ふらりと一人、旅に出る。そんな勝手気ままな暮らしに、どうしようもなく焦がれる時がある。
 久方ぶりにすっきりと晴れたせいか、その日はそんな衝動をひときわ強く揺さぶられた。待機所に詰める予定だったヤマトは、自宅の書架から遠い異国の建築遺産について書かれた大判の本を取り出し、自宅を出た。旅心を擽られた時は、行ってみたいと願う場所について書かれた本を読むことにしているのだ。木遁なんていう希少な能力を有しているため、任務の役に立てればと読み始めた建築書だったが、今ではすっかり嵌りこんでいる。
 現地の写真を見て、綴られた文章を追い、木や石の手触りを想像する。そうして、その場所へ足を運んだ気分になる。それが大事だ。生涯を終えるまで、その場所に訪れることはないだろう。任務が入れば別だが、存分に観光をするなんて、どだい無理な話だ。身体に埋め込まれた細胞は、ヤマトの行動を大きく制限していた。胸を張って生きてはいるが、旅に出られる自由がないことだけは少し残念に思う。
「……あ」
 背後から聞こえた声に、思わず肩を揺らした。待機所の中、ヤマトの後ろに立っていたのは、いつも忙しそうに立ち回っている火影の側近だった。
「すみません、目に入ってしまったものですから」
 ばつの悪そうな顔で謝罪するシズネに、ヤマトは笑って返す。
「いえいえ。知っている場所なんですか?ここ」
 シズネに向けて、開いたページを差し出た。そこに写っているのは、今一番お気に入りの城だった。
「ええ、前に一度行ったことがあって。つい、懐かしいなあって」
「行ったこと、あるんですか?」
「綱手さまのお供をしていた時に、一度だけですけどね」
 そうだ、そうだった。目の前で書類の束を抱えているこの人は、ずいぶんと長い間、綱手さまと旅暮らしをしていたのだった。一所に留まることなく、流れ流れる生活というのは、一体どんなものだろう。ヤマトには想像ができない。
「へえ、そうでしたか!このお城の建築様式、すごく有名なんですよ。一度間近で見てみたいなあと思っているんですよね」
「そういえばすぐ近くに資料館があって、物凄く人が大勢いた記憶がありますよ。精巧なミニチュアなんかもあって、見て歩くのも一日掛かりでした」
「おおー。興味ありますねえ」
「ヤマトさん、何か書くもの持ってます?」
「書くもの?ええ、これでよければ」
 もう使わなくなった資料の裏紙が三枚ばかり。あとは万年筆が一本。それらをすべてシズネに預けた。
「ええと、土台の作り方が画期的だったんですよね。確かこう……」
 本の内容をさっと一読した後、やわらかい文字でさらさらと書き付ける。おそらく資料館で得た情報だろう、時折うーんと思い出しながらシズネは筆を動かしていった。立ったままでは書きにくいだろうと、ヤマトは横に座るよう促す。
「綱手さま、こういう場所にあまり興味がないんですよねー。側を離れるわけにもいかないし、でもできればじっくり見たいし。駆け足で見ないといけないから大変でしたよ」
「シズネさんは、お好きなんですか?」
「昔から、なんでか好きなんですよ。古い建築とか、歴史のある場所とか。里を離れている時も、できれば世界遺産のある場所がいいって、綱手さまに無理を言ったりして。まあ、人の集まる場所には賭場がつきものでしたから、我侭も結構通ったんですけどね」
「ボクもね、好きなんですよ。なんででしょうねー。いいですよねー。直に見られる機会があるだけでも羨ましいですよ。いいなあ!いいなあ!」
 会話を続けながらも、シズネの手元からじっと目を離さない。なんたって本では知ることのできない貴重な資料だ。
「こんなものかしら。はい、どうぞ」
「ありがとうございます!」
 手渡された紙を恭しく受け取りると、本の間にそっと仕舞う。あとでゆっくり読むことにしよう。
「それって建築関係の本ですか?」
「ええ。主に遺産が書かれた本ですよ。よろしければどうぞ」
「ちょっと見せてもらいますね。ああ、ここも行ったことありますよ」
 ページをニ、三繰ったところで、シズネの手が止まる。その項目を見るなり、ヤマトの猫目がぐりっと見開かれた。
「ええっ!?じゃあ、ここは?」
 今度は、背表紙に癖がつくほど見入ったページを開く。
「懐かしい!綱手さまに何度もお願いして立ち寄った城下町です」
 なんとうらやましい!この人、行ったことのないところはないんじゃなかろうか!
「では、ここはどうです?一番近場にある城なので、一度行ってみたかったんですよ。天災に遭ったらしくて、つい最近なくなっちゃったらしいんですけどね」
 しょんぼりとしながら開いたページには、「短冊城」と書いてある。シズネはその文字を見るなり、ヤマトに向きなおって深々と頭を下げた。
「すみません……本っ当にすみません……」
「へ?何です?」
「天災と申しますか……大蛇丸と綱手さまが揉めて跡形も無く壊してしまったんです。綱手さまは早く町を出たいと仰っていたのですが、お城見たさに私が足止めをしまして。その節は町の皆様に大変なご迷惑を……」
「あー、そうでしたか……」
 二人揃って肩を落とす姿は、傍から見るとさぞや滑稽だったことだろう。人が出払っていて良かった。ヤマトは気分を入れ替えるように息を吐くと、すっかり意気消沈しているシズネの肩をぽんと叩いた。
「過ぎてしまったことは仕方ないです。ちょっと残念ですけどね」
 笑ってそう言うと、シズネはようやく顔を上げた。
 もう見ることの叶わない場所になってしまったが、それは心のどこかで覚悟をしていた。むしろ幸運なのは、語ってくれる相手が身近にいたことだろう。しかも、自分と同じように興味を持っているなんて。仲間意識というのだろうか、なんだか無性に嬉しかった。今日この場所で本を開いて、本当によかったと思う。
「もしよければ、もっと話を聞かせてもらえませんか?」
「それはもう、いくらでも」
 ひとしきり話し込んだ後の別れ際、晴れた日にはこの場所で旅の話を聞かせてもらう約束を取り付けた。
 本の中で終わっていた世界が、動き出したように思えた。






※二人の趣味は「者の書」に基づきます。気が合わないはずがないんだぜ。



2010/05/25