いのが遊びに来たのは、昼過ぎのことだった。新居に遊びに行きたいとずーっと言っていたのだが、時間があわずに延び延びになっていて、その日にようやく都合がついたというわけだ。家の間取りを一通り見せた後、リビングのテーブルに落ち着いてからは、少しも途切れることなく延々喋り続けている。
「でもさあ、忍術で容姿を変えて潜入ってのは、リスク高いんじゃないの?」
 話題が仕事の内容に及んだところでサクラは席を立ち、話を続けながら台所に向かう。お茶のおかわりを用意するためだ。茶葉を入れ替え、ティーポットにお湯を注ぐ。
「忍崩れって相当多いし。感知されたら、そこでもう不審人物確定じゃない」
「まあね。でも、油断させるなら見た目を変えるのが一番手っ取り早いのよ」
 サクラの指摘を認めながらも、いのはなおもその有用性を説く。
「そりゃそうなんだろうけど、よっぽど自信あるのね」
 ティーポットを片手に椅子に戻ると、肩を竦めながら言う。サクラは、いのが任されるようなタイプの潜入任務に縁がない。そういうものなのかと思いつつも、いささか懐疑的だった。
「最近の自信作、見てみる?」
「ええ?いいわよ、別に」
 空になっている二つのカップに茶を注ぎながら、サクラは苦笑交じりに首を振る。
「まあまあ、そう言わないで。えーっとね……」
 いのは椅子から立ち上がると印を結び、変化の術を発動させた。
「ふっふー、どう?」
「どうって……あんたの趣味丸出しじゃないの」
 顔や体つきを変化させるのかと思いきや、性別まで変えるとは想像していなかった。顔面の各パーツ、手足のバランス、筋肉のつき方。ありとあらゆる箇所に、いのの好みが全面に押し出された容姿だ。
「これね、面白いぐらい落ちるわよ」
「……あんた、性格悪くなったんじゃないの?」
「やーねえ、それくらいの遊び心がないとやってけないわよ、諜報なんて」
 いのはそう言いながら、サクラの傍らにそっと寄り添う。色男の立ち振る舞いをかなり研究したのだろう、いのの仕草には気品すら感じられた。その鋭い観察眼に舌を巻く。
「ちょっと、近いって」
「こうやって目を合わせれば、誘いを断れない」
「安い台詞には十分注意してね」
 そう答えはしたものの、サクラは内心なるほど、と頷いていた。たとえありきたりな言葉でも、こんな風に囁かれると揺れるかもしれない。女性が好ましいと感じる佇まいを、いのは完璧にものにしていた。
「ただいまー」
 奇妙な空気をかいくぐって、くたびれた声が響く。どすどすと重い足音が近づき、廊下に通じる扉が勢いよく開かれた。
「うえー。つっかれたー」
「「おかえりなさい」」
 二人同時に声を出すと、ナルトの顔がピシリと固まる。ドアノブを握ったまま、その身体は微動だにしなかった。やがて扉をゆっくりと戻すと、少しの間が空いた後、玄関ドアの閉まる音が響いた。
「追いかけた方がいいんじゃないの?なんか勘違いしてるわよ、あれ」
 しんと静まり返るリビングの中、扉を指差しながら、いのは他人事のように言った。




 ナルトは、あてどなくとぼとぼと歩いていた。うつむけた顔に、丸めた背中。しょんぼりしているその様子には、とぼとぼという言葉がぴったりだ。
 疲れて家に帰ってきたら、知らない男がリビングにいた。しかも親密な様子で、サクラの耳元に何やら囁いているのだから、ただ事ではない。しかも、びっくりするほど男前だった。さて、あれは誰だろうか。押し売り、勧誘、何かの修理工、自分の知らないサクラの友人、あるいは。一番考えたくない可能性を振り払うように、頭をぶんぶんと振る。
「ナルト!待ちなさい!」
