湯たんぽ



湯たんぽ




 任務からの帰りしな、通りかかった商店の軒先に湯たんぽが並んでいた。そういえば実家で使ったこともなく、家を出てからも世話になったことがない。もの珍しそうに見ていると、愛用中なのだという連れの後輩にひとしきり勧められた。そして今、アルミ製の湯たんぽが入った紙袋を提げて帰路に着いている。
「どうやって使うのかな」
 件の後輩が使用上の注意点を書き出してくれたので、目を通してみることにした。風呂の残り湯を使えば効率的だと思っていたのだが、おすすめできないと書いてある。温度が低い上に中の掃除が面倒らしい。なるほど。いちいち湯を沸騰させるのもなぁと思いながら読み進めると、朝になっても中のお湯はまだ温かいので洗顔に使うと快適とのこと。なるほど。貴重な生の意見にうんうんと頷きながら、時折吹き付ける冷たい風に首をすくませた。
 もう暦の上では春だというのに、冬の寒波はどっかりと根を張ったまま動く気配はない。血行が悪いのか、サクラは足先が冷える体質で、冬場などはよく悩まされていた。布団に入る直前まで靴下を履いて暖めていても、すぐに冷えてしまう。
 やっぱり、買ってよかった。
 帰り道の足取りは、いつもよりほんの少しだけ軽い。





「ただいまー」
「おっかえんなさーい」
 ダイニングの扉を開けると、ナルトは右のつま先で左足の脛をがしがしとかきながら、鍋の中身をかき混ぜていた。今日の食事当番はナルトだ。昨日の作りおきに加えて魚でも焼いたのだろうか、換気扇が勢い良く回っている。
「あり、なんか買って来た?オレ、今日の昼に買い物行ったからさ、もしかして被ったかも」
 持っている紙袋の中身が気になるのだろう、ガスコンロの火を消して近づいてきた。
「ああ、違うのよ。これね、湯たんぽ」
 紙袋から出して、テーブルの上に乗せてみる。
「湯たんぽ?」
 ナルトの表情が、怪訝なものに変わった。もしかして見たことないのかしら。自分だって今まで使った試しがないのだから、人のことをとやかく言えない。ためしに、後輩の受け売りを並べてみる。
「これの中にお湯を入れて、布団の中を暖めるんだって。私、冷え性だからさ。あると便利だと思って。まだ夜は寒いし」
「布団の中」
「そう。寝る前にね」
「サクラちゃん……もうオレの身体に興味はないのですか……」
 絶望という二文字を全身で表現したら、きっとこういう姿になるのだろう。額縁にでも飾って見本にしておきたい。そう思うほどに、見事なうなだれ方だった。
「あんた、何言ってんの?」
 湯たんぽとナルトの身体がどう結びつくのか、さっぱりわからない。そもそも自分のために使うのだし、あんたは関係ないでしょう。心底解せないというばかりにひとしきり首を捻る。
「これからは別々に寝るってことでしょ!」
「はあ!?」
 何故そうなる。論理も何もかもすっ飛ばして、突拍子もない方向に行きがちなその思考に、一体どれほど悩まされてきたか。一度頭の中を覗いてみたい。
「だってさあ、オレが隣で寝てんだから寒くないじゃんか!自慢じゃないけどオレ、体温高めだし。サクラちゃんに寒い思いさせたことないってばよ!」
「あー、そういうことね……」
 そういえば、二人で暮らし始めてからというもの、寒くて寝付けないということがなくなった。今の今まで気づきもしなかったが、低温やけどの心配もない36℃前後の物体がすぐ隣に寝転がっている布団環境というのは、思いのほか快適なのではなかろうか。なんて素晴らしい安眠生活。そういえば足先の冷えはどうだろうか?今日寝る前に確かめてみよう。
「だからこれ、ウチにはいらない!店に行って返してきなさい!」
「ええ?今から?そもそも返品受け付けてたかしら……」
「もー!オレが行ってくるから!どこの店!」
 店の名前を知らせたが最後、湯たんぽを引っつかんで飛び出す勢いだ。
「大丈夫、わかった!使わない!あんたが居る時には絶対使わない!」
「ほんとに?」
 この疑わしげな視線は何なのだろう。信用のなさに少々へこんだ。
「ほんとほんと、誓います」
「じゃあ、押入れにしまってくる。絶対使っちゃダメだかんね」
 足音をどすどすと響かせて、ナルトはダイニングを出て行く。見つからないとこに隠しちゃおう、なんて呟きながら。
 さて、これは果たして嫉妬と呼べるのだろうか?
 そもそも忍なんていう職業は、男も女も関係ない。任務で一緒に組むことになれば、互いの背中を守りあうのが当然だし、そうしなければ死ぬだけだ。特にサクラは医療忍者という立場のため、係わり合いになる忍の数は桁違いに多く、その身体に触れる回数も多い。ナルトはその現状を知っているのかいないのか、サクラが誰と話していようがお構いなしで、それを話題にすることもない。
 嫉妬なんてこれまで見せたことないのに、無機物相手にあんな顔。
「やっぱり、額縁に飾っておきたいなあ」
 奥の部屋から「なんか言った!?」と不機嫌そうな声が聞こえてきた。






※冷え性の人は大変だなぁ、と思います。



2010/03/26