うっすら目を開けると、真向かいの壁に見慣れない時計がかかっていた。家に置いてあるのとは違い、時間さえわかればいいという持ち主の思考が反映された無機質な時計だ。ここはどこだろう。身じろぎして周囲を確認する。 「起きた?」 その声は常日頃から耳に馴染んだもので、やっぱり家にいるだろうかと思い直す。 「家じゃないわよ。あんた、そのまま寝ちゃったの」 そのまま、という単語でようやく思い出した。任務で少し怪我をしたのを理由にサクラのところへ押しかけたはいいが、ソファに掛けたまま寝てしまったのだ。疲れた姿を晒すのは情けないと思うが、今自分が置かれている状況への満足感が勝った。 「ひざまくらー」 きっと身体を気遣ってくれたに違いない。愛のなせる業と信じて疑わず、口元を綻ばせて呟く。 「そんな甘ったるいもんじゃないわよ」 呆れたように息を漏らして、サクラはあっさり否定した。かなしい。 「あんたは一度寝ちゃったら起きないでしょ。面倒だから放っておいただけ」 少し顔を傾けると、サクラの手はひっきりなしに動いていた。先ほどから頭の近くで響いている小さな引っかき音は、紙の上をペンが走る音だったようだ。誰かと話をしながら物を書ける器用さを、ナルトは尊敬する。自分には絶対無理だ。 「報告書でも書いてんの?」 真剣なその顔を、膝に頭を預けた格好で見上げる。この角度でサクラを見るのはなんだか新鮮だ。視線に気付いたサクラが、少し顔を顰めてナルトの額をぺしりと叩く。 「似たようなものよ。さっさと起き上がって頂戴」 「えー、もう少しー」 子供みたいな駄々をこねて腰にしがみつこうとすれば、今度はごちんと拳骨が落ちてきた。 「いい加減にしなさい。仕事中よ」 「……はい、すんません」 むくりと起き上がり、頭をさすりながらサクラの隣にひとまず落ち着く。喉の渇きを覚えたが、この部屋には珈琲しかないことを知っている。かといってこのまま部屋を出るのはなんとなく名残惜しい。手持ち無沙汰に視線をあちこち彷徨わせていると、サクラが首を傾けて肩を回しはじめた。 「お疲れですか」 「お疲れですとも」 根を詰める日々が続いているのか、心底くたびれた声だった。 「休みますか?」 「休暇の話?無理よ、無理」 「そうじゃなくてね、お返しにどうかと」 ナルトは、とんとんと自分の膝を手の平で叩く。 「……何それ」 「膝枕」 「ええー?何でよ」 「何でって、気持ちいいから」 ナルトの言葉に、サクラは極めて軽蔑に近い視線を寄越してくる。 「あんたが?」 「ちっげえよ、サクラちゃんが」 これは純粋な厚意である。憮然として言い返す。 「膝の上に頭乗せるだけでしょ?」 「頭、乗せたことないでしょ?」 そういうことは、一度試してから言って貰おうじゃないの。 二人の間に、妙な張り合いが生まれる。 睨み合いのような時間は、サクラがクリップボードをテーブルに置くことでようやく途切れた。半信半疑な顔でそろそろと身体を横たえるが、膝に頭を乗せかけたところで、サクラは急に立ち上がる。何をするかと思えば、内側から部屋の鍵を掛けた。 「鍵なんか掛けちゃって、やーらしいなあ」 「あのねぇ、ここは私の仕事場なの。誰かに見られると厄介でしょ。当然の自衛よ」 再びソファに腰を落とし、今度は勢いよく横になる。そしてサクラの頭は無事にナルトの膝へと着地した。 「……かったい」 第一声がそれかい。 「あのねぇ、人の身体はひん剥いちゃえば骨と筋肉しかないの。サクラちゃんの得意分野でしょ」 そもそもクッションのように柔らかいはずがない。ナルトにしては上出来の反論だった。サクラはそれには何も返さず、じっと目を瞑って感触を確かめる。 「あー、でもこれ、あったかいかも」 「そうそう、それが一番の肝なんだよね!」 わかってるじゃないの、と言わんばかりにうんうん頷く。クッションや枕では、このぬくぬく感を再現できないのだ。 「眠くなる理由、わかるわー」 「そうでしょうとも」 まあ、ナルトとて膝の上で寝たことはないのだが。うとうとしようものなら「重い」と文句を言われて追い払われるのが落ちだ。 「なかなかいいもんでしょ?」 「うん、そうかもね」 上々の反応だ。賛同を得られたことに満足したナルトは、視線を膝に落とす。喉も渇いたことだし、そろそろ部屋を出る頃合だ。 「……あれ、サクラちゃん?」 目を瞑ったまま、うんともすんとも動かない。それに加えて規則正しい寝息が聞こえてくる。 「早ッ!ちょっと、サクラちゃーん。ねえ、起きようよ、ここ仕事場でしょ?」 揺すって起こそうと肩に手を置いたものの、その手が動くことはなかった。代わりに、頬にかかる髪を一筋、そっと耳に掛ける。 疲れているのだと珍しくこぼしていたし、最近はきっと睡眠時間を削っているのだろう。そもそも、休みますかと誘ったのは自分だ。仕方がない。人間、諦めも肝心ということか。 「いやー、愛だよねぇ」 ソファの縁に広げた両手を引っ掛けて、しみじみ呟く。 よく晴れた休日の昼さがり。 リビングの椅子で本を読んでいるサクラに一声掛け、膝をトントンと叩く。サクラはちらりと視線を寄越した後、本に目を落としたままソファに近づき、膝の上にこてんと頭を乗せる。 めったに自分からくっつこうとしないサクラが、この時は素直に身体を寄せてくるのがナルトには心地良かった。人に慣れない猫を手なずけたような気分だ。ちょっかいを出すとたちまち機嫌が悪くなるところもよく似ている。 こうして猫は、しばしば姿を見せる。 2012/01/04
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