任務の入っていない日、ナルトの朝はなかなかやって来ない。修行をすると決めた日こそ早く起きるが、休むと決め込んだ日は、とことん寝て過ごす。下手をすると、陽が落ちきるまで布団の中だ。それに比べてこの日はまだマシな方で、手元の時計が示すのは、午前十一時。ベッドから身体を起こすなり、燃料をくれと腹が鳴る。顔を洗って身支度を整えると、少し早めの昼飯へと繰り出した。
 里の中心部は、昼の休憩を前にざわざわとした空気が流れている。さて、何が食いたいだろうか。目的もなくふらふら歩いていると、サクラと最後に会った際、一緒に飯を食った店が目についた。会うのは二週間ぶりで、その後は当たり前のようにナルトの家へ赴き、当たり前のように褥を共にした。その時のことを思い出すと、いささか暗い気分になる。ここ最近、ずっと頭を悩ませている問題があるのだ。
 夜を共に過ごすのは、それが初めてではなかった。二人が関係を結ぶようになって、もう半年は経つ。客観的に考えて少しは余裕も出てきそうなものだが、お互いリラックスするどころか、行為の最中に口を聞くことすら憚られた。普通に過ごしている時はあんなに楽しく笑いあっているのに、布団の中ではどうしてもうまくいかない。
「オレが下手なんかなぁ」
 駄目だ。口に出すだけで心が折れる。こちらの気遣いが足りないのか、サクラは声すら出そうとしない。そんなに痛みがひどいのかと尋ねれば、黙って首を振るだけだ。「痛い」の反対は、言わずもがな「痛くない」である。では、「痛くない」というのは一体どういう状態なのだろう。
「気持ちよく……ねんだろうな」
 食い物屋の壁に手をつき、ガックリと項垂れる。
 男の身体は単純だ。行為は快楽にすぐさま直結し、肉体的な変化を促す。しかし女は違う。らしいのだ。いったい相手はどう感じているのか、わかりやすい視覚的な目安があればいいのだが、いちいち聞かなければわからない。相手の心にのみ答えがある。
 最初の頃、「痛い?」の答えは「平気」だった。そのうちに首を振るようになったが、何かを堪えるような顔つきは相も変わらず。そのうち気持ちよくなる……のだろうか?
 そもそも、なぜ「痛い」から「気持ちいい」に変わるのか。そのシステムがわからない。
「よう、ナルトじゃねえか。久しぶりだな、オイ」
「おー、キバか」
「お前、何食うか悩んでんの?ここは揚げ物うめーぞ。オレのお勧めは、天丼セット。蕎麦かうどんで悩むとこだが、ここ蕎麦屋だしなあ」
 何言ってんだ、こいつ。
 胡乱な目つきでキバの顔を見ていたが、やがて自分が手をついている壁の下に、メニュー表が広がっているのに気づいた。確かに、蕎麦やら天丼やらの文字が見える。
「腹は膨れねぇけど蕎麦だね、やっぱ」
「お前さあ」
「ん?」
「悩みなっさそーでいいよなあ。うらやましいってばよ、ホント」
「はあ!?なんだその言い草は!」
 キバに相談する、という考えも一瞬よぎったが、こいつの口の軽さは致命的だ。何を言われるかわかったものではない。
「お前、昼飯食った?まだなら一緒に食おうぜ。オレ、その天丼セットにすっからさ」
「一楽じゃねえのか?」
「たまには蕎麦もいいってばよ」
 二人連れ立って蕎麦屋に入る。
 揚げたてのてんぷらは確かにうまかったが、頭の中を覆う靄は一向に晴れず、キバの話はあまり耳に入っていかなかった。




「けっこーコキ使われたなー」
 首をこきっと鳴らしながら、家路に着く。キバと別れた後、イルカ先生に顔を見せに行こうと突然思い立ち、アカデミーへ久しぶりに足を運んだのだが、そこで臨時の講師を頼まれたのだ。なんとも面映くて最初は断ったが、イルカ先生に頼まれると弱い。お礼に一楽と言われると、なお弱い。イルカ先生に奢ってもらうラーメンは、今も昔もナルトの大好物だ。
