岩と土しかない広大な場所に、万単位の忍がずらりと居並んでいる。
 開戦前の今、空気はピリピリとしていて、非常に落ち着かない。いのは息苦しさを覚えて、着慣れない木ノ葉ベストの襟を指でぐいっと開けた。風を通して少しでも気分転換をしたかったのだが、砂だらけの大気ではかえって不快感を呼び起こすばかりだ。眉を顰めて息を吐く。
「浮かない顔だな」
 同じ部隊に配置された蟲使いが、いつの間にか隣に立っていた。
「……このベスト、やっぱり動きにくい。今回は仕方ないから着るけどさ」
 機動性を重視した装束を好んで身に着けていたため、着用時の違和感が拭えない。胸元のポーチにしても、巻物は使わないので邪魔なだけだ。各陣営の目印となるべきものがベストしかないので我慢をするしかないのだが、他里のベストに目がいってしまう。
「慣れないものを身に着けるべきではないな」
 シノも同じことを考えていたのか、二度三度と頷いた。
 それにしても開戦の合図はまだだろうか。この後は確か連隊長の演説があると聞いていた。目の前にそそり立つ岩壁の中ほどには、テラス状にせり出した場所がある。おそらくそこで演説を打つのだろうが、今のところ人気はない。
 何度目かのため息を吐いて、岩壁の下に目を移した、その時。
「……あの人誰だろ。かあっこいー!」
 いい男探知センサーはこんな時も通常運転らしく、木ノ葉陣営の忍に視線が留まった。戦を前にした緊張感が、整った顔を一際輝かせている。
「ん?どこだ」
「チョウジ見える?で、砂、砂、岩と続いた後に、薄茶色の髪の男の人いるじゃない。顎に小さな傷があるの」
「ああ、見えた。知らない顔か?」
「知らない、知らない。あんなカッコイイ人、うちの里にいたんだ。お近づきになりたいなぁ〜」
 大戦前に何を浮かれたことをと呆れられるかもしれないが、無理に気負えば失敗するだけだと、忍の本能がしきりに訴えかけていた。平素とは違う憂鬱な心もちを拭い去るきっかけが欲しかったのだ。
「よければ紹介するが」
「うっそ、シノ知ってるの!?挨拶したーい!」
「だったら少し待て。あそこに奥方もいらっしゃるから、一緒に紹介しよう」
 急かすようにシノのコートを引っ張っていたが、奥方という言葉にその手が緩む。
「なぁんだ、奥さんいるのかー」
 手にしかけたきっかけは、するりと逃げていった。いのはがっくりと肩を落とし、ままならないこの状況を嘆く。うまくいかない時は、こんなものだ。
「奥方がいると問題があるのか?」
「問題にしない人もいるだろうけどね。私はパス。こういう稼業だから、私生活は身奇麗でいたいなーとか思うわけよ」
 見ているだけならまあいいか、としばらく嫁持ちの色男を見ていたが、隣の無反応ぶりが気になり、そちらに目を向ける。シノは、ぐっと眉を寄せて何か考え込んでいた。
「あー、ごめんごめん。シノには難しい話かもね」
 手をひらひらと動かし、気分を入れ替えるように息をすぅっと吸い込む。細かい砂が舞う空気は、清清しいとはとても言えない。
「よし、いの。右を見てみろ」
「ん?何?」
「キバの後ろに立っている、背の高い男だ」
「ああ、うん。見える」
「まだ独身だ」
「へえ、そう」
「その隣に居るのも、そうだな。ちなみにキバも独り身だぞ」
「……キバに奥さんいたら、むしろ驚くわよ」
 いのの呆れた声に動じることなく、シノはその後も周囲の人間を数え上げていく。しかし八人目に達したところで、澱みなく続いていた声がついに止まった。
「すまん」
「何?」
「今思い出した。あの男は結婚を控えていると聞いたことがある」
 しょんぼりと声を落として、シノは言った。見れば、主人の言いつけを破ってしまった犬のようにしょげかえっている。その様子があんまり可愛くて、思わず笑いが漏れた。
 シノのことだ、同じ部隊の仲間が戦争前に士気を落とすのはよくないと、知っている独身者を手当たり次第に教えたのだろう。間違えたときの反応をみると、本人なりに必死だったとみえる。こちらは、独身者ならば誰でもいいというわけでもないのに。シノのズレ加減がおかしくて、いのの笑いは止まらなくなった。
「シノはさ、ほんっとイイ奴よね!」
 なぜそんなことを言われるのかわからない。シノはそう言いたげな様子だが、褒められるのはまんざらでもないらしく、そうか、と小さく呟いた。
「お前もイイ奴だと思うぞ」
「あはは、そう?」
 どうやら笑い飛ばしたのが効いたらしく、気分がすっきりしている。身体も幾分軽いし、思いがけないきっかけで、気分転換が図れたようだ。そのうち周囲のざわめきは大きくなり、開戦の合図が近いのだと理解する。
「そろそろキバと合流しよう」
 シノの背中を叩こうと手を持ち上げたが、少し考えた後、左腕にそっと手を絡ませた。
「異論はない。だが、何故腕を組む」
「いいじゃないの、気にしなーい」




2011/10/16