 遠くから聞こえてくるのは、サクラの声だ。恐々振り返ると、あの男前がサクラの後ろにぴったりとついている。ナルトは唇をきつく引き結ぶと、だっと駆け出した。
「あ、逃げた」
「あんのバカ!何で逃げんのよっ!」
 苛立たしげに走る速度を上げるサクラを、いのは軽快に追いかける。誤解をとくという目的もあるが、いのにとっては物見遊山の感覚だ。
「待ちなさいっての!」
 後ろから襟をつかむと、ぐえっという潰れた声と共に、ナルトの足がようやく止まった。
「任務あがりで私をちぎれると思った?」
 喉元をさすりながら、ナルトは目を伏せる。今回は、疲労の色が濃い。逃げたところで分が悪かった。
「ああ、ようやく捕まったか」
 塀の上からひょいっと降りてくるのは、先ほどの男前。どこか楽しそうな声に、かっと血が上る。
「お前、誰だってばよ!」
「ええっ?まだわかんないの?」
 涼しい顔で言い放つその様が気に入らない。掴みかからんばかりの勢いで距離をつめるが、男は顔色ひとつ変えず、動揺する素振りさえ見せない。一人じたばたしている自分がバカみたいで、怒りはさらに倍増する。
「わかるわけねーだろ!つーかそれ、オレのサンダルじゃねーか!何勝手に履いてんだよ!さっさと脱げ!」
「しょうがないでしょ、足に合うのがこれしかなかったんだから。あんた、水虫持ってないでしょうね」
 妙な女言葉を使いながら片足を上げると、男は引っ掛けたサンダルをふらふらさせる。今度こそナルトはブチ切れた。不穏な空気をいち早く察したサクラは、リードを握る飼い主のように、また後ろからナルトの襟を引っ張る。
「はいはい、ストップ」
「サクラちゃん!あれ誰!すっげームカつくってばよ!」
「いのよ」
「……いのぉ!?」
「今日はうちで一緒にお茶飲んでたの。よく見なさい。ただの変化だから」
 怪訝そうにじーっと男を見つめるナルトだったが、みるみるうちにその目は見開かれていく。
「おまっ……変化解いてから追っかけてこいよ!ややこしいな!」
「いやよ!もったいないじゃない!せっかく上手くできたのに!」
 この感じは、間違いなくいのだ。思わず脱力する。
「大体あんた、蛙モード使えばすぐにわかるじゃないの」
「蛙じゃねーよ!仙人だよ!オレは任務明けなの!くたくたなの!」
「はいはい、お疲れ様です。さて、誤解もとけたようだし、私は先に戻ってるわね。お二人は後からごゆっくりどうぞ」
 帰りがけに女の子をナンパでもしそうな軽薄さを漂わせながら、いのはその場を後にした。ナルトは気まずそうにそっぽを向いて、押し黙る。やきもきしていたのが単なる勘違いだとわかったせいで、ばつが悪い。
「じゃ、帰ろっか」
「……ん」
 目を合わせることができないナルトの手を、サクラはさっと取り、しっかりと握る。
「昼間っから手ぇ繋ぐの、嫌いじゃなかったの?」
「うん。嫌い。誰に見られるかわかんないし」
「じゃあ、なんで繋ぐの」
「べっつにー。深い意味はないわよ」
 仲睦まじい恋人というよりは、教師に引率されるアカデミーの生徒といった方がしっくりくる。はーっと深く息を吐くと、ナルトは空いた片手で顔をごしごしと擦った。
「……オレってば、チョーかっこ悪い」
 勘違いして、から回って、いのを相手に八つ当たり。穴があったら入りたいとはまさしくこのことだ。呆れ返っているのでは、とサクラの様子をこっそり窺うと、意外や意外、その表情は柔らかかった。恥ずかしい奴、と責められるかと思ったのだが。
 なぜか上機嫌のサクラを隣に、ナルトはやっぱりとぼとぼと家路についた。




2012/06/01