あかいろ、みどりいろ、さくらいろ。
 この三つは、ナルトにとって特別な色だ。
 一番目立つようにとオレンジ色の服を好んで着ているが、好きなあの娘を構成する色には強い思い入れがあった。たとえば依頼主の着ている服。たとえば道端に咲く野の花。三つのうちいずれかの色が目に入れば任務が成功するような気がしてくるし、嫌なことがあったとしても少しだけ気分が浮上する。他人に笑われるかもしれないが、ナルトにとっては大事なことだった。
「カカシ先生、今日は何時間遅れてくるのかしら」
 長い髪をくしゃりとかきあげて、サクラが言う。イライラしているのは、上から降ってくる声の調子でわかった。
「昼飯までには来てほしいってばよ……」
 地面にしゃがみ込んでいるナルトも、うんざりしながらそう答える。待っている間にできる修行なんて限りがあるし、指定された場所から動くわけにもいかない。サクラだって、任務に余計な荷物は持ち込みたくないという理由で、待ち時間に読書もできないのだ。サスケは……よくわからない。何がきっかけで喧嘩になるのかわからないので、視界にあまり入れないようにしている。喧嘩をした後は心がもやもやするし、サクラが本当に嫌そうな顔をするので、できればしたくない。
「サスケくん、早く来ないかなー」
 サクラがつまらなそうにサンダルのつま先で砂地を蹴る。するとナルトの視界で、綺麗な緑色がふらふらと揺れた。いつも不思議に思っていたことを口にしたのは、暇だったからだ。
「サクラちゃんの爪ってさー、元からそういう色なの?」
「……は?」
「手も足も緑色。珍しいってばよ」
 サクラは深く深くため息を吐くと、腰に下げたポーチから緑色の小さな瓶を取り出した。
「んなわけないでしょ。そのままだと爪が割れちゃうから、これで補強してんの」
「へー、見して見して!」
「いいけど、壊さないでね。少ない任務金で自腹切ってるんだから」
 色の違う細長い部分を捻ると、瓶は二つに分かれた。蓋の裏には小さな刷毛が付いていて、瓶の中には液体らしきものが詰まっている。瓶に顔を近づけてみると、きつい匂いが鼻腔を襲った。思わず、握った瓶ごと手を遠ざける。
「すんげー匂い……涙出た」
「あんたも爪、割れたりするの?」
「へ?爪?」
 目に涙を滲ませながら問い返すと、サクラは膝を折り、ナルトと視線を合わせた。
「あれ、地味に辛いのよね。前に一度、派手に剥がしちゃってさ。治るのにずいぶん掛かっちゃった。あれ以来、手放せないのよね」
 サクラの持ち物だからこそ興味を覚えたのだが、当のサクラは爪の補強という謳い文句に惹かれたと思ったのだろう。どんな怪我でも一日経てば癒えるのだから、爪なんか割れたことがない。その辛さもわからない。なのにサクラは、勝手に話を進めてしまう。
「あんたも使ってみたら?色つくのが嫌だったら、透明なのも売ってるし。なんなら今、試しにつけてみる?」
 言うが早いか、ナルトの手から瓶を奪い返し、手を出すように告げるのだった。何がなにやらわからず、ナルトは軽く握った右手を差し出した。
「握りこぶし作ってどうすんの。ちゃんと開いて、指伸ばす」
「……こう?」
 言われた通り、おずおずと手を開き、指を伸ばした。すると突然手を取られ、ナルトの心臓は破裂するんじゃないかと思うほど跳ね上がる。手を繋ぐというのはハードルの高い目標だったのだが、一気にクリアしてしまった。オレ今、サクラちゃんの手ぇ触ってる!
「そのままじっとしてるのよ」
 言い含めるようなその口調に、こくこくと無言で首を縦に振る。
「あれ?あんた、爪の形綺麗じゃない!」
「そ、そう?」
 指先から伝わる感触に全神経を集中させているため、反応がだいぶ遅れてしまった。何か変に思われただろうか。
「私、先が少し平たいのよね。あんたのは細長くて綺麗。なーんか嫉妬しちゃうわ」
 もしかして、褒められているのだろうか?爪の形が綺麗だと言われてもピンとこないし、喜ぶべきことなのかもわからない。でも、なんとなく嬉しい。サクラが自分を見てくれるのが、嬉しかった。
「いいなあ〜」
 歌うようにのんびりとそう言うと、サクラはナルトの爪に緑のエナメルを丁寧に乗せていく。任務以外で手を触れ合わせた記憶などない。よく見ると、サクラの手は自分より大きかった。悔しいはずなのに、心臓の鼓動は高まるばかりだ。鮮やかな色の髪が肩を滑り落ち、その様に目が奪われる。瓶の中は変な匂いでいっぱいなはずなのに、今はいい匂いがするのが不思議でたまらない。
 ひとつ塗り終わると、また隣の指へ。なぜだろう、サクラは機嫌が良いようで、口元がかすかに笑っていた。そんなつもりはないのに怒らせてしまうし、何かというと叱られてばかりだ。なのに、今は笑ってる。この幸福な時間の一瞬一瞬を、忘れっぽい頭にしっかりと刻み付けた。



 かくしてナルトの十本の指は、緑に染まった。特別な、サクラの色だ。
 待ちあわせ場所に現れたサスケが、緑色の指先を見るなりバカにしたように笑った。いつもなら必ず喧嘩になる展開だが、不思議と受け流せた。むしろ、優越感さえ覚えたほどだ。
 お前にわかるか、この気持ちが。
 こんな幸せな気分に、お前は浸れるか?
 サクラちゃんにいつも冷たくしてるお前には、ぜーったいわかるまい!
 四時間経った後、カカシがようやく姿を見せ、その日の七班はいつもの雑用より少し難しめの任務を振り分けられた。任務は大成功だった。喧嘩っ早いはずのナルトはこの日に限ってサスケに突っかからなかったし、サスケはサスケでそんなナルトに気勢をそがれたようで、いつもの短気が顔をのぞかせることはなかった。

 あちこち色の剥がれはじめた爪にサクラが除光液を塗るまで、ナルトの爪は緑色のままだった。






※二部の春野さん、生爪だよね。中忍になる頃には、爪を剥がすような下手を打たなくなった、ということで。



2011/01/18