「砂の里ぉ?」
 今度の休みは何をするのか。そう尋ねられたので正直に答えたら、不服そうに顔を歪められた。そんな顔することないじゃないの。ナルトの反応を不満に思いながらも、サクラは頷く。
「そ。しばらく行ってなかったし。今年はそのためにしっかり休み取ったのよ」
「任務でもないのに、なんでまた」
「お墓参り」
「誰の」
「チヨバア様よ。にっぶいわねぇ、あんた」
「ああ、あのバアちゃんか。それにしたって、わざわざ砂まで三日もかけて行くなんて、大げさっつーかさ……」
 一から十まで説明しないとわからないのがこの男だ。とはいえ、サソリとの戦闘で起きたことをナルトには伝えていないので、墓参りに行く理由もピンとこないのも無理はなかった。今まで言い出すきっかけがなかったので口にしなかったが、ちょうどいい機会かもしれない。そう思ったサクラは、いつもは閉じたままにしている記憶の蓋を少しだけずらして、断片を口の端に乗せる。
「大げさなんかじゃないわよ。私の命の恩人だもの。忍として生きる指針をくれた人でもある。綱手師匠と同じくらい敬意を払うべき相手だわ」
「命の恩人って……暁相手に一緒に戦ったんだろ?だったら恩人っつーか、仲間って言うんじゃねぇの?」
「だって、私はあそこで死ぬはずだったもの」
「……は?」
 そこを隠し立てしても意味が無い。事実を述べる。ナルトは低く鋭い声を発すると、歩みは途端に鈍くなった。
「もちろん死ぬつもりはなかったけど、内臓を潰されたからね。あの場合、いくら医療忍術で処置をしたって助からなかったはずよ」
 よくも生きていられたものだと思う。刀を受けるにしたって、急所を貫かれてどうする。綱手から伝えられた医療忍者の心得を忘れたわけではない。致命傷を受けずにやれたはず。単なる判断ミスだ。
「チヨバア様の転生忍術がなければ、今頃あそこで、ちょっと何よ、」
 手首を力任せに捕まれて、裏路地の暗がりに引っ張り込まれた。壁に身体を押し付けられ、服の裾に手を掛けられる。左手で慌ててそれを押しとどめると、残る右手を思い切り振り上げた。
「何すんのよっ!」
「傷、どこ!」
 サクラの右手は、ナルトの顔を見るなりピタリと宙で止まった。先ほどは気付かなかったが、裾を掴む手は小刻みに震えている。
「ねえ、傷!どこだってばよ!」
 ナルトは悲壮感すら漂わせて、必死に裾をめくり上げようする。
「……残ってないわよ」
「んなわけねーだろ!」
「転生忍術ってのは、細胞を一から創造する力があるの。チヨバア様のおかげで皮膚から何からすっかり元通りよ」
「そっか……」
 身体からようやく強張りが解け、ほっと息を吐くと、ナルトは裾から手を離した。真向かいで項垂れている血の気の感じられない青い顔が何を考えてるのか、サクラには手に取るようにわかった。
 オレが、あいつらの挑発に乗らなければ。
 オレが、あの場を離れなかったら。
 オレが、カカシ先生の言うことをちゃんと聞いてれば。
 それでなくてもナルトは、天地橋の任務でサクラを傷つけたことを悔恨し続けている。時折、サクラの左腕にうっすらと残る四本の爪跡を、痛ましいものを見るような目つきでなぞるのだ。とうの昔に完治したはずの傷は、そのたびにチリチリと皮膚を焼き、サクラの心をかき乱した。
 このまま放っておけば、また一つ、ナルトの心に引き攣れたような傷が残されるだろう。サクラとて、ナルトの心を穿つために昔の話を蒸し返したわけではなかった。話にはちゃんと続きがある。その部分こそが重要なのだ。サクラはナルトの首の後ろに手のひらを当てると、肩口にナルトの頭を乗せた。ナルトはサクラに触れることを本能的に拒絶し、離れようとする。だが、サクラ自身がそれを許さない。
「あんたは後悔してるだろうけど、私はね、あの場所にチヨバア様と二人で残されて本当に良かったと思ってる」
 心細かったかと聞かれれば、素直に頷く。一緒に残されたのは、とうの昔に隠居した他里の忍。そして対峙する相手は、砂の我愛羅を連れ去った組織のメンバーで、その実力は五影と同等かそれさえも凌ぐと推測できた。無理をするなとカカシは言い残したが、余力を残しながら渡り合える相手とは到底思えなかった。
「あんたが里に帰ってきてから、一番最初の戦いよ。砂の上役を相手にした時は、後方支援だったしね」
「……一番最初は、オレと一緒にやった鈴取りだろ」
 ぶんむくれたようにナルトは言う。忘れちゃったのかよ、とつまらなそうに呟くその声は、どこか寂しそうだった。
「あれは演習。実戦とは違うわ。あそこで私は、この先どうやって忍として生きていけばいいのか、チヨバア様から教わったの」
 重大な場面では足手まといにしかならなかった自分が、チヨバア様の傀儡になることで、ようやく敵と対峙できるようになった。師匠から授けられた力を、存分に使うことができた。あの戦いを乗り越えたことは、大きな自信にもなった。
「だから、あんたが気に病むことは何一つないの。むしろお礼を言いたいぐらいよ。ありがとね」
 そう言ってサクラはナルトの頭を撫でた。表情は見えないが、きっとまだしょげかえっているだろう。気配でわかる。それでも、ナルトはサクラの手を受け入れた。
「……墓参り、さ」
「うん」
「今年は無理だけど、いつかまた行くことがあったら、オレも連れてって」
「そんなの、一人で行けるでしょ?」
 命日に合わせて休みを取るのは、この稼業では困難だ。墓に行くのが目的ならば、任務で砂に赴いた時に立ち寄るのが一番早い。しかしナルトは譲らなかった。
「オレは、サクラちゃんと二人で墓前に立ちたいんだ。そんで、礼が言いたい。オレの大事な人を守ってくれてありがとうございますって、ちゃんと言いたい」
「……考えとく」
「そうして」
 その会話を機に、サクラの肩に掛かる重みが増した。それを心地良く感じながら、サクラは目を閉じる。二人は黙ったまま、しばらく身体を寄り添わせた。




※ナルトはきっと、サソリ戦で何があったか知らないんじゃないかな。知ってたら、あの場でデイダラを追った自分の未熟さを呪っていただろう。そして対サソリ戦は、春野さんが忍として生きていく上で最も重要な戦闘だと思う。綱手さまへの弟子入りに次ぐくらい重大な転機と言ってもいいんじゃないかな。




2012/12/19