 カンカン、と軽快に音を鳴らせてアパートの階段を駆け上がり、最後の二段をひょいと飛び抜かす。ガサリとビニールの摺り合う音が響き、周囲を探ると玄関ドアの前に人影を見つけた。サクラだった。
「あら、ちょうど帰ってきた」
「そりゃこっちの台詞だってばよ。帰ってくるの、ずいぶん早ぇーじゃん」
 里を出ていたはずなのに、なんでまた。慌てて走り寄ると、ビニール袋を手に提げていることに気づいた。何が入っているのか、大きく膨らんでいる。
「ん?サクラちゃん、なんか持ってきた?」
「野菜のおすそ分け。今回の任務の関係で、たくさん貰ったからさ。とはいっても留守みたいだったから、ドアノブに引っ掛けて帰ろうと思ってたんだけどね」
「じゃあ中、入ってく?」
「ん、お邪魔します」
 ビニール袋を受け取るとドアを開け、ナルトは台所に直行する。袋の中は、丸い野菜がぎゅうぎゅうに詰まっていた。
「えーと、ジャガイモ、玉ねぎ、人参に茄子、か。明日はカレーでも作るかなぁ」
「もしかして茄子も入れるの?」
 勝手知ったる部屋の中。グラスを二つ用意して、サクラが怪訝な顔でそう尋ねた。
「入れるよ。フツーに旨いよ。つーか、カレーは何入れても旨い」
 ナルトは冷やしておいた麦茶をグラスに注ぎ、ベッドの方を指差す。この家にはソファなどという上等なものがないので、ベッドの木枠を背もたれ代わりにして座るのが普通なのだ。
「何入れてもってことはないでしょ」
 軽口で紛らわしてはいるが、ナルトの頭の中には、昼間の疑問が消えることなく居座っていた。何か話していないと意識してしまうため、とにかく口を動かすことに専念する。今日はとっておきのネタがあったので、話のネタには困らない。
 イルカ先生、ありがとう。アカデミーのチビ共、立派に育てよ。
「まっさかねぇ、あんたが先生だなんてねぇ」
 授業で起きた出来事を一通り話し終えると、そんな感想がサクラの口から漏れた。
「嘘みたいって思うでしょ?それが嘘じゃないんだってばよー。ナルト先生とか呼ばれちゃってさ、それがムズ痒いのなんの」
「私も病院で時々言われるわよ、春野先生、なーんてさ」
 言いながら、サクラはグラスを傾ける。その白い喉元に、はっと目を奪われた。まずいな、見ないようにしてたのに。気を紛らわせるために、慌ててグラスを掴もうとしたのが悪かった。掴み損ねたその手はグラスの淵に引っかかり、まだ少しだけ残っていた中身を床にぶちまけてしまう。
「うおっ!ごめん!濡れなかった?だいじょ……」
 見上げる顔が近い。バクンとひときわ心臓が大きく鳴った。小指同士が擦れ合う距離、そっと手のひらを乗せて指を絡める。その手を握り返してくれたのが合図だった。
 好きな娘がこんなに近くに居るのに、手を伸ばさないなんて無理だ。ふとしたきっかけがあればいとも簡単に親密な空気へと変わってしまう。もしかして、この部屋がいけないのだろうか?そんなことを考えながら髪を梳き、肩に触れ、唇を重ねた。
 身体をまさぐりあう中、やはり会話はない。細い裸体を前にすると、頭がぼうっとして何も考えられなくなる。肌の温かみとか、柔らかさとか、五感に訴えかけてくる感覚に意識をもっていかれる。抗う隙間はこれっぽっちもない。
 やっぱオレだけ、なんかな。弱気がすぅっと心を過ぎった。
 胸の頂きをひときわ強く吸い、顔を持ち上げる。サクラは目をぎゅっと瞑り、唇に手の甲を押し付けていた。こめかみに軽い口付けを降らし、まぶたにもひとつ、ふたつ。頬を撫でるとようやくうっすらと目を開けた。硬くなった頂きを指で挟んで、転がし、摘む。か細い吐息が、手の隙間からこぼれた。サクラの手を取り払ったのは、乱暴な衝動だった。両の手首を束ね、唇を貪りながら下へと片手を伸ばす。割れ目をなぞると、指の腹に湿り気を感じる。身体を開いていく最中、どんな表情の変化も逃すまいと目を凝らした。
