憧れるのが弟子というものだ。
「でもこれ、覚えんの難しいな……。カカシ先生ってば、やっぱスゲーよ。なんであんなに術使えんだろ。オレとは頭のデキが違うのかなー」
「もしかして全部覚えてると思ってるの?カカシ先生、印なんて少ししか覚えてないわよ。」
「……え、何それ」
「写輪眼でコピーすると、勝手に手も動くらしいのよ。もちろん覚えてる術もあるけど、マイナーなのは眼に頼ってるみたい。先生ってハッタリかますの上手いし、だいたい雰囲気でわかるんだって」
「うわー、超騙された!やってらんねーってばよ!」
 サクラの背後でバサリと音がする。ナルトが忍術書を放り投げたのだ。ナルトの気持ちは、サクラにもよくわかった。最初にそのことを知った時には、詐欺だとすら思ったものだ。
「投げた本、ちゃんと拾いなさいよ」
「うーい」
 おざなりな声に続いて、くっついていた背中が離れた。衣服の擦れる音がするので身体を這って移動しているのだろう。
「確かに天気いいよな、今日。気晴らしに買い物でも行くかー」
 本を手に戻ってきたナルトが、ぐいぐいと体重を乗せてきた。息苦しい。どいてよ、と文句を言いかけるサクラだが、ナルトの問いかけに遮られる。
「何か欲しいものある?」
「どしたの、急に」
「臨時収入があったから。何か買ってやろうと思ってさ」
「欲しいもの……」
 よーし、出かけるぞー、と勢いをつけて、ナルトは立ち上がった。座ったままのサクラを見下ろせば、口元に手をあてて何やら考え込んでいる。欲しいものがないというのなら、ナルトも無理にとは言わない。心持ち身体を傾けて、サクラの顔を覗き込む。
「特にないってんなら、豪華なメシとかでもいいけど」
「待って!何かあるはずだから!」
 手のひらをナルトに向けると、サクラは強い口調でそう言った。何でそんなに必死なのか、ナルトにはよくわからない。
「絶対、何かあるはずなのよ。ないわけないんだもの」
 そこには、欲しい物がひとつもないなんて女としてどうかというプライドが掛かっているのだが、そんなことは知る由もない。ナルトは、ぽりぽりと頬をかいた。
「本でもいいよ?欲しいのあるって言ってたでしょ」
「そりゃ欲しい本は山ほどあるけど、そんな色気のないもの買ってもらうのヤダ」
「色気って……じゃあ下着とか」
「ふざけんな!」
「いっでえ!」
 手刀で足を思い切り払われた。ナルトはその場にしゃがみこむと、涙目になって脛をさする。色気という言葉の響きから思い浮かんだものを口にしただけだというのに、過剰反応だ。
「じゃあ、指輪にしようかなー」
「ほほー、指輪ですかー」
 なんとも女性らしい返答に、ナルトは笑みを浮かべる。任務の時にも着けてて欲しいんだけど、やっぱり無理かなーなんて思っていると、サクラはハッと真顔に変わった。
「あ!別に催促じゃないからね!」
 何の、と返しかけたが、ナルトにも思い当たる節はあった。それはあれか、左手の薬指という意味か。それはまあ、満更でもない。口元はニヤリと笑う。
「勘違いしないで、純粋に欲しいと思っただけだから」
「いやいや、してませんよ、別に」
 笑みを消さずにそう返すと、サクラはじろりと睨んで机に手をついた。腰を持ち上げ、「支度してくる」と言い残して部屋を出る。
「そんじゃ、オレも支度すっかなー」
 支度といっても、くたびれた部屋着からまともな服に着替えるだけだ。女と違って男は時間がかからない。腰に手を当てて身体を伸ばしていると、扉の奥に消えたと思っていたサクラが、ひょこりと顔を出した。
「ほんとに催促じゃないからね」
 重ねて釘を刺されると、ナルトは困惑顔になる。そこまで言われると、気にしない方がおかしい。あなたとそういった縁を結ぶ意思はありませんよ、という確固たる主張なのか。それはさすがに考えたくなかった。単なる照れ隠しだと思いたい。さらに言えば、催促という線だって、まだまだ捨てたくはない。
 腕を組んで、ナルトは悩む。




2012/12/24