弔悼



弔悼




「テーンゾー」
 間延びした声に歩みを止めると、テンゾウは眉を顰めて息を吐いた。なんとも厄介な人物に捕まってしまった。そう心の中で思えども、それを顔に出そうものなら力いっぱい殴られるに決まっている。さっと表情を消し去ると、身体を反転させる。視線の先では、みたらしアンコがブロック壁のてっぺんにだらりとしゃがんでいた。
「今は、ヤマトです」
「ちょっとさ、面貸しな」
「すみません、ボクこれから報告書を、」
「テンゾウ君」
 アンコがテンゾウのことを君付けと呼ぶ時は、ろくなことがない。答えあぐねていると、駄目押しのようにアンコが言葉を重ねる。
「いいから貸しな」
 みたらしアンコという人間は、こうと決めたら梃子でも動かない。任務となれば話は別だが、普段の生活に関して言えば、それは絶対だった。周囲をいいように振り回し、それをどこか楽しんでいる節さえある。その尻拭いに奔走するのは、もっぱら彼女の部下とテンゾウの役目だった。
 今日中に報告書を提出したかったのだが、明朝早起きして仕上げれば問題ないだろう。できることは今日のうちに、が信条のテンゾウにとっては、あまり気分の良いものではない。おかげで口調は少々ぞんざいになる。
「どこ行くんです?」
「着いてからのお楽しみ」
 元々言う気がないのだろう。地面に音もなく着地すると、長いコートを翻し、アンコはさっさと先を急ぐ。この通りを真っ直ぐ歩くと、アンコの行きつけがあるはずだ。飲みにでも連れて行かれるのだろうか。そうぼんやりと思いながら、アンコの後ろを黙ってついて歩く。
「あんたさあ、いまだに『ボク』とか言ってるわけ?その歳で痛々しくない?」
 多感な思春期、一人称をオレに変えたら腹を抱えて大爆笑をしたのは一体どこの誰だったか。文句の言葉が喉元まで飛び出しかけたが、癖なんですよ、と切り返す。何がおかしいのか、アンコは笑う。どうやら自分は、何を言っても笑われる性質らしい。とうの昔に諦めたことではあるが、なんとも情けない話だ。
 陽の落ちかけた商店街は、飲みに繰り出す連中と買い物客とでごった返していた。人ごみの流れを読んでいるかのようにすいすいと小気味よくアンコは歩く。財布の中身は幸か不幸か温かい。どうせ、飲み代はすべてテンゾウ持ちだ。大して趣味の無い暇人の代わりに、景気よく使ってやろう。それがアンコの口癖だった。
 何やかやと話をしているうちに、行きつけの飲み屋へたどり着いた。からりと戸を開くと、アンコは首だけひょいと店内に突き出した。
「おっちゃん、ご無沙汰。いつものやつ、一本分けてもらえる?」
「おう、帰ってたんか。いつものやつね。あるけど、あんま飲みすぎんなよー」
 ちょっと待ってな、とテンゾウに言い残し、店の中へ入っていく。待たされるかと思いきや、アンコはすぐに酒瓶を片手に店から出てきた。
「こっからちょっと走るよ。ついてきな」
 テンゾウの返事も待たずに、姿がふっと消える。全く、いつも唐突なんだよ、あの人は。どうも浮浪癖があるらしく、昔の記憶を掘り返すと、年中アンコのことを探していた気がする。馴染んだ気配をすぐに掴むと、アンコの後を追った。
 陽が完全に落ちきってからも、アンコはひたすらに走り続けた。その足がようやく止まったのは、里のはずれにある森の中だった。周囲は見渡す限り木々で埋め尽くされ、他に何があるわけでもない。里の灯りがほんのりと目に映るばかりだ。立派なヒノキの太い幹に手をそっと滑らせるその表情は、今まで見せたことのない複雑なものだった。寂しそうで、かなしそうで、そのくせ何かをいとおしんでいる。
「聞いてんでしょ?」
 主語はない。だが、そこは古い付き合いだ。意図を汲むのはたやすい。
「ええ、まあ。今日の明け方に緊急招集されました。特にボクなんかは、今後の任務にも大きく影響しますしね」
「まったく、いつまで経っても大蛇丸の名前がついて回るねぇ、私らは」
「仕方ないですよ。最後の弟子に、唯一生き残った実験体ですから」
