酒宴



酒宴




 長らく里を治めていた三代目火影を失った木ノ葉崩し。周囲に与えるその影響は大きく、里の内外で混乱を極めていた。木ノ葉上層部はすぐさま千手の血を引く綱手姫を里長に据えるが、木ノ葉崩し以前の落ち着きを取り戻すのには、大国の面子を保つための涙ぐましい努力を必要とした。忍たちはその間、誰も彼もが身を削るようにして動き回り、厳しい任務を淡々とこなしていった。
 あれから三年近くが経ち、五代目火影が里の顔として定着した頃。誰が言い出したわけでもなく、大規模な酒宴が開かれることとなった。日ごろ戦場で背中を預けあう仲間と、静かに酒を酌み交わす。ゆっくりと疲弊し、気力を削がれていった忍たちには、そんな時間が必要だった。




 その日の夜も、火影の執務室はいつものように煌々と明かりが灯り、里長が書類仕事に悪戦苦闘していた。時間が空いたものは、なるべく顔を見せるように。そういう触れ込みの酒宴は、広間を三つも貸切にしているらしい。いつもは顔を見せない上忍連中も、今回ばかりは足を運ぶよう心がけているようだ。しかし火影の補佐官はといえば、里外任務でもないというのに、開始予定時刻を大幅に過ぎた今もなお、執務室に缶詰状態だった。
「お前、私のことはいいから行って来い」
「そういうわけにもいきませんよ。綱手様が決裁したこの書類、誰が片付けるんです?」
 つい十分前にも同じ問答をしたばかりだ。とにかくここから追い出したくて仕方がないらしい。綱手には寝落ちや逃亡といった前科があり、シズネはそう言われれば言われるほど、ここから離れるわけにはいかないと決意を強くする。
「綱手様こそ、行きたいんじゃないですか?」
 なんといっても酒の席だ。行きたくないはずがない。綱手の賭博好きは有名だが、うまい酒にも目がないのだ。
「私が顔を出してどうする。それぐらいの分別は持ち合わせてるさ。私がお前をここに縛り付けたと思われてもかなわん。恨み言を聞くのは御免だよ」
「そんな、恨み言だなんて」
 何を言ってもシズネは動かない。綱手はひくりとこめかみを引きつかせ、机が割れんばかりの勢いで決裁印を書類に押しつけた。
「いいから行って来い!これは命令だ!」
「命令って……」
「早く行きなッ!」
 最後は鬼の形相でシズネを追い払う始末。命令とあっては逆らうことなどできず、シズネはしぶしぶ執務室を後にした。




「ここで……いいのかな?」
 渡された地図を見る限り、ここで合っている。場所は小さな料理屋と聞いていたが、思っていたより立派な門構えだ。恐る恐る中に入ると、案内係がすぐに気づき、酒宴の場へと案内してくれた。広間に足を踏み入れると、宴もたけなわという言葉がぴったりの賑やかさで、すでにかなりの人数が集まっていた。知った顔もちらほら見える。きょろきょろ見回していると、奥の方でこちらに手招きするくの一がいた。夕日紅だ。近づくとテーブルの上には酒瓶やらお銚子やらがいくつも転がっているが、本人はけろっとしている。真向かいのガイは赤ら顔でシズネに笑いかけ、ガイの隣ではアスマがお猪口で酒を流していた。馴染みの連中に混ぜてもらうと、そこにコテツとイズモが揃って顔を見せにきた。皆一様にリラックスした姿で、楽しそうに飲んでいる。来て良かったな。そう思いながらビールを口に運ぶと、アンコの豪快な笑い声が聞こえた。バシバシと背中を叩かれているのはヤマトだ。
「はしゃいでるわねー」
 紅が困った子供を見るような顔で、上機嫌のアンコを眺めている。
「ねえ、あの人、ヤマトだっけか?アンコにずーっと捕まってんのよ。お酒強いの?」
「さあ、どうかしら。そういうのは聞いたことないな」
 アンコの周囲は笑っているが、ヤマトは少し据わった目でコップを握っていた。中に入っている液体に色はついていないが、水ではないだろう。たぶん日本酒。
「なんかダメそうね。アンコに釘刺してくるか」
 紅が席を立つと、一升瓶を抱えたゲンマが「飲んでるか」と声を掛けながら隣にどっかりと座った。そこにアオバとライドウが加わって、昔話に花が咲く。あの時に誰がどうした、お前がああした、あいつがこうした。酒が入れば会話も弾む。シズネは執務室の惨状をしばし頭から追いやり、仲間と笑いあった。




