恋文



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 ナルトとサクラはあまり喧嘩をしたことがない。
 サクラがわりと気の強い質でナルトも喧嘩っ早いため、第三者の目には衝突の絶えない二人に映るかもしれない。しかし二人が喧嘩をした回数はさほど多くないし、さらに正確に言えば喧嘩にならない。サクラが怒る時は大概ナルトに非がある上に、サクラが相手だとナルトは素直に自分の過ちを認めることができた。しかもナルトは我が身を襲う理不尽に腹を立てることはあっても、惚れた相手の我侭や八つ当たりに怒りを覚えることはないらしく、いつの間にか宥める役に回ってしまう。
 だからこんなのは喧嘩にもならないだろうとナルトは高を括っていた。ほんの十分前までは。
 きっかけは実に他愛もない、本当につまらないことだった。リビングでお茶を飲みながら雑誌をぱらぱらめくっていたサクラが、読んでいた記事に感化されたのだろう、ナルトにこう尋ねてきたのだ。
 ずいぶん小さな頃から好きだって言われてきたけど、何で私だったの?
 その隣で鼻歌をうたいながら忍具の手入れをしていたナルトは、突然そんなことを聞かれて大いに困った。だって、今の今まで考えたことがなかったのだ。何で、だなんて。物事を筋立てて考えることが苦手だし、理由ありきで人を好きになるわけでもあるまい。言ってしまえば、サクラがサクラであるから好きだ。だがそれを伝えたところで何が何やらわからないだろうし、サクラちゃんがサクラちゃんで、などと拙い言葉でもごもごと説明をしていたら、もういい!と話をいきなり切られた。そこでナルトがカッとなる。こんなに必死に伝えようとしてるのになんで聞かないの、なんでわかってくれないの、というわけだ。
 そして今、サクラは寝室に閉じこもっている。篭城だ。鍵がついていないので部屋に入ろうと思えば入れるのだが、もしも入ってきたらただじゃおかないという殺気に満ちている。理不尽だ。この上なく理不尽だ。夕飯前で腹が減っていることもあり、この仕打ちに心がささくれ立つ。
「しょうがないじゃんか!咄嗟に浮かばなかったんだから!」
 扉越しにナルトは苛立った声を出した。ああ、やだな。またこの展開だ。
「それ言っちゃったらさ、サクラちゃんだってオレんこと好きになった理由、少しも話してくれないでしょ!?」
「理由?」
 返ってきた声は思いのほか弱々しい。ほら見ろ、サクラだって戸惑うではないか。そんなことを急に言われて、さらさらと簡単に言葉が出てくるほうがおかしいのだ。
「そう、理由。何でオレなの。そういうの聞いたことねぇし。そもそもさあ、そんなの咄嗟に出てくるはずが、」
「あんたの真っ直ぐな目が好き」
 間髪入れずに答えが跳ね返ってくる。おかしい。なぜ出てくる。
「白状すると下忍の頃からずっといいなって思ってた。これ絶対言うつもりなかったんだけど……。あんたの目に見えているものを私も見てみたかった。あんたの背中を追っかけて追っかけて、今はどこを見てるのか気になって横顔を見てたら、いつの間にか好きになってた」
 アアだのウウだの、妙な呻き声しか出てこない。金魚のように口をぱくぱく開けている自分は今、とんでもなく間抜けな顔だろう。
「私が見てるとすぐ気づいて、何?って顔してこっち見るでしょ。その顔が好き。すごく優しいのよ。必死になって頑張ったら、いつか隣で同じ方向をむいて生きていけるかなって思うようになった。それが叶った今はすごく幸せ」
 口元を手のひらで覆い、ぐりぐりと撫でまわす。まずい、どう頑張っても顔が笑う。
「ごはんを美味しそうに食べてるのを見ると、好きだなあって思う。私、自分が作った料理を食べてもあんまり美味しいと思わないんだけど、ナルトは食べる時にいつも美味しい美味しいって言ってくるから、それが嬉しくて料理するのが好きになった。料理しながらあんたのことを考えてる」
 扉越しの声は淀みなく、途切れることがない。顔はもう限界まで茹で上がっている。これ以上聞き続けたら、オレは間違いなく心臓発作で死ぬだろう。
「あのさ、サクラちゃん?」
「背筋のつき方が私の理想そのもので、気づかれないようにちらちら見てる。実は寝てる間に背中触ったりしてる。そのせいで夢見悪かったらごめん。でも止める気ないから。それもごめん。それから、」
「ああああ!わかった!もう十分!それ以上はいいから!」
 真っ赤な顔で扉を開けると、サクラは膝を両腕で抱えて座っていた。そろそろと持ち上がるその顔は、今にも泣きそうに揺らでいた。
「好きよ」
 透明なその声は皮膚を突き破り、脈打つ心臓に鋭く刺さった。きっとこの痛みは一生忘れないだろう。いっそ治らぬ傷となり、命尽きるまでそこに留まるといい。ぎゅうっと締め付けられるようなその衝撃にぐしゃりと顔を歪めて、ナルトはサクラをかき抱く。
「ごめん。ほんっとごめん。オレが悪かった」
 サクラは黙ってその身を預ける。口を利く気にはなれなくとも、振り払うことなく身体を寄せてくれるのは嬉しかった。ほっと一安心したら、自然と言葉が出てきた。
「オレさあ、手紙書くよ」
 誰かに手紙を書いたことなんて一度もなかった。字が汚いのは自分が一番よく知っていたし、大事な用件は自分の口で伝えるのが重要だと思っている。しかし。
「話そうとするとわけわかんなくなるから、手紙にしてみる。字はなるべく丁寧に書く。主語もつける。何言いたいのかちゃんとわかるように整理する。好きだっつー気持ちをこのまま疑われるの、オレやだよ」




 手紙を書きます宣言から約二週間、昼夜問わず時間を費やしてそれは綴られた。ナルトが贈った人生最初で最後の恋文だ。実に便箋十三枚にも渡るその恋文はサクラの手に渡り、他の誰にも見つからぬよう箪笥の奥に仕舞われている。






※そういや喧嘩してる話って書いたことねぇなあ、と思って。



2010/02/19