鍵穴にそっと鍵を差し込み、ゆっくりと右に回す。ドアノブを引くと、真っ暗な家の中はしんと静まりかえっていて、少しでも音を立てようものなら予想以上に響きそうだった。リビングのソファに荷物を置き、冷蔵庫から冷たい水を取り出して、ひとまず喉を潤す。すぐにでも風呂に入りたかったが、無性に顔を見たくなったので、寝室に足を向けた。時計は深夜一時を回っている。同居人はぐっすりと寝ているはずだ。 音に注意を払って慎重にドアを開けると、すうすうと寝息が聞こえてきた。そっと忍び寄り、顔を覗き込む。常より幼いその寝顔に自然と頬が緩む。サクラはその場に膝を折ると、起こしちゃいけないと思いつつも手を伸ばし、金色の髪を指で梳いた。 「おかえり」 まだ覚醒しきっていない掠れた声が言う。うっすらと開いた青い瞳が、サクラをぼんやりと見ていた。 「ごめん……起こしちゃった」 「いや、ちょうどいいよ。どうせ帰ってきたら起きようと思ってたし」 ナルトは片手で顔を擦りながら身を起こすと、触れるだけのキスをした。 「ただいま」 触れ合うのが久しぶりということもあり、口づけは続けるうちに止まらなくなる。上着の裾から手が忍び込んできた。サクラはそっとその手をおさえる。 「あのね、まだお風呂に入ってないの」 「あれ?じゃあ、なんでここに?」 寝室に入ってきたのだから、今から寝るのだと思うのが当然だ。ナルトが不思議そうにサクラを見つめる。 「……先に顔、見たかったから」 照れくさそうに言うサクラに、ナルトはニヤリと笑みを浮かべ、ふーん、と楽しそうに頷いた。 「六日ぶりの顔はどう?いつもより男前に見えた?」 「だらしなく涎垂らしてたわよ」 慌てて口元をぬぐうナルトに、冗談よ、と付け加える。先ほどのニヤニヤ笑いの仕返しだ。 「人ってさ、寝てると少し幼くなるよね。ナルトも可愛い顔して寝てたよ」 布団にぼふっと顔を埋めると、軽く笑みを浮かべながらサクラが言った。 「寝顔ってさ、その人の体調とか心の状態が出ると思うのね。薬で無理やり寝かされてる人は、息をしているのか心配になるくらい無表情。あどけない顔をして寝ている患者さんを見ると、すごく安心する。魘されている人や、辛そうに顔を歪めている人も多いから」 「……何かあった?」 「担当した患者さん、術後の経過が思わしくないの。このままだと、廃業するしかないかもしれない。寝ている旦那さんの枕元でね、まだ小さな息子さんと奥さんが、じっと手を握り合ってるの」 声に抑揚はない。サクラは目にした事実だけを口に乗せていく。 「奥さんは、くの一?」 ナルトの問いかけに、ゆるゆると首を振る。 「病院の近くにあるお店で給仕の仕事をしてるんだって。賄い料理が美味しくて太っちゃうんです、なんて言って笑ってた。笑顔の素敵な人よ」 奥さんの目元にはうっすらとクマができていて、頬も色味が薄かった。こういう稼業に怪我はつきものだし、きっとどこかで覚悟をしていたはず。それでも、大事な人が傷ついて平気な顔をしていられるわけがない。すっと手が伸びて、サクラの髪を撫で付ける。その大きな手に自分の手のひらを重ねた。 「旦那さんが目を覚ましたら、今後のことを話し合ってみるって」 「そっか」 「うん」 「辛いな」 「うん」 しばらく静かな時間が流れたが、ちゃんと寝てた?ご飯は食べてる?とナルトは沈黙を縫ってぽつりぽつりと口にした。 「お風呂入ってくるね」 ありがと、とナルトに笑みを残して、サクラは寝室を出て行った。その足音を耳にしながら、ナルトは枕に頭を埋める。そして目を瞑り、二年半の修行から帰ってきて最初に顔を合わせた時のサクラを瞼の裏に浮かべた。あの頃にはもう、覚悟が固まってたはずだ。少し変わったかとサクラに問われた時、全然変わらないと断言した自分だったが、変わらないはずがなかった。 医療忍者の心得を綱手の口から聞いた時、サクラはなんて過酷な道を選んだのだろうかと、ナルトは呆然とした。隊が全滅しようとも必ず生き残り、自分の最期を決めることすら許されない。任務を終えて里に戻ったとしても、木ノ葉病院で生死の境をさまよう人々の治療にあたり、その家族たちの葛藤と真摯に向き合う。あの生真面目さだ、忍者であることを忘れる時間はなさそうだ。 「よーいせっと」 声を出して身体を起こすと、まっすぐに風呂場へ向かう。シャワーの水音が間近に聞こえる扉の前で足を止め、ポケットに手を突っ込んだ格好で声を掛けた。 「背中流そうか」 「何言ってんのよ、バカ」 笑い声が返ってきたことに、ほっとする。 「風呂から上がったら、少し話そうよ。紅茶とほうじ茶とコーヒー。どれがいい?好きなの淹れるから」 「うーん……じゃあ、ほうじ茶」 「了解。あったかいやつね」 息をつく場所がないのなら、作ればいいだけのこと。甘いお菓子でもあれば最高なのだが、こんな時間に出したら、太るでしょ!と怒られる。だったらせいぜい、楽しい話をすることにしよう。 ※「分」から少し経って、自然に分かち合える二人になりました。 2012/07/15
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