「手伝ってもらえて助かりました」
「いえいえ、このくらいなんてことないですよ」
 資料室から出た後、礼儀正しくお辞儀をするシズネに、ヤマトは顔の前で手を振る。
 任務終了の報告を終えて火影室から出たところで、書類やら巻物やらを両手に抱えて難儀そうにしているシズネを見かけた。ヤマトはふらふらしているその背中に一声掛け、資料運びを手伝ったというわけだ。荷物を持って部屋との間を三往復したぐらいで、礼を言われるほど大層なことはしていない。
「本当に助かったんです。一人で何往復もしないといけなかったところですから」
「シズネさん一人であれだけの量、無理でしょう」
 本来なら書類運びなど、この人の仕事ではないはずなのだが。
 シズネは、この里でも屈指のくの一だ。五代目火影・綱手の愛弟子にして側近。長年の付き合いからか、短気な綱手の機嫌を損なうことなく進言ができる希少な存在だ。火影の傍らに立つシズネに助け舟を出された忍びは数多い。ヤマトもまた、そのうちの一人だ。
「そうなんですけど、人が見つからなかったので……」
「昼時ですから、皆、出払ってますよね」
 雑談をしながら火影屋敷の廊下を歩いていると、かつかつと小気味の良い音が鳴り響く。遊ぶようなその音色が、耳に心地よい。シズネが歩くたび、少し高めの踵が床を打つのだ。
「その履物、歩きにくくないんですか?」
「え、これですか?」
 履物の踵を少しだけ持ち上げて、シズネが言う。何気なく聞いてみたが、実はずっと疑問に思っていたことだった。ちなみに、綱手も同じような形の履物を愛用している。歩きやすいとも思えないし、踵が浮いているのがいかにも頼りない。何かの修行だろうか、とさえ思う。
「重心がどうしてもつま先に向くだろうから、姿勢の保持も難しそうだ。何より移動が大変そうです。躓いたりしないんでしょうか」
 女性の履物にはあまり詳しくないが、踵が高いのによくもまあ器用に歩くものだと、こっそり感心していた。その履物で里内を駆け回るシズネの姿を何度か見かけたことがあるのだが、とにかく敏捷だった。それがどんな履物でも、たとえば草履や下駄だったとしても、何の苦もなく動けるのじゃないかと思ったくらいだ。
「最初はちょっと違和感がありましたけど、今はもう普通のサンダルと変わらないですよ」
「へえ、すごいな」
 素直に感嘆する。
「綱手さまの見立てなんです。それ以来、ずっとこれですよ」
 となると、別に修行でも何でもなく、いわゆる女の洒落心か。うっかり口に出さなくてよかった。言われてみれば、履物ひとつで印象がだいぶ違う。
「踵が高いと、なんとなくこう、立ち姿がすらっと見えますね。色気があるというか。綱手さまの見立ては確かですねえ」
 思ったことをそのまま言ってみたのだが、シズネは驚いたように目を丸くした。何かまずかったかと思い返す。そういえば今の台詞、そんなことばかり考えているような言い草ではないか。まるきり色惚けだ。この人、いつもそんな風に見ていたのかしら?という疑念を抱かれても文句は言えまい。
「し、失礼しました!撤回します!」
 勢いよくそう言うと、顔が赤くなるのをなんとか堪えようと捲くし立てる。
「常にそういう目で見ているかといえば、断じてそうではなくてですね……言葉のあやとでも申しましょうか……決して変な意味ではないんです。素直な感想ではあるんですが、いや、それもおかしいな」
 シズネの顔に嫌悪感が見て取れなかったことだけは幸いだった。いや、くの一なのだから表情ぐらいすぐに消してみせるはず。これはとんでもない大失態だ。湯気の出そうなくらい沸きあがった脳みそから信号が次から次へと垂れ流され、ひっきりなしにその舌を動かす。
「とにかく不躾なことを言いました。申し訳ないです。今言ったこと、どうか忘れてください」
「ヤマトさん」
「……はい」
 窘めるように名前を呼ばれ、やはりダメか、と気落ちする。そのうなだれ方ときたら、判決が下されるのをじっと待つ罪人のようだ。
「私ね、そういう風に言われたこと、今まで一度もないんです」
「……はあ」
「だからさっき仰ったこと、撤回なんて言わずに、素直に受け止めちゃってもいいですか?」
 喜びを隠すことなく、はにかみながらシズネはそう言った。
「え、あ、はい……」
 ほっとしたやら、気が抜けたやらで、その声はずいぶんと間の抜けたものだった。
「よかった、嬉しいです!」
「あの、不愉快じゃなかったんですか?」
「え?いえいえ、そんなわけないです。品定めするような目で見られていたら、そりゃあ私だって怒りますけど、ヤマトさんはそういうんじゃないってすぐにわかりましたもの。この履物、綱手さまに買って頂いたんですが、着物と合わせると可愛いんですよね」
 ぴょんと足を後ろに跳ね上げ、シズネは自分の履物をヤマトに見せる。自分より年上の女性には、きっと「綺麗」が最上の誉め言葉なのだろう。しかし。
「可愛いですね」
 履物よりも、むしろあなたが。
「こういうのわかってくれる男の人って、なかなかいないですよ?」
 誉められているのだろうと思う。本当は「よくお似合いですよ」と付け足したかったのだが、恥の上塗りをしそうなので言わなかった。なにせ今日は喋りすぎだ。
「シズネさんは昼飯、まだですか?」
「はい。これからです」
「ボクもまだでして。もし良かったら、一緒にどうです?」
「いいですね。喜んで。じゃあ、お昼に出ること知らせてきますんで、ちょっとだけ待っていただけますか?」
 シズネはくるりと背中を向けると、こつこつと歌うような足音を響かせて、廊下を駆けてゆく。
「……可愛いなあ」
 噛み締めるように、そう呟く。






※アニメのおまけで、シズネさんが資料運んでるのをヤマちゃんが手伝ってたんですよね。これだけは妄想じゃないんだぜ!他の部分はひとつ残らず妄想だけどな!



2010/04/30