庭に縁側、2LDK



庭に縁側、2LDK




 がさがさと大きなビニール袋を揺らしながら、歩き慣れていない道を歩く。
 里を抜けたあの日、高台からひとり眺めた景色は、もうどこにもない。暁の手によってすべての建造物を叩き潰されたのだと伝え聞いた。再び足を踏み入れた時、まるで知らない土地を歩くかのようだったことは、記憶に新しい。そもそも屋敷の外へ出る回数はそう多くないし、勝手知ったる道などひとつもない。それでも、今歩いているこの道が、いつかの日か自分の足に馴染んでくれるかもしれない。そう思ったりもする。
 目の前を、ほのかな白がひらり遮る。鉛色の空を見上げれば、雪が降りはじめていた。冬の日、それも雪の降る夜に、こたつで鍋を囲む。なかなか悪くない。酒と肴を詰め込んだビニールは、はちきれんばかりに膨れている。歩く速度をあげ、サスケは目的の場所へ向かった。




「おっかえりなさーい」
 ハートマークでも飛んできそうなほど底抜けに明るい声が、サスケを出迎えた。しかもエプロンは派手なピンクのフリル。条件反射で扉を閉めようとするが、悔しいことに相手の動きの方が早かった。がっしりと扉を掴まれ、空いた隙間に身体をねじ込まれる。
「このウスラトンカチ。なんだその格好は。絞め殺していいか」
「もう、物騒なんだから、サスケ君ったら……いいから上がって上がってー」
 本気で帰りたくなるが、この阿呆の同居人を悲しませることだけはしたくない。湧き上がる衝動をぐっとこらえて、ノブを掴む力を緩めた。
「その言葉遣い、やめろ」
「何だってばよぅ。サクラちゃんのフリして出迎えてやったっつーのに。何が不満かね」
「全部だ、全部。さらに言えば、お前の存在自体に不満がある」
 手に持ったビニール袋をナルトに押し付け、邪魔するぞ、と一言断ってから部屋にあがる。廊下の奥に人の居る気配はなかった。
「サクラは居ねぇのか?」
「うん。どうしても抜けられないからって、下ごしらえだけ頼まれた」
「大丈夫かよ……」
 眉根を寄せるサスケに、ナルトは負けじと思い切り顔をしかめる。
「オレだってね、野菜ぐらい切れるってばよ。オレのこと何だと思ってんの、お前」
 はあ、とため息を吐いてサスケはナルトの横を素通りする。別に、口喧嘩をしにわざわざここまで来たわけではない。今日の目的は鍋だ、鍋。廊下の突き当たり、開けっ放しの扉をくぐると、左手に台所が見えた。
「お前、どこまでやった?」
「野菜洗ってー、適当に切ってー、ザルにあげてー」
 指折り数えるナルトの声を聞きながら、大体の状況を把握する。とりあえず、ザルからこぼれ落ちそうな山盛りの野菜をなんとかしよう。サスケは、黒のアンダーをぐいっとまくる。
「この家で一番大きな皿はどれだ」
「皿ぁ?」
「いいから出せ」
 ナルトが探し出した大皿は、なかなかに立派だった。白地に濃紺の絵柄が入っており、シンプルながら物がいい。早速サスケは洗った大皿の上に具材を並べはじめる。しいたけ、えのき茸、ネギ、春菊、白菜、くずきり。
「おい、豆腐はどこだ」
「えーと……ちょいまち」
 力の加減を誤って形を崩してしまうのを恐れたのだろう、鍋物用の焼き豆腐は切らずに封をしたまま、冷蔵庫の中に仕舞われていた。容器から出したそれを手のひらに乗せると、包丁ですいすいと切り分け、皿の上に乗せる。
「つーかさ、盛り付けまですんの?」
「こういうのは、皿の上に乗っけるだけで美味そうに見えんだよ」
「そんなもんかねぇ」
 ナルトは解せないとばかりに首を傾げていたが、外の気配にピクリと反応をする。サスケを残し、その足は玄関へ。
「ごめん!遅くなった!」
 あわただしい物音に、サクラの声が被さった。ずいぶんと急いだに違いない。息が少し乱れている。
「お疲れさまー。片付いたの?」
「邪魔してるぞ」
 鶏の胸肉を切り分けながら、サスケが言う。
「サスケ君、久しぶり!今日だけは早く切り上げるって決めてたんだけど、そういうわけにはいかなくって。待たせてごめんね?」
 サクラは壁越しにひょいと笑顔をのぞかせるが、台所で包丁を持っているサスケの姿を見るなり顔色が変わった。
「もう!あんたは!お客様に手伝わせてどーすんのよ!」
 台所に戻ろうとしたナルトの頭に、サクラの拳が落ちる。
「いってぇ!」
「しかも何よ、その格好」
「ええ!?似合ってない??」
 ナルトはエプロンの裾をちらりとつまむと、可愛らしくひらひらと振ってみせる。図体の大きな男が可愛らしいエプロンを身に着けていることでさえ、失明の危機を感じるというのに。サスケは顔をしかめて舌打ちをし、まな板に視線を戻す。
「どこから引っ張りだしてきたのよ……二度と見たくなかったのに……」
「お前のじゃないのか?」
「サスケ君ひどい!私の趣味じゃないわよ!キバの馬鹿が勝手におくりつけてきたのっ!」
「サクラちゃん、絶対に着ないって言い張るからさー。勿体無いからこっそり使ってんのよ、オレ。結構丈夫な素材でさー、実は重宝してんだよね」
 ナルトとサクラが言い争いを横目に、サスケは両手を洗い、吊るしてあるタオルでぬぐう。下ごしらえはほぼ完了したと言っていいだろう。
「サスケ君、ありがと!あとは私に任せて!」
 サクラは慌ててサスケを奥の部屋に押し込むと、いそいそとこたつに潜り込もうとするナルトの背中を軽く蹴ってから、台所に戻っていった。サクラが手に持っていたのは、紺色のエプロン。どうやらあれが本人のものらしい。
「お前の使ってるあれ、キバの嫌がらせか?」
「あいつ、昔っから悪ふざけ好きだからなー。だからモテねーんだってばよ」
「女と歩いてるの、何回か見たけどな」
「だーめ。全っ然続かねぇの。しかもあいつ、自分からフッたことないんだぜ?」
