「ふごっ!」
 喉に引っかかった自分の鼾で、目が覚めた。記憶が途切れる前の部屋は、春のあたたかな陽射しが入り込んでいたのに、今はすっかり薄暗くなっている。確か今日は11時過ぎに起きた後、朝昼兼用の飯を食って、雑誌を読みながらソファの上でごろ寝をしていたはずだ。顔を横たえると、読んでいた雑誌が床に転げ落ちている。そして視界の端には、ふらふらと揺れる白い布。そこでようやく、身体に毛布が掛けられていることに気づいた。風邪を引かないように、とサクラが掛けてくれたのだろう。
「へへ、やっさしー」
 こういう時、一人じゃないっていいなあ、と心底思う。誰かが側に居るって、心地よくてあったかい。余韻に浸っていると、空気の読めない腹の虫がひときわ大きく鳴った。
「いい場面なのに、そりゃねえだろ……」
 腹を擦りながら重たい身体を起こすと、ソファがギシギシと悲鳴をあげた。長い手足はソファにおさまりきらず、背凭れや肘掛けから、だらしなくはみ出ている。知人から譲り受けたソファなので、大きさに文句は言えない。
 さて、夕飯はどうしようか。そういえば、サクラの姿が見えない。昼飯は一緒に家で食べたし、外に出るときは書き置きを残すのがこの家のルールだ。とすれば、また部屋に篭って調べ物をしているのだろう。ここ最近、書棚のずらりと並ぶ四畳半に閉じこもる時間が長くなっている。そんなに忙しいのかと尋ねても、ちょっとね、と曖昧に濁すだけ。
「ちっと根詰めすぎじゃね?」
 廊下に出て、薄明かりのもれている扉から、そっと中の様子を窺う。軽い気持ちで覗いたことを、ナルトはすぐに後悔した。机に向かってペンを走らせているサクラの横顔が、今にも泣き出しそうに崩れている。
 顔を引っ込めると、壁に背を預けたまま、ずるずると床に腰をおろした。こんな時、自分の無力さをまざまざと見せつけられる。普通の任務だったら、力になってやれるのに。オレがなんとかしてやる!と力強く言い切れるのに。あんな顔を見せるのは、医療絡み、しかも人の命がかかっている時と決まっているのだ。
 あれは何年前になるだろう。大ガマ仙人の予言も、サスケと対峙した時に掴んだ確信も、何もかもを己の腹におさめて、ナルトはサスケとの最後の戦いに向かった。何も言わずに見守ってくれたサクラも、実はこんな気持ちだったのだろうか?
 何もできなくてごめんなさい。すべてが終結した時、サクラはそう言って涙を流した。ナルトは、どうしてサクラがそんなことを言うのか、さっぱり理解ができなかった。だって、オレたちはいつでも一緒だったじゃないか。サクラが傍らに居てくれたからこそ、サスケを止められたのだ。それをいくら語って聞かせても、サクラは納得できないようだった。あまつさえ、最初から最後まであんたに頼りっぱなしだったことが悔しい、と。ナルトは、その言葉に少しだけ傷ついた。サクラの言うことが本当ならば、最初から最後まで、オレは一人きりだったというのか。今度は私も一緒に。サスケ奪還に失敗した際、サクラはそう自分に告げてくれたというのに。
 誰かと一緒に生きるとは、一体どういうことなのだろう。サクラとの暮らしを通じて、ナルトはそれを学びつつある。嬉しいことや楽しいことは皆で共有し、苦しみや悲しみは一人で耐え抜くもの。そんな考え方が自分の中に染みついているのだと、ナルトはようやく気づくことができた。そして、歯を食いしばって耐えている姿を見守ることが、どれほど辛いことかも、また。
 目をぎゅっと瞑り、大きく息を吸う。それから、ゆっくりと息を吐き、目蓋をひらく。
「……あったかい茶、飲むかな」
 ほうじ茶がいいか。いや、紅茶にレモンを絞ってみたら、きっと喜ぶ。それから、いつもより豪華なメシ屋に行って、気分転換させよう。そんでもって、ぬくい布団でぐっすり寝たら少し元気が出るかもしれない。そうと決まれば、お湯を沸かして準備をしよう。「美味しい紅茶の淹れ方」というタイトルの本が、確かリビングの本棚にあったはず。
「うっし……やるか!」
 腕をぐるぐる回して、少しだけ大きな声。薄暗い気分を追い出し、目当ての本を探しはじめる。
 ただ見ているだけなんて、もうまっぴらだ。オレは、ちゃんと分かち合いたいのだ。
「えーと、あったあった」
 背表紙に指先を引っ掛けて本を取り出すと、気合を入れて台所へ向かった。





2011/04/11