 荒い息を出しているのはもっぱら自分だが、封じる手立てを失ったその口からは、だんだんと甘い吐息が聞かれるようになる。余裕がないのは自分だけじゃない。徐々に変わっていくその姿は、ナルトは昂ぶらせた。会話なんかなくたって、絡めてくる舌や指の動きや吐息の熱さが、サクラの内面を伝えてくれる。兆しを見つける努力もしないで勝手に自信をなくすなんて、やっぱり自分は大バカだ。
 中を弄ぶ指に、少しだけ力を入れる。繋ぎ絡めた細指がピクリと反応し、ナルトの手をぎゅっと握った。その力強さに、ナルトは確信する。一方的ではない。ちゃんと感じてくれているのだ。嬉しさが後から後から溢れ出し、胸を切なく締め付る。もう、すぐにでも中に入りたかった。仰向けになるとサクラの身体を持ち上げて、腰の上へと跨らせた。戸惑うサクラをよそに、入口を竿の先端でこじ開け、分け入る。
「え、ちょっと待っ……あっ!」
 聞いたこともない嬌声だった。いつもより遥かに甲高くて、悲鳴に近い。サクラは自分の出した声に驚いたらしく、口を咄嗟に抑えた。竿をぐっと中に押し込むと、身体が跳ねる。
「あ、あ、あんっ!やぁ……」
 求めるような手がナルトの肩を掴み、俯けた顔を左右に振る。
 何、その声!しかも腰、なんか揺れてっし!もしかして気持ちいいの!?
 やばいやばいやばい。思考は吹っ飛び、伝わってくる感覚がすべてを支配する。
「やだ……止めて、やだ!」
 そう懇願するサクラをうっすらと視界に留めながらも、腰をがむしゃらに動かした。止めて、としきりに言うけれど、腰を揺らさずともサクラの身体は勝手に動いているし、艶めいた声は途切れることがない。擦りつけるたびに中がひくつき、絡め取ろうとする。
「っだこれ……気持ちよすぎ……」
 感じたことのない強烈な快楽に取り込まれ、自分を見失う。目を開ければ、そこにあるのは泣きそうに歪む顔。目尻に浮かぶ涙に、嗜虐心を射抜かれた。上体を起こして胸の先端を食むと、より深く身体を繋げるべく太腿を持ち上げる。身体を離そうとする手を無理やり引き寄せ、やたらめったら突き動かし、唇を貪った。果ててしまうのが、あまりにも惜しかった。
 柔らかくなった竿をそっと引き抜く。息はまだ整わず、肩が大きく上下していた。真向かいのサクラはといえば、黙ったままじっと顔を俯けている。これはやりすぎたか、とさすがに思い、おそるおそる肩に触れる。
「あの、サクラちゃん……?」
「やだって……」
「え?」
「やだって言ったでしょ!?」
 大声と共に横っ面を思い切り張られ、ベッドから見事に転げ落ちた。




「本当に申し訳ございません」
 右の頬を真っ赤に腫らしたナルトが、深く深く頭を下げる。しかも床の上、素っ裸で正座だ。情けないことこの上ない。
「だってオレ、嬉しかったから……」
 サクラはといえば、身体に毛布を巻きつけて背を向けたままだ。
「何が嬉しいのよ!無理やりするのが夢だったの!?最悪!見損なったわ!」
「それはちがうッ!ちがくって……その、サクラちゃんがさ、オレとこういうことすんの、どう思ってるのかなって。ずっと気になっててさ……」
 こうなったら正直に言うしかない。腹を括ると、足りない頭で考えながら本音を並べた。
「オレばっか気持ちよくなっても仕方ねぇじゃん。痛くはないみたいだけど、何か辛いんなら……話して……ほしい。やっぱり、こういうのやだ?したくない?」
「それは……」
「お互い、いつまで経ってもぎこちないしさ。さすがにオレも不安になんだよね」
 しばしの沈黙の後、サクラは「やなの」と観念したように零した。
「やなのよ、声、聞かれるの……」