 ナルトと他愛の無い話をしていると、土鍋を持ってサクラが入ってきた。美味そうな匂いにつられて目を遣れば、すでに湯気が立っている。
「思ったより早ぇな」
「煮汁は準備しておいたから、温めるだけだったのよ」
 サクラはそう言いながら、卓上コンロの上に土鍋を置き、火を点す。続いて運んできた大皿の上には、鍋をもう一回作れそうなほど具材が盛られていた。男二人は、とにかくよく食う。きっとこれらも綺麗になくなるだろう。
「はじめはビールでいいよね?」
「ああ」
「オレ、ビール嫌い」
「あんたは梅酒のうっすーい奴ね。わかってるから」
 ぶすっと膨れ面を見せるナルトに、サクラは苦笑交じりに返した。
「梅酒か。どうも飲みつけねえんだよな」
「あの魅力がわからないとは。お前は黙ってビール飲んでろ」
「ビールだけじゃなくて、冷酒もあるからね。それとも今日は熱燗にしようか?」
「ああ、いいな」
 サクラが持つお盆の上には、薄い黄金色の液体が入ったガラスのコップと、空のグラスが二つ。それに、少し汗をかいた瓶ビールが三本。
「ナルトどいて。そこ私の席」
「えー、いいじゃん。たまには」
「だめ。それに、サスケ君と私は飲むけど、あんた飲まないじゃない」
 サスケの右側でぬくぬくと温まっていたナルトだが、サクラの言葉にしぶしぶ席を立つ。結局、ナルトはサスケの真向かいだ。サスケが左で、ナルトが右。そして真ん中はサクラ。いつの間にかそういう位置が固定されている。それが一番落ち着くのだ。
「あ、栓抜き忘れた」
「瓶、寄越せ。二本だ」
「え?」
「いいから」
 サクラの手から瓶ビールを受け取ると、サスケは一本を畳の上に置いた。そしてもう一本を斜めに持ち上げ、その栓の端っこを、まっすぐ置いた瓶の栓に引っ掛ける。その形を固定したまま、瓶を二本とも軽く持ち上げ、とん、と軽く畳へ落とす。するとどうだろう、パシュっという軽快な空気音と共に、斜めに持ち上げた瓶の栓が開いたではないか。
「「おおーー!!!」」
 二人分の喝采が沸き、たちまち「栓抜きを使わずに瓶ビールを開けられるか大会」に突入しかけたが、後で教えてやるから今は鍋を食おうというサスケの言葉に二人は頷き、鍋をつつきはじめた。
 三人の腹を十分満たすだけの鍋と、肴が少し。懐かしい話をしながら囲む鍋は格別で、二時間も経たないうちに鍋の中身はからっぽとなった。腹が膨れた上に、酒が入ったからだろう、ナルトは真っ先に寝入ってしまった。起こしてくれってばよ!と後で文句を言うくせに、こういう時に起こそうとしても、絶対に起きない。だから放っておく。それが常だ。
「気持ちよさそうに寝るわねー」
「風邪……は引かねぇか」
「馬鹿だから?」
 するめいかを齧りながら頷けば、サクラは困ったように笑い、こたつを抜け出す。そして部屋の隅、あらかじめ用意しておいたブランケットを手に取り、ナルトの傍らにしゃがみこむ。
「違うわよ。馬鹿だから引いちゃうの」
 ナルトの上半身にブランケットを掛けると、くしゃくしゃと金髪をまぜっかえした。その仕草が心地良いのだろう、むにゃむにゃとすり寄ってくるナルトは、なんだか猫みたいだ。浮かべた微笑をそのままに、サクラはこたつに戻る。
「サスケ君」
 サスケのお猪口に酒を注ぎながら、サクラが言う。空いた瓶の数が五本を超えたところで、二人は熱燗に切り替えていた。いちいちつけるのが面倒なので、熱湯を張った木箱に何本か銚子を放り込んでいる。情緒もへったくれもないが、いかにこたつから出ないで飲むのかが重要なのだから仕方ない。注がれた酒を一口つけてから「何だ」と返せば、サクラはにっこり笑ってナルトを指差す。
「とらないでね」
「はあ?」
「サスケ君には永久に勝てない気がするのよねえ。こいつ、ホイホイ付いていっちゃいそうで」
「気持ち悪ぃこと言うな。酒がまずくなる」
 しかめ面で遮るが、サクラは気にも留めず話を続ける。
「愛情より友情。そういうところあるわよねえ」
「お前なあ、人の話……」
「譲らないからね」
 酔ってるのか、こいつ。そうは思えど、あまりに真に迫っているが故に、茶化せない。ひとしきり唸った後。
「……ああ、わかったよ。とらねぇよ。そう言やいいんだろ?」
「ん、それでよし。言質取った!」
 とるもクソもねぇだろう。馬鹿馬鹿しい茶番だと思いつつ、サクラがそれで安心するのなら何度でも言ってやろうとサスケは思う。
 オレはここに居る。追いかける必要は、もうない。だからこそ、お前らは幸せになる。
「雪、止んじゃったかな?」
「本格的に降ると思ったんだが、どうだろうな」
「縁側、出てみようか」
 なるほど、雪見酒というわけか。いいな、と呟いたのが合図。銚子の入った木箱を抱えて、縁側のある部屋へ移る。雪は幸い、まだ降っていた。庭の土は、うっすらと雪を被っている。明日は一面雪景色になるだろうか。思わず身震いをすると、サクラが半纏を肩にかけてくれた。おそらく、ナルトのものだろう。ありがたく袖を通す。
「七班だった頃も、雪積もったよね。他の班と一緒に雪合戦やったの覚えてる?」
「覚えてるもなにも、忘れられねーよ」
「先生たち、面白がって演習にしちゃうしさ。忍術含めて何でもありって、ちょっと凄いよね」
「今やったら、間違いなく里が潰れるな」
 話すことならいくらでもあった。差しつ差されつ雪を見る。銚子が空になった頃、こたつのある部屋に戻れば、ナルトがむくれ顔で出迎えた。こんな時に限って起きるとは。機嫌を戻すのに苦労したが、雪が降るのを縁側で見ていたとサスケが言えば、目を輝かせて部屋を飛び出していった。ずっと家に居たナルトは、降りはじめた雪に気づかなかったらしい。子供みたいなはしゃぎように、二人は顔を見合わせて笑った。




