「これでよし、と」
 サクラは糸をプツンと切ると、先ほどからチクチクと針を通していた忍服を目の前に広げた。仕上がりは上々らしく、サクラは満足げな笑みを見せる。
「へえ、器用なものだ」
「隊長、これくらいは誰でもやりますよ?」
 褒め言葉のつもりだったのだが、どうやら失敗したようだ。少し呆れたようなサクラの眼差しに、ヤマトは苦笑する。
「そりゃ失敬」
 任務の帰り道、クナイや手裏剣でかすった衣服を繕うのは、通常部隊では比較的よく見られる風景らしい。木遁術で作った小屋の中に入るなり、針と糸を取り出して繕い物をはじめるサクラを物珍しげに観察していたら、そう告げられた。陽のあたる場所で生きる者と、闇に紛れて泥を食む者。元は同じ忍だというのに、こうも違いが出てくるものなのか。なかなか興味深い。
「ナルト、あんた繕い物ある?」
「んー、今んとこねえってばよ」
「まーた、あんたは適当なこと言って……ちょっと見せてみなさい」
 サクラは繕い終わった忍服を畳むと、部屋の隅で忍具の手入れをしているナルトの元へと歩み寄る。
「えー?大丈夫だってー」
 すぐ横にしゃがみ、オレンジ色の忍服をじろじろと眺め回した後、あちこち触ったり引っ張ったり。その間、ナルトは両手を挙げて、どこか緊張した様子を見せていた。異性に近づかれて緊張しているというより、主人に叱られないか身を竦めている犬といった感じだ。
「ほらあ、ここ!引っ掛けてるじゃないの!」
「え?ありゃ、ほんとだ」
「ほら、早く脱ぎなさい。すぐにやったげるから」
「うーい。お願いします」
 言われた通り素直にジッパーを下ろし、ナルトは脱いだ上着をサクラに手渡す。引っ掛けた箇所を調べながら、サクラは元の場所に戻っていった。
「いつもそうやって繕い物をしてあげてるのかい?」
 黙って二人の様子を眺めていたヤマトが、サクラに声をかけた。
「いつも、というわけじゃないんですけどね。自分のついでにやってるだけです」
 肩を竦めて、サクラはオレンジの糸を針穴に通す。なるほど、ちゃんとオレンジの糸を常備をしているわけだ。ついでにとサクラは言ったが、そんな面倒事を積極的に請け負うだろうか。何やかやと気を掛けているのは、同じ班の仲間だからか?それとは違うようにヤマトには思える。
「そのわりに用意がいいね。糸を準備してるなんて」
「前に一度、ひどい目にあったんですよ」
「へえ、ひどい目ねえ」
 サクラがちらりとヤマトに視線を向ける。話を聞く姿勢を崩さないのを確認すると、サクラは少し意外そうな表情をのぞかせた。どうやら自分は、こういう与太話に首を突っ込むように見えないらしい。この子らの上忍師であるカカシは進んで話に参加する性分ではなかったし、上官は皆そういうものだと考えているのかもしれない。なんにせよ、お互いにまだ探り探りだ。
「まだ下忍だった頃の話ですけどね。ああ、ナルトはまだ下忍だっけか」
「サクラちゃん、ひっでえ!」
「とにかく、忍として任務に着きはじめた頃の話です。盗賊退治に借り出されまして、ナルトが影分身で相手を撒く役になったんですよ。なのにこいつったら、Tシャツの裾を枝に引っ掛けてるのにも気づかずに移動しましてね、」
 サクラがじろりとナルトを見る。その視線に気づきながらも、そ知らぬ振りでクナイの手入れをしているのがおかしかった。
「盗賊はその糸を辿ってナルトを追っかけてくるし!撒くどころか、とんだ先導役ですよ!」
「おっかしいと思ったんだってばよ。腹はスースーするし、影分身出してるのに盗賊のオッサン達は迷わずオレんこと追っかけてくるしさー。上着の前をあけてたのが悪かったんだな!うん!」
「そういう問題じゃない!」
「ちょっと待った。つまり移動している間、引っ掛けた枝とナルトが、ずぅっと糸で繋がっていたってことかい?」
