番犬



番犬




「ご馳走さまでしたー!」
 馴染みの店の前で、中忍になりたての若い連中が深々と頭を下げる。とにかくやたらと食う奴らで正直財布の中身が危なかったが、幸い財布担当はもう一人居たので、持ち金が足りなくて店主と相談なんていう恥をかくことなく店を出ることができた。
「おう、気ぃつけて帰れよ」
「はい、失礼します!」
 大門にたどり着いた時はどいつもこいつも死んだような面をしていたくせに、腹いっぱい飯を食わせたら、これからもうひとつくらい任務をこなせるんじゃないかと思うほどに生気が戻っている。その昔、一楽で腹ごしらえをした後の自分もこんな感じだったのかと、他人事のように思う。
「さーて、オレらも帰ろうぜ、サクラちゃん」
 美味かったーと口々に言いながら帰っていく集団に目を注ぎながら、ナルトは隣で笑みを浮かべているであろうサクラに声を掛ける。返答はないが、何も言わないこと自体が同意の合図なのだろうと結論付けると、集団に背を向けて歩き出す。遅れてサクラがついてくるのが気配でわかった。
「ナルト、どうしよう」
 店から十歩も離れないうちに、サクラが弱々しい声を出す。
「ん?忘れ物でもした?」
「すっごい眠い」
「ええー!」
 ぐりっと首を後ろに向けると、確かに今にもまぶたがくっつきそうな顔をしている。ちなみに今日は一滴も酒を飲んでない。
「まさか、薬盛られたとか……」
「違うの。あの子らと別れてホッとしたら、急に来た……」
 額に手を当てて、サクラが舌足らずな声で言う。確かに今回は、部下に飯を食わせてから帰ろうと思うくらいには厳しい任務だった。上忍二人に中忍六人。そのうち一人が腕利きの医療忍者なのだから内容は自ずと知れる。とはいえ、いきなりスイッチが切れるなんて、今まで経験がない。
「おいおい、家までまだあるぞ……」
 すっかり慌ててしまったナルトは、おろおろと立ち竦む。連中の姿は通りから消え、街灯がぽつぽつと点在する夜道は静かだ。選択肢はひとつ。サクラの前にしゃがみこむ。
「よし、サクラちゃん!乗れ!」
「……ごめん、家着いたら起こして……」
 迷うことすらできなかったのだろう。サクラは素直に身体を預けてくる。ちゃんと飯を食ってるのかと疑いたくなるほど軽い身体を背に乗せて、ナルトは歩き出した。二歩、三歩と進むうちに少しずつ重みが増し、身体からこわばりが消えていく。意識を手放したのだとわかった。
「サクラちゃん、寝た?」
 首を捻って、背後を窺う。腕を揺らしてみるが、規則的な呼吸は途切れることがない。
「寝たね?そんじゃ、遠慮なく」
 首を前に戻すと、ナルトは勢いよく息を吸い込んだ。
「サクラちゃんはさ、オレがサクラちゃんを好きだってこと、時々忘れるよね?」
 さて、ここからは存分に言いたいことを言わせてもらうことにしよう。胸に仕舞い込んでいるあれこれをいったん空にして、明日からの日常をやり過ごすのだ。寝ている本人にそれをぶつけるというのはいささか卑怯な手ではあるが、こちらの精神衛生を優先させてもらう。こういう機会に吐き出しておかないと、なんで今?というズレたタイミングで好きだのなんだのと口走ってしまいそうになる。
「無防備すぎんだよ、ホント。これ、そのままお持ち帰りされても文句言えないからね?というか普通されちゃうからね?オレはいい男だからしないけどさ」
 自分という男を信用してくれるのは嬉しいが、皆と別れた後に急に気が抜けるというのは、いったいどうしたことか。もう少し気を張ってくれ、せめて自宅まで頑張ってくれ、と思わないでもない。そもそも自宅に着いたところで、ちゃんと起きてくれるのだろうか。部屋に忍び込んでベッドに寝かせるまでの展開が容易に浮かぶ。男の欲ってやつは手のつけられない猛獣と同じで、ムチで叩きまくってようやく静まるものだ。棚に閉まって鍵掛けて、なんて具合に軽く扱えるはずがない。そんな棚があったらむしろ欲しい。大枚叩いて購入しようではないか。