 ふんと鼻を鳴らして、アンコはヒノキの幹から手を離す。
 大蛇丸が里を抜けた後、衰弱しきったテンゾウを引き取ったのはアンコだった。師匠の不祥事は弟子の自分が責任を取ると言って譲らなかったのだ。周囲が猛反対をする中、アンコの意志を尊重してくれたのは、自来也と三代目だった。テンゾウが任務に問題なく復帰できるまでの間、後見役の三代目が用意した家で、二人は暮らした。
「木の上が好きな人でね、いっつも物哀しそうな目でここから里を見ていた。放っておくといつまでもここに居るのよ。風邪を引くから帰りましょうって言っても、お前は先に帰ってなさい、だもの。他にも、変なとこで頑固だったなあ」
 大蛇丸の話をアンコの口から聞くのは、初めてのことだった。アンコは決して話したがらないし、テンゾウもそれは心得たもので、無遠慮に踏み込んだりしない。大蛇丸のことは、二人の間では一種のタブーだった。
 アンコはゆったりとした仕草で酒瓶を持ち上げ、そのフタを開ける。豪快に酒瓶を傾けると、五合瓶のくびれた口から、酒がざあざあと雨のように流れた。むせかえる緑の匂いを縫い、濃厚な日本酒の香りがテンゾウの鼻に届く。
「弔い酒……ですか?」
「からっきしの下戸だったんだけどね。皆でワイワイって柄でもないし、本人はそれでちょうど良かったんでしょ。でもさ、自来也さまと綱手さまは、それが面白くなかったみたい。任務でどっか行く度に酒買ってきて、あれこれ飲ませるんだけどさ、全っ然だめ。すんごい不味そうに飲むの。あれ結構おかしかったなあ。で、飲めたのは結局これだけ。気に入ったみたいでさ、いつも使ってる湯のみに、ちびちび注いで飲んでた」
「へえ」
 酒を飲む大蛇丸の姿がうまく思い浮かばなかったせいで、生返事になる。俗っぽいこととは無縁のように思えてならないのだ。
「あの人にも、そういうあったかい思い出のひとつやふたつ、ちゃーんとあるのよ」
 中身を全て注ぎ終わると、空っぽの酒瓶にフタをし、ぶらりと手に提げる。
「テンゾウ」
「はい」
「お前、私より先に死ぬなよ」
「それは……命令ですか?」
「いや、」
 言葉を区切ると、首を左右に振り、天を仰ぐ。一体、その目に何が映っているのか。テンゾウはその視線を追うことなく、アンコの背中をじっと見ていた。
「ただの頼み」
 そこに強制力は存在しない。だというのにそれは、命令よりもずっと重い意味をもってテンゾウの心に留まる。
「そんでさ、ここに骨を撒いてくれないかな。ぱーっと、盛大に」
「墓地には?」
「ここでいい。ここがいい」
「いいですよ、約束します。あなたより先に死にません。ちゃんと最期を看取って、言われたとおりここに骨を撒きます。でも、その代わりボクからもひとついいですか?」
「何よ。一回くらい寝てくれってか?やだよ、あんた下手そうだし」
「勘弁してください、そんな恐ろしいこと。頼まれたってイヤですよ」
「ハッ!自信ないだけじゃないの?」
 本気とも冗談ともつかない遣り取りをため息で断ち切ると、テンゾウは条件を提示する。
「その酒、ボクにも飲ませてくださいよ。できれば、どこか店でゆっくりと」
「ウイスキーしか飲めないヤツが何言ってんの」
「それなら飲めますよ、絶対。賭けてもいいです」
「へえ、言うじゃん」
 にやりとアンコは笑い、テンゾウもまた穏やかに笑う。そして二人、一緒に暮らした頃の思い出話に花を咲かせた。
 大蛇丸の愛した酒の匂いが、周囲を漂っていた。






※アンコさんは、大蛇丸のことを心底慕っていたんだなぁ、とアニメを観ていて思いました。生き延びたテンゾウと一緒に居ることで、アンコさん自身が心の平衡を保っていたんじゃないかな。なんて。忍びとして生きる術は、全て大蛇丸に教わったのでしょう。その師を恨むことなんて、きっとできないと思う。誰がどんな陰口を叩こうとも、かつての大蛇丸が里を思っていた心は本物だった。そう信じているといい。
また、木ノ葉は土葬か火葬か明言されていませんが、今回は火葬という設定でお願いします。




2009/07/15