 その台詞を聞いて頭に浮かんだのは、いつもサクラが見せる「何かを堪えるような顔」だった。
「もしかして……声出すのずっと我慢してたの?」
 返す言葉がないのが答え。サクラは毛布をさらに引き寄せ、丸くなる。
「なっ、なんで我慢!?」
 聞かれるのが嫌なのだと聞いたばかりだというのに、そんな台詞がついて出た。予想だにしなかった答えに、思わず声もひっくり返るというもの。あの声がいいのに!と続けたいところを、すんでのところで抑える。さすがに今は言うべきではないと、ナルトにだってわかった。
「えーと、ごめん。話変えます。あのさ、そのう……気持ち、よかったり……します?ああっ!ハイとかイイエとかそういう返事は……!」
 背を向けるサクラに見えるはずもないのに、ぶんぶんと音がするほど両手を大きく振る。今度こそ愛想を尽かされるかと思いきや、横たわるサクラが小さく頷くのが見えた。
「よぉかったぁ〜〜!」
 ナルトは顔を両手で覆い、どさりと床に突っ伏した。ほっとしたやら何やらで、身体に力が入らない。
「オレね、ほんっとマジ不安だったんだよ。きっとオレが下手なんだろうなーとか、本音は嫌だったりするのかなーとか、もうしない方がいいのかなーとか。もー頭ん中ぐっちゃぐちゃでさ、」
 話の途中で、ぶえっくしょい、とくしゃみをひとつ。素っ裸はさすがに肌寒い。
「あのー、隣……いいっすかね?」
 サクラはそっぽを向いたまま、空いた左側の毛布をひらりとめくる。それを見て、ナルトはもぞもぞと布団の中に入った。ぬくい。
「あんさ、」
 ずっと鼻をすすって、より暖かい方へと身体を寄せる。まだ言いたいことが残っていた。
「声、むちゃくちゃ可愛かった」
「だから、そういうことっ……!」
「すんげえドキドキして、わけわかんなくなった」
 後ろから抱き寄せると、サクラの身体が強張っているのがわかった。そら何を言ったって、嫌なもんは嫌だわな。そういう感情は、理屈じゃない。
「今日はごめん。でも、聞かしてくれてありがとう」
 このまま眠ってしまおうと目を瞑るが、腕の中のサクラがくるりと身体を反転させたので、慌ててまぶたを開ける。赤く腫れた頬に、手がそっと添えられた。
「ここ、まだ痛む?」
「へ?ああ、うん、ちょっとは」
「ね、このまま聞いて」
 首に両腕を回し、ナルトの視線から表情を隠す。
「……一月くらい前から、反応するの我慢してた。最初からあんまり声出さないようにしてたから、いきなり出し始めるのは変だし、こういう時に何言っていいのかわからないし……。いつもみたいに話せるまで、もうちょっとかかる。やっぱり、なんか気恥ずかしくて……慣れなくてごめん」
 眩暈がおきるほど必死に、首を左右に振る。だって、そんなのは謝ることじゃない。戸惑っているだけならば、ゆっくり時間を掛ければいい。
「あと、最初の頃は痛かったけど、今は平気。辛くないよ。触られるのは嫌じゃないし、むしろ、嬉しい。あんたがくれるものなら、なんだって嬉しいのよ。今日はちょっと……かなりびっくりしただけで。うん。きもち……よかった。だから、下手じゃない、よ」
 消え入ってしまいそうなほど小さな声で紡がれる言葉に、うん、うん、としきりに頷き返した。心に圧し掛かっていた重石がごとりと落ち、たちまち浮上する。
 そして二人は布団の中で丸くなり、ずっと聞けなかったこと、そして言えなかったことを、ぽつりぽつりと口にした。勝手な思いこみと逆だったことが五つもあった。時計の針が夜中の二時を指すのを見たのが最後、意識に靄がかかり、ぐっすりと寝入った。
 伝えあうことの大事さを、嫌というほど味わった夜だった。




※書き上げた直後は、「可愛い話になったぞう!」と思ったのですよ。これでも。



2010/08/13