夕飯時はとうに過ぎ、閉店の時間が近づいた頃。一楽の木扉がカラリと開いた。テウチは店じまいの準備をしていたが、扉を開けた人物の顔を見るなり、その手を止めた。 「おう、先生じゃねえか。久々だねえ」 「遅くに悪いね。まだ大丈夫?」 そっと窺うように、カカシが言う。一楽は、その日に用意した麺とスープが尽きてしまえば、店じまいだ。一楽といえば、里屈指の人気ラーメン店。この時間になっても残っているものか、少し心もとない。 「先生、運がいいよ。ちょうど一食分残ってる。すぐ作るから、適当に座ってくれ。注文は?」 「塩。野菜多めでお願いね」 「あいよ!塩一丁、野菜多め!」 店主に無事迎えられたカカシは、カウンターの一番端に腰を落ち着けた。里の復興が進む中、雑事に追われていたカカシは里内で落ち着いて飯を食べる暇もなかった。一楽の仮店舗に足を運ぶのも初めてで、座ったまま物珍しそうに店内を眺めている。 「なんだか大変そうだねえ」 湯切りした麺をラーメンどんぶりに移し替えながら、テウチが言った。 「うん、ちょっとね」 「ま、心配しちゃいねぇけどな。この里は、なんだかんだでいつも立ち直る。はいよ、塩お待ち!」 「ああ、美味そうだ」 ばちん、と箸を二つに割ると、小さく「いただきます」と呟く。口布をするりと下におろし、麺をずずっと口に含む。旨みをたっぷり含んだスープが縮れ麺と絡み合い、すきっ腹を刺激する。ナルトとイルカを虜にしたのも頷ける味だ。ゆっくり咀嚼し、蓮華でスープを掬う。忍の性が染み付いているせいでいつもは早食のカカシだが、今夜ぐらいは味わって飯を食べたかった。 「ここは大丈夫だよ。盗賊が来たところで、この里には一歩も入れやしないしね」 「そんなこたあ、心配してねえよ」 ラーメン一楽は里の危機を何度も経験したが、店を他へ移そうとしなかった。肝の据わったこの店主は、いつだって誰より早く店を建て直し、ラーメンを作り続けた。忍にとっては有難い存在だ。テウチに胃袋を掴まれた忍は、思いのほか多い。 「こないだ、久々にナルトがラーメン食いに来た時な、」 メンマを口に運びながら、カカシがちらりとテウチを見た。 「あいつ、他の客にサインねだられてたよ。子供がファンなんだとよ」 「はは、すごいね」 くしゃりと相好を崩して、カカシは笑う。 「先生だってあるんじゃないかい?なんたって、『写輪眼のカカシ』だもんな」 「ないない、そういうのはないよ。二つ名は貰ったけどね」 カカシもこの里では顔が利く方だが、サインをねだられたことは一度もない。似たようなことは、一度だけ。金属疲労で使い物にならなくなった手裏剣を廃棄しようとしたところ、木遁使いの後輩に「それボクにください」と言われた。 先輩がずっと使っていたものでしょう?下手なお守りよりご利益ありそうです。 真顔でそう言うと、ボロボロに歯が欠けて歪んだ手裏剣を、手ぬぐいにそっと包んだ。あいつは、あれを後生大事に今でも持っているのだろうか。 「それでナルトの奴、どうしたんです?」 「断ってたよ。サインなんか持ってねえって」 「そうなんだ。あいつ、練習とかしてそうだけどね」 「はは、確かにな」 二人はからからと笑い合っていたが、やがて思いを馳せるような沈黙が訪れる。 「……立派になったよなぁ」 「そうだね」 深く息を吐きながらテウチが呟くと、カカシもそれに小さく応える。店内に、ラーメンの啜る音が淡々と響いた。 「ごぢそうさま。美味かった」 スープも残さず平らげた器の上に、揃えた割り箸をそっと置く。 「お代、ここ置いとくよ」 「今日はいいよ」 「そういうわけにはいかない。この里で一番美味いもの食わせてもらったからね。ちゃんと払わないと」 「じゃあ、色々片付いた後、また食いにきてくれ」 カカシはテウチの心遣いに頬を緩ませて、そっと口布を戻した。 「……久しぶりのラーメンは、きっと美味いだろうな」 「いつも以上に美味いの食わせるから、期待してなよ、先生」 「ありがとう。じゃあ、ご馳走様」 「おう。また、来てくれな」 テウチが送り出す言葉は、いつも通りだ。扉を後ろ手に閉めて、家路に着く。家に帰ったら忍犬たちの世話をして、さっと風呂に入り、静かに床につく。幾度となく迎えてきた、出征前夜だ。背を少し丸めた格好でゆったりと歩を進めていたが、いつもより視界が少しだけ明るいことに気づき、顎をぐっと上げる。雲ひとつのない空に、小さな光が無数に瞬いていた。 「……綺麗だなあ」 しばし呆然と立ち止まる。これは、里からの贈り物だろうか。長く離れる前に、これほど見事な夜空を見られるとは。 「いってきます」 そして再び、歩を進める。 2011/10/10
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