「サクラちゃんは可愛いから言い寄られるのは仕方ないよ、うん。けどさ、そのたびに『自分を好きになってくれる人が現れるのはこれでもう最後かもしれない』なんつって思い悩むのは止めましょうよ。それ、大間違いだからね?これからも増える一方だからね?隙あらば突進してくっからね?」
 これはいのから聞いた話だ。そのうちあの子、言い寄ってきた男に両手を合わせて拝みだすんじゃないかと冗談交じりに言っていた。こちらとすれば笑い話にもならない。サクラの面食いぶりと生真面目な性質を過信しているナルトは、まさか頷くはずもない、と余裕の態度を見せていたが、実は最近少し焦っている。
「あいつら手強いよ。超見てるよ、サクラちゃんのこと。どこがそんなにいいのかってそれとなく聞いてみたら、『お大事にしてください』ってニッコリ笑うとこじゃないの。そっから先なの。治療道具片付けて、机について、窓の外に目を向けた時にようやく顔がふっと緩むんだって。その瞬間がたまらんっつーんだからね。オレ、『キモッ!』って思わず言っちゃったもん。見すぎだろ、いくらなんでも」
 意識のない身体を預けられるほど全幅の信頼を寄せられている現状はなんとも心地良く、こんな風に文句をつらつら口にしてはいるが、この時間をもう少しだけ味わっていたかった。同じ七班の仲間で、幾度となく修羅場を共に潜った戦友。色恋沙汰も損得勘定も紛れる隙がない。こんな贅沢、もう二度とできない。二人の間に漂う親密な空気を、周囲が勘違いしてくれるのも都合が良かった。この人、オレのですよ、とばかりに番犬の如く目を光らせていれば、出る杭もすごすご引っ込むというもの。それでも木ノ葉の純情野郎どもは立派な気勢を持ち合わせているらしく、ダメで元々とばかりに恋文やら直球勝負の告白やらをサクラにぶつけてきた。矢折れ刀尽きても向かってくる軍勢を前に、難攻不落の城砦も、そろそろ門戸を開こうとしている。おそらく、閂に手が掛かっているだろう。それを押しとどめる役は、自分以外に考えられない。
「そろそろオレも腹ぁ括らねぇとなー」
 番犬としては優秀な方だと思う。鼻は利くし、想いの強さは誰にも負けないし、身体を張って主人を守り抜く覚悟は十分だ。いくらか図体は大きいが、家に一匹置いたとしても、決して損にはならないはず。よく働き、底なしの愛情を持ち合わせ、命ある限り主人に尽くす。死んだらたぶん、化けて出る。
「おーい、好きだぞー」
 背負った身体を小刻みに揺らすが、うんともすんとも返事はない。すっかり寝こけている。
「聞いてんのかー。春野サクラー。好きだぞー」
 だんだん楽しくなってきた。好きだぞー好きだぞーと歌うように口に乗せる。起きたって構うものかと、開き直りさえ生まれてくる。むしろ起きてしまえ。垂れ流しの告白なんてのは、さすがのサクラも経験したことがないはずだ。
「アカデミーの頃からだぞー。七班になってからは日を追うごとにだぞー。三年離れたらますます好きになったぞー。戦争してたって好きだったぞー。今だってムチャクチャ好きだぞ、こんにゃろー」
 妙な具合に節回しをつけて、子守唄みたいに聞かせてやる。そうすれば夢に出られるかもしれない。熱烈な告白を夢の中でたっぷり聞かされて、明日から自分のことを意識しはじめればいいのだ。そうなればしめたもの。サクラの心を掴もうと躍起になっている野郎共の目の前で掻っ攫ってやる。
「オレにしとけー、オレにー。おーい、起きろー、春野サクラー」




※その後、「オレよりサクラちゃんのこと好きになる男なんて今後絶対現れないから、オレにしときなさい」という非常に上から目線の告白をするのだが、まさかの承諾 (春野さんの返答は「じゃあそうする」)。「あの告白でなぜ落ちる!さすがは木ノ葉が生んだ英雄だ!」とミラクルぶりが話題沸騰になり、告白前にはナルトの持ち物を借りるという、試験の時に勉強できる奴から消しゴム借りるみたいなゲン担ぎが大流行。




2012/09/15