すっかり何もなくなったな。
 もう何度思ったかわからない当たり前のことを、胸の内で呟く。里の中心部こそなんとか見られるようになったが、火影岩を背にすれば、地均しも終わっていない荒野が広がるばかりだ。例年、春先はアカデミーの入学式があるおかげで実家の花屋は注文がひっきりなしなのだが、そんな季節はとうに過ぎてしまった。店を再開したところで、果たして需要はあるのやら。気持ちが少しだけ後ろを向いている。
「おう、待ったか」
「んー、別に」
 背中へ掛けられた声に振り向くことなく、いのはそっけなく答えた。
「何食いたい?アカデミーの真向かいにあった蕎麦屋、営業再開だと」
「蕎麦もいいけど、お米食べたい。それよりホントに奢ってくれるんでしょうね」
「そうじゃなけりゃお前、オレに付き合わねえだろが」
「まあね」
 そう素直に認めて、くるりと身体を反転させる。キバの隣には、珍しく赤丸の姿がなかった。
「お前ん家、いつまで休業?」
「さー……だいぶ家も建ち並んできたし、そろそろ頃合かなと思うけど、今は忍稼業が忙しくてね」
「そっか」
「花を買う用事でもあるの?」
「紅先生の見舞い。つーか、出産祝いになるのか?」
「なるほどね。あーあ、お見舞い行きたかったなー!」
「しゃーねえだろ。行ったところで追い返されんぞ。他にやることがあるでしょ!なんつって」
「言えてる」
 雑談はそこで途切れ、大工仕事の音があちこちから聞こえてくる。トンカン、トンカン。リズミカルなこの音と、大工衆の活気は、弱った木ノ葉の背を力強く押してくれる。
「サクラのヤツ、まだサスケに未練あるんかな」
「……あんた、サクラに気があるの?残念ながら脈は欠片もないわよ」
「そういうんじゃねえよ」
 大声を出して否定するかと思ったら、キバらしくもなく、つまらなそうに吐き捨てる。
「なんで私に聞くのよ。直接本人に聞けば?」
「そう意地の悪いこと言うなって……」
 鉄の国から帰還したナルトは、ずらりと居並ぶ同期を前に、黙して何も語らなかった。問い詰めても無駄だと思ったのだろう、連中は皆、ナルトを放っておいている。サクラに同行した三人も、詳しいことは知らないらしい。同期の関係は、少しだけギクシャクしていた。
「サクラから聞いてんだろ?鉄の国のこと」
「まあ、ぼんやりとは」
「オレはさ、サクラがナルトに好きだって告白した時、やっと言いやがった、なーんて思ったんだよ。なのにあいつ、サスケがどうのこうのとウダウダ……あいつにとって、ナルトは何なんだ」
 キバの声は、微かに怒気を孕んでいる。
「そんなの、本人にだってわかってないわよ」
 誰より頭が回るくせに、いざ自分のことになると途端に思考が空回りする。長い付き合いの中で見てきたサクラは、いつだってそうだった。不器用すぎて、時々見ている方が辛くなる。
「オレがナルトの立場だったら、とっくの昔にキレてんぞ……」
 キバは、わけがわからんと呟きながら、がしがしと後頭部をかきむしる。
「あの三人は、環境がずいぶん特殊だからね。班員同士が強烈な片思い。下手に首を突っ込んだら、人生巻き込まれるわよ」
「おっかねえこと言うなよ」
「でも、笑い飛ばせないでしょ?」
「まったくだ」
 こんな話をするためにわざわざ呼び出したのだろうか。せっかちなキバは用件を後回しにしないはず。キバと二人じゃ間違ってもデートなんて空気にはならないし、肝心の用件は何なのだろう。淡々と足を前に運ぶキバの顔を、ちらりと覗き見る。
「お前は、整理できたのか」
「んー?」
 わざととぼけてみせると、キバは決まりの悪そうな顔で二の句を探す。
「なんつーか、その、あん時はオレもだいぶカリカリしてたからな……悪かったよ」
「あはは、なにしろ泣いてばっかだったしね」
 いざ事態に直面すると、自分の覚悟など何の役にも立たなかった。集まる皆の前でサクラが悲壮な決意を口にした時、あっさりと限界はやってきた。あとはもう、泣き崩れるばかり。キバがうんざりするのも無理はない。
「いつまでもずっと好きでいます、なーんて綺麗な言葉は、もう言えそうにないなぁ」
 サスケと次に顔を合わせた時には、敵同士。自分はクナイを構え、殺す段取りを冷静に考えるだろう。容赦も慈悲もない。そういうものだ。
「けどさ、サスケ君を追いかけてた時間とか、一緒に過ごした季節とか、そういうのは絶対に忘れないって、そう思うんだ」
 ひたすら追いかけるだけの毎日だった。駆け寄って背後から抱き付けば、邪魔だと文句を言いつつも、少しだけ照れた顔を見せるのが可愛かった。姿を見てるだけで嬉しくなる。そこに居てくれるだけで気持ちが弾む。そんな存在は、サスケを除いて他にはない。
 ああ、好きだったなあ。しみじみと思った。
「女々しい?」
「……んなことねえよ。整理する必要のないものまで消しちまうことねえだろ。そういうのは、大事にとっとけ」
「あらま、やさしい」
「気づくのおせーよ」
 再建が急ピッチで進む商店街に足を踏み入れると、看板や暖簾の数が日に日に増えているのがわかる。掲げられた真新しい看板を眺めつつ、うちの看板も早いとこ新しいのを作らなくちゃ、とぼんやり思う。忍稼業に追われてそれどころじゃないというのは事実だが、いい時も悪い時も一緒に過ごしたあの看板がなくなってしまったことが、営業再開の決心を鈍らせていた。
「店、また開けるんだろ?」
「……たぶんね」
「この里のニオイも、ずいぶん味気ないものになっちまったからな。どうも調子が狂う。嫌いじゃねーんだわ、あのニオイ」
「へえ。花なんて香りが強いのにね、なんでだろ」
「里の一部分になってんだろうな。花なら、やまなか。お前んとこ以外で花を買う気はねえぞ」
「女の子に花を贈る予定なんて、どこにもないくせに」
 うっせえ!と一声吼えた後、キバがほっとした表情を覗かせたのを、いのは見逃さなかった。
 ああなるほど、これが本題だったのか。泣いてるだけの自分を責めたことを、こいつはずっと気にしてたらしい。そして、落ち込んだ風でもなく、いつもの様子と変わらないのを見てほっとした、とか?
 へえ、意外と可愛いところがあるじゃないの。
「ま、プレゼントする際には一言相談してみてよ。バラさえあげればいいと思ったら大間違いよ?その人に似合う花っていうのが、必ずあるんだから」
「お前に相談すると、弱み握られそうでこえーんだよ」
「やあね、お客さんのプライベートは守るわよ」
「つーかさ、お前ぜってー笑うだろ」
「笑わないから、私んとこに来なさい。いい?」
「だったら、早いとこ店を開けてくれないと困るんだけどな」
「そうね、考えてみるわ」
 こいつが誰かに花を贈るとき困らないように、店を早く再開しようと心に決めた。






※いのちゃんとキバは、何か話をしたんじゃないかなーと思ってる。



2011/06/01