まぶた、揺らぐ



まぶた、揺らぐ




 サスケが、木ノ葉の里へ帰還した。
 討伐および遺体の回収が絶対とされていた中、こんな事態が許されたのは、五影の恩赦と木ノ葉の嘆願があってこそだ。本懐を遂げて死ぬために生きてきたサスケにとって、木ノ葉で生きることは何よりの苦痛を伴うはず。そんな考えがあったことも、否定できない。
 ともあれ、サスケは生きている。その身体も、その精神も、なにひとつもがれぬまま。
「うちは、時間だ」
 サスケは声の主にちらりと目を向けた後、ゆっくりと立ち上がる。その手には、特殊な手錠が嵌めてある。チャクラを封じこめる術式を施されたサスケは、地下深くの重罪人収容所に留置されていた。幼い頃、警務部隊の隊長だった父に、この施設のことを教えられた。うちは一族が代々看守を担当し、暴れる罪人を時に写輪眼で制圧するのだという。その話を聞いた夜は、怖くてうまく寝られなかった。昔の話だ。
 ふぞろいに並べられた石畳は、歩きにくいことこの上ない。だが、サスケは音も立てずにすいすいと歩く。薄く開かれた双眸は、どこか一点を見ているようであり、また、どこでもない場所を見つめているようにも見えた。看守の足が止まり、顎をしゃくる。
「この中だ」
 ごうん、と重々しい音を立てて、扉が開く。その奥は、正方形の部屋だった。机や椅子はない。からっぽだ。ただし、床はもちろん、壁や天井にまで複雑な術式がびっしりと書き込まれている。あれは、カカシの字だ。他の人間の字も多少混じってはいるが、圧倒的にカカシの手によるものが多かった。そういえば、大蛇丸の呪印を封じる時も、カカシが手ずから術式を書いていた。あの時は何を書いているのかサッパリわからなかったが、大蛇丸の下へ走り、兄を殺し、マダラと手を組んだ今となっては、それがきちんと意味を持って頭の中に滑り込んでくる。これだけの術式、どれほどの時間をかけて完成させたのか。少し聞いてみたい気もしたが、部屋の中に当のカカシの姿はない。
「うちはを連れてきた。あとは頼む」
「はい、ありがとうございます」
 透き通った声だ。高すぎず、知性を感じさせる。はるか昔、任務中に飛び交うこの声を、サスケは好いていた。言い寄ってくる時は邪険に扱ったが、任務で行動を供にする時は、この声にじっと耳を澄ませた。いつか離れる時が来ようとも、この声だけは忘れまいと、胸に誓った。
「久しぶりだね、サスケくん」
 背に触れるほど長くなった桃色の髪が、白衣を流れる。綺麗になったな、と、この場にそぐわないことを思った。
「ご飯食べてる?ちゃんと寝てる?ナルトと私はもちろん、サイだって……」
「いいから、早くはじめてくれ」
「ん、わかった」
 寂しげに笑いながら、サクラは白衣のポケットからサスケのサインの入った同意書を取り出す。
「同意書の内容、ちゃんと読んだよね。写輪眼の封印は、前例がないの。失明の可能性は、今のところイーブン。カカシ先生が術式を担当したから、これだけパーセンテージが上がったの。先生、式の完成度を上げるためにあちこち飛び回ってたから。感謝してね」
 無言で頷く。そもそも長い歴史の中で、写輪眼を封印するなんてことは誰も考えなかった。木ノ葉においては至宝扱いされてきたし、他の隠れ里には写輪眼対策ならいくつかあったが、瞳の持ち主を生け捕りにでもしない限り、封印などできるはずがない。この封印式が日の目を見るのは、きっとこれが最初で最後だろう。そして、二度と解かれることはない。
「ねえ、サスケくん。ひとつだけいいかな」
「なんだ」
「どうして、私なの」
 術者にサクラを指名したのは、サスケだった。
 封印術に一番長けているのはカカシだし、チャクラ量ならナルト、不測の事態が起きた時にすべてを預けられるのは綱手以外にいない。何もかもが中途半端な自分を、なぜ術者に選んだのか。それがサクラには不思議でならなかった。
「一番最後に見ておきたいと思ったのが、お前の顔だったからだ」
 その言葉に、サクラは息を呑む。
「カカシを信用していないわけじゃない。あくまで可能性の問題だ。これを最後に、オレは光を失うかもしれない。暗闇に覆われるその間際、お前の顔を見れたら、と。そう思った」
 サスケの双眸が、サクラを見つめる。その輪郭を、潤みがちな瞳を、長いまつげを、形のよい唇を、薄紅に染まった頬を。網膜に、刺青を残すかのごとく。
 サスケの手が、サクラの頬に触れようと動く。しかし、その途中でサスケは動きを止め、やがてためらいがちに戻された。サクラはその手を迷わず引き、自らの頬にサスケの手を押し当てる。冷えた部屋の中、二人の温度がひとつになる。
 二人が結ばれることは、永遠にない。サクラはナルトを生涯の伴侶として選び、サスケはうちはの血が生み出す悲惨な連鎖に、自らの死をもって終止符を打つと誓った。
 しかし、それでも。
「愛してるわ、サスケくん」
「ああ、オレもだよ」
 もう二度と口にしないであろう言葉を互いに贈りあい、封印術を発動させた。






※この世には様々な愛情の形がある。と思う。ちなみに、どの時間軸にも属さないパラレルだと思ってください。




2010/01/28