ばたばたと走る誰かの足音が、遠くに響いている。やがて怒声に近い声がきれぎれに聞こえはじめ、急患が担ぎこまれたのだろうと見当をつけた。病院ってのは案外慌しいもんだな、と思いながら、アスマは口の端に咥えたタバコをふらふらと上下に揺らした。ちなみに病院内は禁煙のため、火はつけていない。
 カカシを担いで木ノ葉病院に駆け込んでから、もう一時間は経っただろうか。何やら思わしくない状態のようで、今座っているベンチの真向かいにある診療室には、医者が次々と入っていった。うちはの瞳術という奴は、普通の幻術とはまるきり勝手が違うらしい。
「左腕」
「んー?」
 のっそりと口を開き、顔をわずかに傾けると、同じベンチに座る紅の横顔が見えた。ぼんやりとした表情で、膝の上に頬杖をついている。
「平気なの?」
「ああ、これか」
 言いながら、アスマは左の上腕部を動かしてみせる。大刀で肉を少し削られてはいたが、カカシの診療を待つ間に治療を済ませたし、今は血も止まっていた。
「任務に支障はねえよ」
「そう」
 怪我の具合を尋ねるぐらいだ、それなりに心配をしているのだろう。しかしこうも気のない声が返ってくると、なんで聞いたんだ?と首を傾げたくもなる。いつもの颯爽とした女ぶりはどこにいったのか。調子が狂って仕方がない。
 まあ、無理もねえか。胸中で呟くと、アスマは顔を前に戻し、またタバコをふらふらと遊ばせる。この世界、強い奴はわんさといるし、上を見ればキリがない。しかし、同じ土壌であそこまで格の違いを見せ付けられたら、正直堪えるだろう。うちはの瞳術に比べれば、言っちゃ悪いがどんな幻術も子供だましだ。
「アンコから頼まれた団子、どうすんだ」
 こいつ今、何考えてんのかな。らしくもなく気に掛けながら、アスマはどうでもいい会話を続ける。
「……ああ、忘れてた」
「この騒ぎだし、あいつにもこっちの事情は伝わってんだろ。自分で買いに行ってんじゃねえのか?」
「どうかしら。情報部はろくに休めてないみたいだし、そんな暇はないと思うけど」
「今はどこも人手不足だからな」
 心の弱い所を決して見せない奴だと、ずっと思っていた。九尾事件の時だって、臆する様子はひとつも見せず、自分たちを戦いに出さない上の連中に噛みつくばかりだった。それが今、少しだけ揺れているように見える。
 こいつも泣いたりすんのかね。アスマは想像する。涙をぼろぼろ零して、子供のようにわんわんと泣く姿。なんか違ぇな、と頭をかく。視線だけをちらりと移し、また紅を見る。アスマはハッと目を見開いた。紅の頬に、すうっと流れる一筋の涙が見えたような気がしたのだ。単なる影だとすぐに気づいたが、心臓をつかまれた感触は消えてくれない。
 こいつが泣くとしたら、きっと無表情だ。部屋に一人きり、誰をも寄せ付けず、少しも顔を歪めることなく、泣き声すら漏らさずに、ただただ涙を流すのだろう。きっとその姿は一枚の絵みたいに美しいに違いない。
「おい、紅」
 アスマは自分でもよくわからぬまま、紅の名を呼んだ。
「何?どうしたの?」
 こちらを不思議そうに見てくるその目をじっと覗き込み、アスマは思う。そんな寂しいのはダメだ。我慢がならない。泣くんなら、オレがいてやるから、そこで泣け。
「今日の夜な、」
「すまん、遅くなった!」
 オレに付き合え、と続けるはずの言葉は、ガイの登場によって掻き消えた。ガイは、うちはイタチと干柿鬼鮫の二人が去った後、自身が手配した暗部の小隊と、今後の対応について話し合っていた。時間が掛かったところから察すると、里の上層部も交えて相談をしていたのだろう。
「カカシはどうだ!大丈夫か!?」
「まだ診てる最中よ」
「そうか……」
 心配そうに診療室の扉を見つめるガイだったが、その視線はすぐに紅へと移った。
「今回は完敗だったな、紅」
 ガイのあまりにストレートな物言いに、アスマはぎょっとする。お前、もう少し言い方があるだろうよ。フォローをしようと口を開きかけるも、紅のかすかな笑い声が、アスマを呆けさせた。
「ふふ、本当にね。まるで歯が立たないんだもの」
「うちはの瞳術を相手にするのは、これが初めてか?」
「ええ。ここまで差を見せつけられたら、もう笑うしかないわ」
「だが、これで終わる気はないのだろう?」
 挑戦的なガイの言葉を受けて、紅の瞳に力が戻る。
「もちろんよ」
「ウム、いい答えだ。よければ今度、手合わせをしないか?足だけで動きを把握するコツを伝授するぞ」
「いいわね、それ。嬉しいわ」
「よし、決まりだな。アスマ、お前も一緒にどうだ?」
「……オレぁいいよ」
「何だ、どうした。遠慮はいらんぞ。修行相手は多いほど燃えるからな!」
「そういうのはパスだ。お前らだけでやれ」
「さてと。まだ時間がかかるようだし、団子を買ってくるわ。アンコのところに寄ってから、また合流する」
「そうか。行ってくるといい」
 そう言って頷くガイに、紅は綺麗な笑みを返すと、その場を後にした。先ほどまでの気のない様子はどこへやら、すっかり調子が戻っている。ガイは紅の後姿を眺めながら、アスマの隣にどっかりと座った。
「ガイ」
「なんだ?」
「お前は上手いな」
「何がだ」
「抜け目のない奴で、油断も隙もない」
「ふむ、よくわからんが、確かにオレは油断もなければ隙もないぞ!修行を重ねているからな!」
 豪快に笑うガイの隣で、アスマはつまらなそうに息を吐いた。




2012/06/06