出口のない夜の中



出口のない夜の中




「今日も逢えなかったなあ……」
 夜空にぽっかりと浮かぶ月を見上げながら、ヤマトは力なく呟いた。今日こそは早く切り上げてあの人の様子を見に行こうと決めていたのに。家路に着くその足取りは、よろよろと不確かだ。とにかく疲れ果てていたし、連日連夜の任務内容にいささか食傷気味だった。自分は確か忍稼業だったと思うのだが、入ってくる任務は土建屋かはたまた家具屋かという仕事ばかり。里の復興に尽力はするし、そのためには身を粉にする覚悟だ。とは言え、大して動いてもいないのにチャクラと精神力だけが大量に食われ続けているのだから、いつもの余裕がなくなるのも無理はない。愚痴のひとつも吐かせてほしい。
 仕事あがりに兵糧丸を手渡されたが、全く食べる気がしない。あの人の顔を一目でも見られれば簡単に奮起できるのだが、家に帰るのは決まって日付が変わる頃。そんな時間はどうやっても捻り出せない。こうなれば忍耐力だけが頼みの綱だ。禁欲的な青春期を過ごしたこともあり、そのあたりには自信がある。そもそも同じ里内にいるのだから、顔を合わせる日がいずれやって来るだろう。
「あれ……」
 木遁術でこしらえた仮住まいの前に、人影がある。扉の前に座りこんでいるようだ。期待を胸に足早で近づいてみると、やはり思った通り。
「シズネさん?」
 声に合わせて、うつむいた顔がゆるゆると持ち上げられる。その人影はシズネに間違いなかった。少し痩せたように思える面差しが、こちらに向けられる。身体の重たさも粘るような疲れもあっけなく吹き飛び、その足はシズネの元へ。
「どうしたんです?もしかして五代目、目を覚まされたんですか?って、うおっ!」
 勢いよく胸元に抱きつかれて狼狽するが、身体の変化に気づくと、ヤマトの顔は途端に強張った。間違いない。やはり痩せたようだ。しかも随分と長い間この場所に居たほうで、身体が冷えている。
「ちゃんと食事とってます?なんだか随分と……ちょ、ちょっと?シズネさん!?」
 シズネの身体から力が抜け、ずるりと滑り落ちた。とりあえずベッドに寝かせるべきか、それとも医者に連れて行くか、いやいやこの人も立派に医者だしなぁ、などと疲れてよく回らない頭を懸命に稼働させる。
「ごめんなさい、大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょ。いいから、じっとしててください」
 身を離そうとするシズネを強引に引き寄せ、その身体を持ち上げる。とにかく一旦家の中に入れることにした。なにせ我慢強い人だから、放っておくと無理ばかりする。だからこそ、顔を見に行きたかったのに。なんとしても時間を作るべきだったのだと後悔しても、もう遅い。自分の不甲斐なさに腸が煮えくり返る思いだ。ヤマトは乱暴に鍵を開けると、シズネを抱えたまま家の中へ入った。