 久々に来たのだから泊まっていけと言われたが、その誘いを断り、雪が積もらないうちに帰ることにした。持ち込んだものは特にない。帰りは手ぶらだ。
「帰り道、気をつけてね」
「あのなぁ……」
 それが忍に掛ける言葉か。そんな反論はあっさりとサクラに遮られる。
「知ってる。でも気をつけて。また逢いましょ」
「おう」
 玄関の扉は開けっ放しだ。さっさと出ないと、サクラが風邪を引く。またな、と言葉を残して、サスケは家路についた。はずだったのだが。
「サースケぇ!」
「あ?」
 前を進む足を止め、後ろを振り返る。ドアから半身を出したナルトが、にやりと笑って立っていた。
「尻のポケット、探ってみ」
 嫌な予感にかられて、さっとポケットをまさぐる。
「鍵?」
「そう。ここん家の」
「んのやろ……勝手なことすんじゃねえ!いらねえよ!」
「気ぃつかねえのが悪いんだってばよ。もう遅ぇかんな!返却不可!どっかに投げ捨てたりすると、うちの鍵、交換になるからな。よろしく」
 こいつ、ぶん殴ってやろうか。
「サスケ君!また来てね〜!」
「また来てね〜!」
 ひょこりとナルトの横から顔を出し、サクラが手を振る。手をあげて応えようとしたが、ナルトがサクラの声色を真似て言葉を重ねるので、顔をしかめて手を戻す。本気で気色悪い。
「気が向いたらな!」
 とりあえず怒鳴るようにそう言い捨てて、二人の住むアパートを足早に去った。薄く積もった雪の上に、サスケの足跡が刻まれる。足取りは行きよりもずっと確かで、馴染んだものだった。




2010/02/02