「そういうことです。盗賊をぞろぞろ引き連れて私達と合流する頃には、布地がおなか通り越して胸のあたりまでなくなってましたよ」
 そこで耐え切れず、ぶっと吹き出してしまった。そんな間抜けな忍ってアリなのか!?とか、どんな丈夫な糸だよ!とか、突っ込み所は数限りない。その奇跡的な所業に、ますます笑いは止まらなくなる。
「……や、すまん、笑うつもりは……」
 そんなことは言っても、まだ声が震えているのだから、説得力はない。
「今だから笑い話になりますけどね、あの時は死ぬかと思いました。ほんっとに、忍としてどうなのよ」
 不機嫌そうな顔が、そこでぱっと変わる。続いて「よし、でーきた」と軽快な声。ナルトの繕い物が仕上がったらしい。あれだけ喋りながら手を動かすのだから、やはり器用なのではないかとヤマトは思う。
「サイ、あんたは?」
「ん?何がです?」
 いつもの作り笑いを浮かべて荷物整理をしていたサイに、サクラが声を掛けた。
「繕い物。ちょうど黒い糸ならあるし、もしあったらやっておくけど」
 おや、とヤマトは内心驚いた。ぽっかりと空いた穴を埋めるように身を寄せあう二人と、独立独歩の一人。ついこの間まではそんな三人だったはずが、まだまだ円滑とはいかないまでも、歯車が徐々に回り始めている。
「繕い物?」
「今回の任務で忍服が破けたとか、そういうの、ない?」
「いや、ないね。経験したこともない」
「さっすが。ナルト聞いてた?見習わないとね」
「……オレだって最近は少なくなったってばよ」
 ナルトのふてくされた声を見事に無視し、サクラはオレンジ色の糸を片付ける。
「ヤマト隊長は?」
「……ん?」
「何か縫うもの、ありますか?」
 なんと、ボクにも来たか。
 黒目がちなその目をまん丸にして、ヤマトは驚いた。
「あ、失礼なこと言っちゃった。隊長クラスなら、服に汚れも残しませんよね」
「いやいや。買いかぶりだよ。今度、お願いしてもいいかい?」
「はい、喜んで」
 こんな風に過ごす夜もあるのだな。部下の面々を眺めながら、しみじみ思う。
 もう暗部所属ではないのだから、わざわざ野営をすることもない。そんな考えでこしらえた小屋だが、サクラとナルトには殊のほか喜ばれた。屋根のある場所で共に寝起きし、帰り道には繕い物。なんだか里の匂いさえしてくるのだから不思議だ。
「なーなー隊長!今度は風呂つけてくれってばよ!」
「風呂?また贅沢な注文だなあ」
「火遁で沸かせば一発よね」
 サクラも笑いながら参加してくる。
「水はこちらで用意できるけど、生憎とボクは火遁を使えないんだ」
「ええ〜!?マジかよ!やっぱサスケ連れ戻すしかねえなあ」
 ここでサスケの名前が出てくるか。あれほど肩を落としていたというのに、もうすっかり立ち直ったようだ。最初こそどうなることかと思ったが、カカシの手がけた子供たちはしなやかな強さを持っている。なるほど、あの先輩が育てただけはあるようだ。
「カカシ先生に頼んでみる?」
「やー、先生ってばケチだし、面倒くさがりだし。ヤマト隊長の太っ腹なとこを見習ってほしいってばよ」
「サイは、どうだい?」
「はい?」
「風呂をつけるかどうか。サイがどうしても、というなら考えてあげよう」
 にこりと笑ってそう言えば、ナルトとサクラがわっと沸いた。
 感情的だが真っ直ぐな気質の、よく似た二人。そんな彼らに興味を示し、少しずつ変化をしはじめたサイ。この三人を纏め上げるのが、自分の仕事だ。
「入りたいよな!な!」
「任務の効率も上がると思うのよ!疲れも取れるし!」
「まあ、じっくりと説得してみるといいよ」
 報告書に手をつけるべく、ヤマトは腰を上げる。
 部屋を出ると、サイを説き伏せる二人の熱のこもった声が聞こえてきた。





2011/01/30