人生は七転び八起き。良いことがあれば悪いこともあるのが当たり前。順風満帆な忍人生なんてあるはずもなく、行く手を壁に阻まれてはそれをぶち壊す、その繰り返しだ。サクラとて甘い期待はしていなかったが、あまりにつまらないことが重なると、頑丈に鍛えたはずの心にもひびが入るというものだ。今日はその点最悪で、よりにもよって一番太い柱が根元からぽっきりと折れてしまいそうだった。そこが駄目になってしまえば、あとはぐしゃりと潰れるだけだ。
 途切れがちな街灯が足元を照らす薄暗い夜道を、無表情でずんずんと歩く。がむしゃらに歩き続けることで少しは気が晴れるかと思ったが、それほど効果はないらしく、余計な感情から逃げるだけで精一杯だ。早足で歩いたせいだろう、普段のペースよりずっと早く家に着いた。窓からは灯りが漏れ、換気口からは夕餉の匂いがかすかに漂ってくる。いつもならほっとするはずなのに、喉の奥がきゅっと熱くなる。泣きそうになっているのだと気づくと、口を引き結んで家の戸をあけた。




「おっかえんなさーい」
 戸の開け閉めする音に気づいたナルトは、食卓用のテーブルについたまま、のんびりとした声で同居人を迎えた。サクラが部屋に入っても、顔を上げることなく難しい表情で家計簿をつけている。自分で買ったレシートは自分で集計するというのが、二人が決めた共同生活のルールだった。溜めに溜めたレシートの束をやっつけているのだが、あまり捗っているとは言えない。
「飯、簡単なやつだけど作ったから。すぐあっためんね」
 カタカタと電卓を叩く音が止み、ナルトは家計簿を閉じる。立ち上がったついでに椅子の背に引っ掛けてあったエプロンをさっと身につけ、ガス台へ。
「ん?」
 軽い足音がくっついてくるのを妙に思い、背後をそっと伺う。サクラの表情は見えないが、身にまとう空気とでも言おうか、なんだか様子がおかしい。
「飯、もしかして食っちゃった?」
 その問いかけに返事はなく、代わりにエプロンの裾をむんずと掴まれた。
「ん?何すか?」」
 手際よくエプロンがはずされ、バンザイさせられた両腕からするするとTシャツが引き抜かれる。家に帰るなり「ただいま」も言わずに、怒ったような顔で身包み剥いでいく意図がさっぱり読めない。とりあえず、思いついたことを口に出してみる。
「……風呂に入れと?」
「バーカ、誘ってんのよ」
 そう言うなりサクラも脱ぎ始め、上着の首元から髪がさらさらとこぼれ落ちる。
「つーか、飯は?」
「ご飯より先に、あんたがいい」
「わあ!それってばオレ、一度使ってみたかった台詞なのに!」
「言い出す気配もないから、私が先に使ってやった」
「ひっでえなあ」
「で、どうする?」
 首の後ろに両腕をまわし、小首を傾げてサクラは言う。
「……聞くまでもないでしょ、それ」




「なんかあった?」
 ナルトはベッドの上に胡坐をかいた格好で、サクラの背中に手を伸ばす。サクラはといえば、すぐ横でうつぶせに寝そべり、裸の足をふらふらと遊ばせている。
「んー……まあ、ね」
 撫でてくる手をそのままに、サクラは枕を手繰り寄せ、頭をこてりと乗せた。
「なんかね、じっとしてたらどうにかなっちゃいそうだったのよ。だから縋り付いちゃった。あーあ、これって逃避かなあ?」
「そんなの、どうにかなる前に手ぇ伸ばしてくんなきゃ困るってばよ。オレら何のために一緒に住んでんの」
「はぁ……なんだろうなー、安心したかったのかなー」
 窓から漏れる灯りを目にした途端、見えないふりをしていた様々な感情が我も我も顔を出し、荒れ狂いはじめた。ほとんど本能的に体温を求めたのは、心を平衡に保つための危険信号だったのかもしれない。自身の内側から聞こえてくる声には素直に従うべきだ。現に今、嵐が過ぎ去った後の海面のように、心は凪いでいる。
「こーいう方法で安心できるんなら、なんぼでも協力しますよ!むしろ定着してもらいたいぐらいだね!」
「やあよ、そんなの」
「そんな嫌そうに言わなくても……」
 そんな嘆きを軽く聞き流し、上半身を起こして伸びをする。すると身体が空腹を思い出したのだろう、くぅ、と小さく腹が鳴った。
「飯、食う?」
「ん、食べる」
「時間も時間だし、軽めによそっとくよ。服着て待ってて」
 脱ぎ散らかした衣服を拾い集め、適当に身に着ける。そういえば、上着は台所の床に放り投げたままだ。タンスの引き出しからTシャツを取り出して、楽になった心と身体を確かめるように大きくひとつ深呼吸。ベッドを勢いよくおりると、ナルトの後を追って台所に向かった。






※春野さんって、心に溜めるだけ溜めて勝手にダメになっちゃいそうなイメージ。ガス抜きが下手っつーか。追い詰められるとあらぬ思考に走っちゃうしなあ……。



2010/07/17