花とみつばち



   十六.


「あー、久々の木ノ葉だぁ……」
 背嚢を担ぎなおすと、いのはくたびれたように息を吐いた。三ヶ月で帰還の予定が、延びに延びて七ヶ月と十九日。ようやく里の大門が見えた。頬が緩まってしまうのを抑えられない。
「お疲れ様でーす」
 退屈そうにあくびをしているコテツに挨拶をすれば、おや、と眉を吊り上げた。隣で書類を整理していたイズモが、にこやかに「お疲れ様」と返してくれる。
「ようやくご帰還か。長かったなぁ〜」
「ええ、まあ。こんなに長くなるとは、正直思ってなかったです」
「噂は聞いてるよ。大活躍だって?何人が助けられたのか、わかんないってさ」
 イズモの言葉に、いのは大きくぶんぶんと手を振る。
「たいしたことはしてないんですって!ホントに!周りが優秀だっただけなんですよ」
 相手の懐にすべり込み、喉笛に噛み付かなければ生還率はゼロのまま。そんな絶望的な状況を打破すべく火影が送り込んだ山中いのは、重要機密をどっさり書き込んだ巻物やら、各陣営の和議状やら、連れ去られた要人やら、仲間の忍びやらを敵の手から取り返すべく日夜奔走した。敵陣営に潜り込むのは確かにいのの役目だったが、逆に言えば数あるポジションのひとつを担ったに過ぎない。経路探索、情報撹乱、囮等々、サポートを担当する個々がなんといっても優秀だった。一つの技術を追求するプロフェッショナルがシステマティックに機能すると、それは芸術となる。いのは今回の任務でそれを目の当たりにした。
「ほんで、付いたあだ名が奪還王ってね」
 コテツの軽口に、ひくりといのの顔が引きつった。
「それ、まさか里にも伝わってるんですか?本気で勘弁してくださいよ」
 ふざけた呼び名が仲間内に広がっているのは知っていた。こういう場合は、むやみに騒ぎ立てるから周囲が面白がるのだ。そう思って口を挟まなかったのだが、その呼び名を耳にするたび膨れ面になるいのの様子が面白かったようで、なんだかんだと定着してしまったのだ。任務を共にした部隊の中では一番年下だったこともあり、いのはそういう意味でも可愛がられていた。
「ま、そういうのはさ、長い任務にはつきものだから。誰かしらいじられるんだよな。コテツなんか、その典型」
「お前がかわすの上手すぎんだよ!そのおかげで、いっつもオレになるの。ひどくねぇ?」
「あ、でもなんかそれ、わかるかも」
「んだよそれ!そういう生意気なヤツはこうしてやる!」
「ああもう、やめて下さいよ!せっかく温泉宿に泊まったのに〜!」
 ぐしゃぐしゃとコテツに髪をかき回され、いのは悲鳴をあげる。帰還が大幅に延びた詫びのつもりか、はたまた身奇麗な格好で里に帰してやろうという親心か、昨夜は五代目持ちで温泉宿に泊まったのだ。足を伸ばせる風呂に入るのは随分と久しぶりで、風呂場に何回足を運んだかわからない。
「おい、コテツ。そろそろ解放してやれよ。待ってる人間もいるだろうからさ。ねえ」
「否定はしませんよ」
「お、言うねえ。誰誰?」
「お二人ともよくご存知の人ですよ」
「うずまきナルト?」
「オレはシカマルだと思うなあ。仲いいだろ、君ら」
「どっちも違いますよ。まあ、同期なのは当たってます」
 じゃあ、誰よ。二人がそう問いかけるのを待たず、いのは無数の蟲達と共に掻っ攫われていった。
「「油女シノか……」」




「うーん、やっぱり出発前より調子悪いよね」
 いのの身体からふらふらと蟲達が離れ、宿主であるシノの元へ帰っていく。いつもの術のキレからは程遠いものの、シノは満足げだ。
「離れて久しいからな、仕方がない」
「せっかくイイ線まで行ってたのに。もうちょっと仲良くできればいいんだけどなぁ」
 シノの統制を離れ、いまだ宙空を飛んでいる蟲達に手を伸ばしながら、いのが言う。
 要は、二人で居ることに慣れてしまえばいいのではないか。最初にそう提案したのはいのだった。心身の乱れはチャクラの乱れ。サクラの言い分を信じれば、二人が一緒に居る状態で蟲に意識を集中できればよい。シノもそれは望むところであり、今一度原点に戻り、蟲との対話に時間を注ぎ込むことにした。
 というわけで、いのが長期任務へ出発するまでの間、二人は少しの時間すら惜しんで一緒に居た。本来なら微笑ましいところだが、当人達は本気も本気、さながら生死を掛けんばかりの形相であり、周囲の目にはさぞ異様に映ったことだろう。特にいのの意気込みは相当なもので、泊り込みの修行だと言って家にも戻らず、いの自身は特にやることもないのに昼も夜もシノに引っ付いていた。声がわずかに戻った瞬間などは、涙を流さんばかりの大騒ぎだった。
 結局、直接の原因は不明のままだ。いのが任務から帰った今、蟲の声は出発前より小さくなっている。これから当分の間、格闘の日々が続くだろう。だが、それも悪くない。
「よく戻った」
 いのの頭に手を置き、そっと撫でる。
「ん、ただいま」
 手を戻すかどうか迷った後、指先はそのままするりと下に滑る。
「触れてもいいか」
「そういうことは、聞かないものよ?」
 いのはシノのサングラスに手をかけ、それを外す。涼しい目元が露になり、じっといのを見つめる。そのまぶたに、唇を軽く触れた。
「この服ってさ、キスがしにくいから、首周りのすっきりしたやつに変えた方がいいと思うんだよね。どう?」
「善処しよう」
「じゃ、決まり。今度見立ててあげる」
 キスを交わした後、二人だけの時はサングラスを外すことを約束した。





2009/07/03