「ありがとうございます」
 お茶を入れた湯呑を差し出すと、シズネはお礼を言って受け取った。淹れたてのお茶を啜ると気分が落ち着いたのだろう、頬にさっと赤みが差す。玄関先では暗くてわからなかったが、家の灯りをつけてみるとその顔は真っ青だった。医者でもない自分が見ても疲労の色が濃いというのに、五代目が起きたら真っ先に叱られるのではないだろうか。
「今は、サクラがついてるんですか?」
「……ライドウが。あと、ゲンマとイワシ君が交替で入ってます。いいから少し休めと言われて、テントを追い出されました」
「あなたのことだ、ろくに休みもしないで、ずっと付きっきりだったんでしょう。そりゃ周りは心配しますよ」
「でも、倒れることなんて一度もなかったんですよ?体力には自信がありますし。さっきのは、ただの気の緩みです。ずっと張り詰めていたので……」
 シズネはそれきり口を閉ざし、二人は黙ってお茶を飲む。ずっと会いたかったはずなのに、いざ二人きりになると、何を話せばいいのかわからなくなった。壁掛け時計の音が妙に耳障りで、気の利いたことを言わなくてはと強迫観念さえ覚える。そんなヤマトの焦りなど素知らぬ顔で、時間は容赦なく過ぎていった。
「夜分遅くに申し訳ありませんでした。そろそろお暇しますね。お茶、ありがとうございました」
「何を言ってるんですか。こんな遅い時間に帰らせるわけにはいきませんよ」
「いえ、どうせ夜には戻るつもりでしたから」
「そんなことをしても、また追い出されるだけですよ」
「それでもかまいません。ここに立ち寄ったのは、ちょっと顔を見れたらと思っただけです」
「ちょっと?じゃあなんだって長い時間、ボクの帰りを待っていたんですか」
「なんでって……なかなか帰ってこないから……なんだか色々と考えてしまって……」
 どうしてこの人は、こうも甘えるのが下手なんだろうか。抱きつかれた時の衝撃を、ヤマトはまだ忘れてはいない。辛い時こそ孤独になろうとするのは、シズネの悪い癖だった。
「考えるの、やめましょう」
 離れていこうとする手を引き、シズネの身体を腕におさめる。
「無理ですよ」
 その手は背に回されることなく、ヤマトの胸を押し返した。だが、ヤマトは引かない。
「いいから、今日はここに泊まっていきなさい。一晩中、傍に居ますから」
 もっと自分に寄りかかればいい。もっと欲しがればいい。ヤマトはそう強く願いながら、シズネの首筋に顔をうずめた。惚れた女の匂いは、屈強な忍びさえもたやすく欲情させる。
 そっと顔を覗き込むと、濡れた瞳が向けられた。唇を重ねたのは、いったいどちらの方からか。触れたそばから欲に火がつき、縺れる様にベッドへ倒れこむ。現実に抱える問題はひどく厄介で、先の見えない闇夜のような日々が延々と続き、二人はずっと寂しかった。恋しい人の肌の温かみや、裸で抱き合った時のくすぐったさを、忘れてしまっていた。いったい自分はどうやって一人で生きてこられたのだろう。身体を弄る最中、そんな危うい疑問が頭を過ぎった。
「逢いたかったのは自分だけ。そう思っているでしょう」
 組み敷かれたシズネは視線を投げる余裕もなく、返す言葉は声にならない。
「ああくそ、こんなことなら無理やりにでも忍び込めばよかった」
 息を荒げながらも、溜まった思いを吐き出さずにはいられなかった。物わかりのいい大人を気取ったところで、案外碌な結果にならないものだ。現に今、飢えたように求める姿は、女を覚えたての餓鬼のようだ。いい年の男が、なんて滑稽で無様なことだろう。
 渇きはなかなかおさまらず、二度三度と行為を重ね、結局寝かせたのは深夜になってしまった。よく考えなくとも、弱った女に対する仕打ちではない。そっと覗き込むと、予想に反して穏やかな寝顔がそこにあり、ヤマトはほっと安心する。
 身寄りのないシズネにとって、綱手は師匠以上の存在なはずだ。親代わりであり、長旅を共にした気心知れる仲間であり、その身を護る側近でもある。それらを一気になくすかもしれないという恐怖は、あまりに耐え難い。なにせ二人はあまりに多くの時間を共有しすぎている。もしも五代目がこのまま目を覚まさなければ、シズネはその後を追おうとするかもしれない。果たして自分は、その行動を止められるだけの存在に成り得るのだろうか。自信がない。
「何を縁起でもないことを」
 自分に言い聞かせるようにそう呟き、頭をがしがしと掻く。今自分にできることは、後悔のない日々を送ることだけだ。復興の手は絶対に緩めない。その合間を縫って、シズネの様子に気をかける。とにかく明日は朝飯をたくさん食わせて、五代目の元へ送り出そう。眠るシズネのまなじりに唇を寄せて、ヤマトもまた眠りについた。





※「里の灯」の時系列です。当サイトは、ヤマシズを全力でプッシュします。この二人、お似合いだと思うんだけどなあ。




2010/02/13