 シズネが合流して二時間ほど過ぎた頃、酒宴はお開きになった。その後は店を移動する者、家に帰る者、任務に出る者とそれぞれだ。思い思いに皆が広間を出ていく中、机にどさりと倒れこんだままの男がいる。綱手の様子が気になることだし執務室に早く戻りたかったが、このまま放っておくのも気がかりだ。シズネは男に近寄り、傍らにそっと膝をつく。
「ヤマトさん、大丈夫ですか?」
「……ダメそうですって言ったところでね、まぁた飲ます気なんでしょ?知ってんだ、ぼかあ!」
 見事な酔っ払いぶりだ。拗ねたような顔を両腕に埋めているヤマトに、シズネは苦笑する。
「飲ませるとしたら、お水だけですよ」
 酒の匂いがしないグラスを選び取り、大きなポットから氷水を注ぐ。黙ってグラスを差し出すと、ヤマトは素直に受け取った。こんな調子でずっと飲んでたのかもしれない。泥酔するはずだ。
「んなこと言ってね、絶対酒に決まって……。あ、ほんとに水だ」
 ごくごくと喉を鳴らしてうまそうに水を飲み干すと、テーブルの上にグラスを置く。だいぶ回っているようだし、もう少し飲ませた方がいい。空いたグラスに氷水を注いでいると、ヤマトが「あれぇ〜?」とひっくり返った声を出す。
「なんだ、シズネさんじゃないですか!どうしたんです、こんなところで」
「どうしたも何も、二時間くらい前からここに居ますよ」
「ええ?そうだったんですかぁ?来るかなと思って気にしてはいたんですけどねー。なぁんで気づかないかなー」
「仕方ないですよ。たくさん人がいましたし」
「だっからダメ男って言われるんですよねー。他にも、気が利かないだの、甲斐性なしだの、そのヘッドギア全然似合ってねーよ!だのと、もう散々な言われようでしたけど。プラスの要素が何もない!驚きの低評価です」
「そんなことないですよ。ヤマトさんは気配りの人です。書類運びを手伝ってもらったり、まめに声を掛けてもらったり、ナルト君やサクラの様子を教えてもらったり。とても助かってますよ?」
 あんまりにもしょんぼりしているので、ついついフォローをしたくなった。日ごろの感謝を伝えるいい機会かもしれない。先の任務では、自分の勝手な判断で相談役にせっついた結果、綱手と犬猿の仲であるダンゾウの部下が七班に配属することになった。頼みのはたけカカシは入院中。そこで白羽の矢が立ったのがヤマトだ。落ち込むシズネの胸中を慮って、ヤマトは顔を合わせるたびに七班の様子をこまめに伝えてくれた。それがどんなに嬉しかったか。
「ヘッドギアもよくお似合いです」
「ええ〜?そうですかぁ〜?」
 懐疑的な台詞のわりに、ヤマトの顔はでれでれとだらしない。この調子だと、今日のことを覚えているかどうか、甚だ怪しいところだ。
「ずけずけ物を言いすぎで、空気読めなくても?」
「読めてますよ、大丈夫」
「態度がふてぶてしくても?」
「堂々としてるってことです」
 そうかなー、ほんとかなー、と首をゆらゆら揺らしながら、ヤマトは嬉しそうに呟く。
「暗部の皆さんには申し訳ないですが、ヤマトさんが七班に配属されたこと、本当に感謝してます。ヤマトさん以上の適任者はいませんよ」
「そんなことを言ってくれるのはあなただけだ!感激だなぁ!」
 うるうると瞳を潤ませながら、がばりと抱きついてきた。これは予想外の行動だ。不意打ちを食らって後ろに倒れそうになる。
「ええっ!?ちょっと……!」
「ぼかぁ嬉しいです!昔っからアンコさんは文句ばっかりだし、先輩はボクが何をやってもうっすい反応しか返さないし……それに比べてあなたときたら!神様ですか!」
「そんな、大げさですよ」
 だからいったん離れましょう。さりげなく肩を押し返すのだが、全然引かない。この人、どんだけ飲まされたの。
「あっはは、懐いてますねー。でっかい犬みたい」
 心底楽しそうな笑い声に、首だけ後ろに向ける。アンコが襖の戸に手を掛けて立っていた。
「アンコさん!ちょうど良かった、助けてください。全然離れてくれないんですよ」
「そいつ、なかなか稼ぎもいいし、オススメ物件ですよ。見てくれだって、そう悪くはないと思うんですよね」
 少しふらつきながらこちらに近づくと、アンコはヤマトの背後にしゃがみ、尻のポケットをごそごそと探る。
「何してるんですか?」
「お金借りようと思って。次の店行こうとしたら、財布の中が空っぽなんですよ。お、あったあった」
 二枚でいいかなーなんて呟きながら、まるで自分の物のように財布を開けた。普通に考えれば窃盗なのだが、二人は姉と弟みたいな間柄らしいし、アンコは借りると言ってるのだから、その言葉を信じるしかない。
「鼻垂らしたガキの頃から顔突き合わせてるけど、実直っつーの?嘘はつかないです。あとはね、頭の回転早いくせに、適度にバカ。図太いかと思えば心配性。生真面目だけど、時々暢気。ま、そんなとこかな」
 札を二枚抜き取ると、アンコは財布を折り畳んでヤマトの尻ポケットに戻す。
「というわけで、今後ともよろしくお願いしまーす」
 そう言いながらヤマトの頭を掴むと、わしわしと髪を混ぜ返した。
「さてと。それじゃ私は次の店行きますんで」
「え、あの、ヤマトさんは!?」
「どーぞどーぞ。ご自宅にお持ち帰りくださーい」
 こちらに顔を向けることなく、アンコはひらひらと手を振りながら部屋を出て行った。アンコを引きとめようとするが、ヤマトががっしりとしがみついて離れない。
「どうすんのよ、これ」
 シズネにひっついたままのヤマトが、もう飲めませぇん、と苦悶の表情で呟いた。





※アンコさんとヤマちゃんの関係は、「弔悼」に準拠。百戦錬磨のヤマちゃん隊長も、七班の任務は相当キツかったと思う。胃にくる感じの疲労感。バテた身体にアンコさんがしこたま酒を入れるもんだから、ベロンベロン。ところで、アンコさんとシズネさんって、面識あるんかしらね。アニメだとシズネさんと紅先生はタメ口だったけど。




2012/06/25