サクラは任務で里を空ける時、鍋いっぱいの豚汁と握り飯を用意していく。具沢山の豚汁は一品でおかずになるし、握り飯はいつでも食べられるようにという配慮だ。そういう理由によりナルトにとって豚汁とはサクラの不在を意味し、その後数日続く一人暮らしを否応なしに突きつけられる料理だった。 「ただいまー」 服とサンダルの泥を払ってから、玄関の扉を開ける。すると途端にうまそうな匂いが鼻腔に届き、くたびれた身体が空腹をしきりに強調しはじめた。今日の夕飯はなにかとワクワクしながら台所へ向かう。 「おかえり」 「今日の飯なに?スゲーうまそうなニオイすんだけど」 「んー、もうちょっと待って。まだご飯炊けてないのよ」 吸い寄せられるようにふらふらとガスコンロに近づき、サクラの肩越しにひょこりと覗く。 「あー……豚汁か……」 思わず漏れ出てしまった一言に、台所の空気が瞬時に凍りついた。 サクラは鍋の両手をむんずと掴むと、その中身を三角コーナーにざあざあと流し始める。 「えっ!ちょっ!わーわー!何してんのっ!!」 ナルトは悲鳴を上げて鍋をひったくると、大幅に目減りしてしまった鍋の中を恨めしそうに覗き込む。 「ああ〜もったいなぁい……」 減ってしまったのは一食分か、はたまた二食分か。鍋の中と三角コーナーを意地汚く交互に眺めていると、サクラが廊下を横切った。 「実家に帰らせていただきます」 怒り心頭といった声でそう言いながら、サクラは玄関に向かってずんずんと進んでいく。その手には、外套と遠征用の荷物が抱えられていた。 「ええっ!な、なんで〜!?」 「なんでもクソもないでしょうがっ!あったまきた!」 鍋をガスコンロの上に置くと、側面から流れ落ちた汁が五徳に焼かれ、じゅうっと音がする。ナルトは慌ててサクラを追いかけ、その手を引っつかもうとするが、組み手を嫌うかのようにバシバシと叩かれた。それならばと背後からサクラを抱えようと試みるも、ナルトの身体が宙を舞う。かなり怒っているのだろう、手加減することなく体重を思い切り乗せてきた。床が抜けるんじゃないかと思うほどの衝撃だ。息が止まる。 「ここにはもう戻らないから!」 捨て台詞と共に、バタンと扉が閉じられた。咳き込みながらも床から跳ね起き、玄関扉を再び開けると、周囲一帯にサクラの気配はない。 「ちっきしょ、全力で逃げてっし!」 こっちは家の戸締りを確認しなければならないというのに。窓を閉めて、火の元を確認して、どこに置いたかすでに忘れた家の鍵を探し出す。大幅なタイムロスだ。焦っているせいで鍵穴を壊しそうになるが、なんとか戸締りを終えると、ナルトは屋根に駆け上がった。 とにかく、サクラを連れ戻す。その一心で、二人の住処とサクラの実家をまっすぐ結んだ最短ルートを全速力で突き進む。幸い足には自信があるので、サクラの背中はすぐに見つかった。 「待てってば!」 走りながら手首を掴もうとするが、それを手刀で切られ、バランスを崩したところに蹴りが入る。すんでのところで避けるが、掠っただけで空気が震え、頬からは血が一筋。綱手仕込みの怪力チャクラか!ぞわっと背筋に寒気が走る。 「ああ、もう!仕方ねえな!」 そちらが本気なら、こちらにも考えがある。半ばやけくそ気味に九尾チャクラモードを発動すれば、今度はサクラが怯んだ。こんな場面で使うとは思っていなかったのだろう。生じた隙を逃すことなく、サクラを後ろから羽交い絞めにする。それでもサクラは振りほどこうとするが、抵抗は無駄だと悟り、すぐに大人しくなった。二人が足を止めた場所は、見知らぬ家の屋根の上。ナルトはサクラを抱えたまま、すぐ近くの空き地にすとんと着地した。 「……里内で何かあったと思われるから、それ解いて」 「解くとサクラちゃん逃げるでしょ」 「逃げないわよ」 「じゃあ、その荷物と交換」 サクラは背中を向けたまま、自分の荷物をポイっと宙に放り投げる。両手でそれを受け止めると、ナルトはようやく九尾モードを解いた。 「サクラちゃんが怒ったのはさ、せっかく作った料理にオレが文句言ったからでしょ?」 返事はなく、サクラから怒気が消えることはない。 「それね、誤解。まるきり誤解。でも、言い方が紛らわしいっていうか、酷かった。ごめんね」 何を言っても居心地の悪い沈黙が流れるばかりで、ナルトはそれを堪えるように、預かった荷物をぎゅうっと抱く。 「私だってね、色々思うことがあるのよ」 「うん」 「あんたは目を離すと自分の好きなものしか食べないし、下手するとスナック菓子で済ませようとするし、それで身体壊したら泣くに泣けないし。正直に言うと、任務前にご飯作るの、ものすっごく面倒くさい」 そりゃそうだ。自分が食べるわけでもないのに、なんで作らなきゃならないのか。そう思うことも多々あるだろう。そんなの、よく考えなくてもわかる。全面的に、オレが悪い。 「なのにあんたはさ、私が作るのが当たり前みたいな顔してるわけよ。あんたが外に出るときは、なーんも用意しないのに」 オレに何か作って欲しかったのだろうか。いや、たぶんそういうことじゃないんだろうな。でも、作ってあると嬉しいんだろうな。想像力足りないな。 「そういうのって、時々しんどい」 「うん」 自分でもびっくりするほどしょんぼりした声だった。サクラが、はあ、とため息をつく。 「サクラちゃんさ、家を空けるときに必ず豚汁作るでしょ。だからかな、豚汁見るとなんか悲しくなるんだよ」 できれば言いたくなかったが、誤解をとかないことには拗れたままだ。やだな、格好悪いな、と思いつつ、もそもそと言葉を継ぐ。 「玄関入ると家に誰もいなくてさ、風呂あいたよーって言っても返事なくてさ、これオモシレーって思っても伝えらんなくてさ、布団入ったら右側がからっぽでさ、」 あ、オレ今、むちゃくちゃ情けない。 本当はもっともっとあるけれど、これ以上言ったら愛想を尽かされるので、口を閉ざすことにした。 「……ガキ、子供」 「うん」 「わがまま、甘ったれ」 「うん」 「あーもう、しょうがないなあ!」 ようやくサクラが振り向いた。まだ顔は引きつっていて、腹の中にもやもやしたものを抱えているのだと容易に想像がつく。 「情けない奴でごめんね?」 「そんなの昔から知ってる」 ぎゅうっときつく鼻を摘まれ、涙が出てくる。 「変わんなくってごめんなさい」 鼻のつまった声で再び謝罪すれば、サクラは手を緩め、今度はナルトの頬をぺちぺちと軽く打つ。 「あんたがしょげてる顔はね、妙な力があるのよ。これはもう立派な武器よ、武器。無自覚なんだろうけど、腹が立つわ」 ぶつぶつと文句を言いながら、サクラはナルトの手を引っ張る。その足が向かうのは、サクラの実家とは反対方向だ。 「二度はないからね。今回きりよ、こんなの」 詫びと感謝と仲直り。身体を屈めて口付ければ、サクラはふいと顔を背ける。それでも手は繋がれたまま。 夏の湿った空気の中、とぼとぼと夜道を歩いた。 2011/07/20
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