中忍試験の真っ只中に、それは起こった。
 戦乱の時代を生き抜いたカカシは、同盟の脆さなんていうものを経験上嫌というほど知っていたが、それと向き合う時の虚しさとやりきれなさにはいつまでもたっても慣れることがない。試験会場の警備は元々手薄で、会場内にいた上忍・中忍連中の力をもってしても、観客を守ることで精一杯だった。サスケを止めて来い、と命令を出して部下達をAクラス任務に送り出したのは、そういった理由によるところが大きい。しかし、やれるはずだと思うのもまた確かで、予想以上の戦果を上げて里に戻ってきた部下達の姿は誇らしかった。



「カカシ、入るぞ」
 ノック音もそこそこに、部下の一人が物憂げな顔を見せる。
「……わざわざお前から訪ねてくるなんて、一体何事よ」
 木ノ葉崩しの傷痕が深く残る中、カカシは休みもなく任務に駆り出されていた。ようやくそれもひと段落し、計四日間の里内待機、事実上の休暇が与えられた。今日はその初日だ。部屋のベッドにごろんと寝そべり、イチャイチャシリーズを読みふける。そんな無上の贅沢を楽しんでいたまさにその時、狙ったかのように訪問するのが少々憎らしい。
「アンタに頼みがあってきた」
「頼み?」
「オレに修行をつけて欲しい」
 そうくるだろうと思っていた。ナルトの活躍にサスケはだいぶ焚きつけられたようで、焦りを隠しきれずにいた。人づてに聞いたところでは、九尾の力を目の当たりにしたのだそうだ。無理もないとは思う。だが。
「そりゃできない相談だな」
「なぜだ」
「お前だけ特別扱いってのは、ちとマズいでしょーよ」
 取り付く島もなく頼みを退け、愛読書を捲った。ただでさえ、ナルトには贔屓だ!と騒がれている。雷切を伝授したのが非常に気に食わないらしい。本選までの一ヶ月、確かに自分はサスケに付きっ切りだったが、その代わりにナルトが得たものは大きいはず。天下の三忍、自来也様から直々の修行指南に加え、契約するのさえ難しい大ガマの口寄せに成功したのだから、普通なら飛び上がって喜ぶはず。それでもナルトにとっては大いに不満だったらしく、木ノ葉崩し後、病院の屋上で「オレにも修行!」と口うるさく言われた。仕方がなかったとはいえ、その心情にはカカシも思うところがある。あれは一度きりの特例だ。
「何もオレだけとは言っていない。修行時間を増やしてくれればいい。サクラや……あのドベが一緒で構わない」
 愛読書を繰る手が止まり、その目がようやくサスケを見た。随分な譲歩だと目を瞠る。以前のサスケなら、同じ班の奴らのことなど視野にも入れなかったはずだ。
「んー、それも却下だ。修行時間は今のままで十分。いたずらに時間を増やしたところで、つまらない怪我をする危険もある。もっと基礎体力を付けてからね」
「……頼む」
 サスケは何かを押し殺すように強くそう言うと、その場に膝を折った。今まさに頭を垂れようとした、その時。
「そういうのはよしなさい」
 サスケのすぐ隣にしゃがみ、左手に愛読書を持ったまま、右の手のひらで小さな額を覆った。
「試験会場の様子は、お前もよく知っているだろう。皆が皆、お前の一挙手一投足に息を呑んでいた。力は十分伸びている」
「会場の奴らのことなんざ聞いてねェんだよ」
「お前の伸びしろは、オレが保障する。今は焦るな」
 思いつめたその顔に、カカシは息を吐く。カカシにとってみれば、サスケもナルトも手の掛かる具合は似たり寄ったり。むしろ根の深さを考えると、サスケのほうが扱いにくいぐらいだった。
 再びサスケに視線を移そうとしたその時。大蛇丸の残した呪印が、服の襟首からのぞき見えた。その周囲を取り巻くのは、自分が施した法術だ。サスケの意思が礎となるそれは、力を根本から絶つことには繋がらない。大蛇丸から解放してやることは、結局できなかった。自分がしてやれるのはその程度のことだけだった。
「……ニ日だ」
 まるで懺悔のようだ。自分の声を聞きながら、そう思う。
「ニ日だけ、時間を作ってやる」
「本当か!?」
「嘘言ってどうすんの。メニュー組むから、家で待ってな。あとで式を飛ばすから。明日から開始ね」
「……恩に着る」
「あらま、殊勝なこと言うじゃない、サスケくん」
 眉間にきつく皺を寄せて口を開きかけたが、チィと舌打ちをして、顔を背ける。
「アンタ、遅刻はするなよ。時間がもったいねぇ」
 部屋を出る際に忘れることなく釘を刺された。しおらしいと思ったのも束の間。サスケらしい物言いに、カカシは喉を鳴らせて笑った。




 うちはイタチが数年ぶりに木ノ葉へ姿を現したのは、その翌日のことだった。
 団子屋で待機するようサスケに言いつけてその場を離れたカカシは、うちはイタチと交戦、瞳術を食らってそのまま昏睡状態に陥った。
 二人の約束は、果たされずに終わった。






※団子屋での待ち合わせは何だったのだろう、と思った結果です。



2010/05/16