玄関の戸を開けると、否応のない孤独が足元を吹き抜けた。
 昔はなんてことのない普通の部屋だったのに、いつからここはこんな寂しい場所になってしまったのだろう。足が遠のいていた間に、一体何がおこったのか。
 中に入ることもできず、サクラはその場で呆然と立ち尽くした。




 合鍵を使って、家の中に入る。一日中外に出ずっぱりの家主に代わり、窓を開けて部屋を換気するのが最近の習慣だ。続いて台所に向かい、冷蔵庫から食材を出す。中に入っているものはすべて把握していた。積極的に食材を買う人ではないし、相場がわかってないので高値の野菜を買ってしまうよりはずっといい。
 今日の手順を頭の中で繰り返しながら、包丁を握る。手馴れているとはまだ言えないが、これでも掛かる時間はだいぶ短くなったはずだ。元々手先が器用なわけでも、要領がいいわけでもない。地道に訓練をするしかないのは、忍術の修行と少し似ている。
「ただいま帰りましたー」
「お帰りなさーい」
 目標の二品を作り終え、メモを見ながら三品目、というところで家主が帰ってきた。フライパンの中に醤油をさっと回し入れ、汁気を飛ばす。ひじきの煮つけは、母親から教えてもらった通りに味付けたので、間違いはないだろう。
「オレ、なんかやることある?」
 ベストを脱ぎながらそう聞いてきたので、炊飯器をついと指さした。
「ご飯炊けてるから、さっと混ぜてくれる?もう一品、すぐできるから」
「うす。手洗いと着替え済ませたら、すぐやります」
 こうやって飯を炊きにナルトの家に通いはじめて、もう半年が経つ。きっと、この部屋に漂う色濃い孤独にあてられたのだろう。自分がなんとかしなくては、と突然思い立ち、今日に至る。押しかけた当初はナルトも戸惑い、どうしたの?何かあった?といちいち聞いてきたが、この頃はようやく慣れてきたらしく、進んでサクラの手伝いをするようになった。
 味噌汁の味見をしながら、我ながら甲斐甲斐しいなあ、と思ってみたりする。こうやって誰かの世話を焼くのは、まったくもって自分らしくない。自分はもっぱら甘やかされたり優しくされたい方で、こういう役回りはいのかテンテンが適任だ。好きだからこそどうにかしたいと思ったのか、通っているうちに絆されたのか。その境界こそ曖昧だが、今まで気づきもしなかった自分の側面が掘りおこされる程度には惚れているようだ。
「お待たせしましたー。んで、飯だよね。しゃもじどこだっけ?」
 洗面台から戻ったナルトが、どたどたと台所に近づいてくる。
 こちらが尽くしてばかりの関係に思われがちだが、その実、得るものは結構多い。お互い異なる任務を抱える身の上、一緒に居られる時間をこうして持てるのは、やはり嬉しい。だからこそ、サクラにはひとつ悩みがあった。贅沢かもしれないけれど絶対に譲れない、その悩みとは。




「やっぱり今日も帰るの?」
 向かい合わせで食卓につき、いつもの会話が始まる。
「そりゃ帰るわよ。私の家はここじゃないもの」
「もうさ、うちに住んじゃえばいいじゃん。いちいち通うのも面倒だろうしさ」
「それはダメー」
「なーんでダメなんさー!いつも聞いてっけど、マジわかんねえ」
 ふてくされた顔でぶすりと小ナスに箸を突き刺す。欲しているのが物じゃないことは、ナルトもとっくに気づいているはずだ。思いつく限りの贈り物を貰ったが、同居の誘いを断り続けている。さすがに指輪を貰ったときは動揺したけれども。
「本気で好きだよ。ちゃんと、誠実に、好きだ。それでも足りない?」
「そうかもね」
 さらりとかわしてみせると、ナルトはぐっと喉を詰まらせる。まだ食事途中だというのに箸を置くナルトに、ひじきをちゃんと食べなさいと注意をしかけたのだが、様子がいつもと違うのに気づいて口を噤む。椅子の上にきっちりと正座し、なにやら畏まった雰囲気だ。
「愛してます」
 これはまずいな。結構ぐらつく。
 いっそもう頷いてしまおうか。ほんの一瞬の間に散々迷ったが、ぐっと堪えた。
「ありがと、私もよ」
 これだけ足繁く通っているというのに、いつまで経ってもサクラの気配はこの部屋に懐かない。それが、サクラの抱える悩みの正体だ。そりゃちょっとは居ついてくれるのだけれど、少しでも間を空けると、跡形も無く消え去ってしまう。そしてまた一からやりなおし。これはなかなか忍耐と根気のいる作業だった。
 果たして孤独というのは、それほどまでに居心地の良いものなのだろうか?そう疑ってしまうほどに、この部屋に住み着いている「孤独の影」は強固な存在だった。それも含めて愛してしまうのが良策なのかもしれない。だが、ナルトに請われるままこの部屋へ越してきたとしても、自分はすぐに参ってしまうだろう。きっと寂しさに蝕まれてしまう。二人でいるはずなのに、気がつくといつも一人。それは単純に一人でいる時とは比べものにならないほど辛くて哀しい。そうなることが容易に想像できる今、差し伸べてくるナルトの手を簡単には掴めなかった。
「ねえ、ナルト」
「ん?」
「言ったよね、私。都合がつく限りここに通うって」
「うん」
「明日も明後日も、ここに来てご飯作るわよ。それは絶対」
「そっか……うん、そっかそっか」
 話はそこで終わり、ナルトはひじきに手を伸ばす。
 一人この部屋で過ごすよりも、二人一緒に居ることを選び取れるまで、きっと、あともう少し。その日が来たら、サクラは自ら進んでこの部屋に荷物を運び込むだろう。こうなれば意地でも自分を選ばせてやる!そんな強い覚悟があった。
 明日は何作るの?と聞いてくるので、お肉と野菜たっぷりの豚汁と答える。
 ナルトがふにゃりと笑うと、「影」がほんの少し揺らいだような気がした。






※春野さんも付き合うにはたいがい厄介な人ですが、ナルトには敵わないと思いますよ。ずぅーっと一人きりで、自分が他人に愛されるはずもない。そう信じている人間に寄り添うのは相当難儀だ。今まで書いてきたやつとは、また違った話、ということでひとつ。



2010/05/20