花とみつばち



   十一.


「あれ、ご無沙汰。任務帰り?」
 受付を出たすぐの廊下で、サクラはよく知った背中に声を掛ける。振り向いたいのの顔は、予想通り任務後の疲れが垣間見えた。お互いにちょうど帰りがけだったので、少しお茶でも、と茶屋を目指す。
「シノとデートしたんでしょ?知ってるわよー」
 席につくなり、サクラが話を切り出した。ずっと聞きたかったのだろう、その顔は輝いている。
「まあねー。すんごい久しぶりに虫取りした。アカデミー入る前にはよくやったけど」
「虫取り?え、何それ?」
「だからさ、木に止まってる虫を掴まえて、こう、籠の中に入れる」
 丁寧に動作つきで説明をしてくれるのはご苦労なことだが、聞きたいのはそういうことではない。あれだけ綿密に組んだスケジュールは、一体どうなったのか。
「そうじゃなくてさ、デートでしょ。なんで虫取りなのよ。アカデミー生じゃあるまいし」
 やけに憤慨するサクラの様子に、いのは思うところがあるらしく、苦笑を浮かべて椅子に背をもたれた。
「あー、やっぱりあんたの手が入ってたか。お昼はちょうど行く予定の所だったし、その後も行きたかったお店に連れてかれるし。おかしいと思ったのよ」
「いや、あのね、そうじゃないのよ。シノがお店の調査をしてるって言うから、ちょっと紹介してあげただけで……ていうか何よ、ちゃんとデートしたんじゃない」
「うん、したした。二時間ぐらい街歩きした。そんで、手帳取り上げて強請ったの。返して欲しかったらいつも行ってるとこに連れてけって。シノって頑固だからさ、そうでもしないと頷いてくれないのよ」
「なんでまた」
「色々調べてくれたのは嬉しかったけど、私だけ楽しめるところに行ってもね。フェアじゃないっつーか。シノの散歩コース、面白かったよ。登ったり降りたり忙しなかったけど。夕陽が綺麗に見えてさー。あれは絶景だった」
 うんうん、と満足げに首を振っているいのの前に、ケーキが置かれた。いのはここのクラシックショコラが好きで、任務後に自分へのご褒美として食べることにしている。おお、と小さく歓声をあげて、フォークを一刺し。ちなみにサクラは夕食前ということもあり、今回は紅茶のみだ。
「で、この先どうすんの」
「うーん、どうしよう」
 欠片を一口含んだ後、いのは首をこてりと横たえる。
「あんたねえ……相手はあのシノよ?デートするってことの意味、わかってる!?軽い気持ちでかかられると困るわけよ!」
「なんであんたが困るのよ」
「顔が問題とか?あんた面食いだしねぇ……」
「あ、それはない。サングラス取ったら、涼しい目元っていうの?サクラの好みからは外れるけど、サスケ君とはまた違った感じのいい男だったよ」
 じゃあ、いいじゃないの。胸にわいた呟きをサクラが言葉にする前に、いのは矢継ぎ早に話を繋げた。
「でも、問題は顔じゃないの。だってさー、恋愛ですよ?恋愛!こうさあ、恋愛中ってのはとにかく盛り上がるじゃない、気持ちが。常にテンション高くなるっていうの?」
「あー、わかるわかる!爪の手入れなんかも、楽しくて仕方ないのね!」
 サスケと一緒の班になったばかりの頃なんて、始終浮かれっぱなしで大変だった。恋に恋する年頃だったからかもしれないが、誰かを追いかけることが、嬉しくて楽しくて。とにかく夢中だった。
「そんでさー、ちょっと時間が空くと、もしかして顔が見られるかもー!なんつってやたら動いてみたり!」
 手をわきわきと動かし、いのの声がひときわ高くなる。しかし次の瞬間、両の手はすっと下がり、突然真顔になった。
「だけど、そういうのがない。驚くほど、ない」
「……え?ないの?」
「いっそ清々しいほどに、ない。どっかにあるんじゃないかって探してみたけど、ない」
「それはそれは……」
 兎に角、ないのだそうだ。探す努力をしたことを評価しようと思ったが、下手な慰めはきっといのの心をかき回すだけに終わるだろう。サクラは静かに紅茶を飲む。少しの沈黙が続いた後、いのはいつになく気弱な声をぽつりと零した。
「これじゃあ、シカマルやチョウジと同じじゃない」
「うーん、逆にさ、それって凄いよね」
「凄いって、何が?」
「ちょっと前なら考えらんないでしょ。シノがあの二人に近い存在になるなんてさ。なんたって、偵察任務で身体を任せられるんだもの。チョウジ、喜んでたよ。いのと一緒に組める相手がまた増えたって。あんた、愛されてるわね」
「まあね」
 ちょっと照れくさそうないのの様子に、サクラは小さく笑う。
「恋愛って色んな形があるかもしれないし、結論出すのは早すぎるんじゃないの?」
 それに、と話を続けようとするが、ちょっと考えた後に口を噤んだ。いの自身は気づいていないようだが、恋愛面での愚痴をサクラに零すのは初めてのことなのだ。いつもの余裕が、まるで感じられない。案外、もう恋愛のスイッチは入ってるんじゃないだろうか?
「あんたに諭される日が来るとはねぇ。あーヤダヤダ」
 いのは肩を竦めると、茶化したように言う。
「んっとに、ああ言えばこう言うんだから……」
 その後もああだこうだと二時間ほど話し込んだ後、二人は別れた。




 一方その頃、シノはといえば、油女家の書庫にて一族の文献を調べていた。蟲の声が消えたあの日以来、山中いのに会っていない。これ以上いのに近づけば、いずれ蟲の声が聞こえなくなってしまうのではないか。シノには、それを確かめる勇気がなかった。蟲の沈黙とは、一体何を意味しているのか。それが知りたい。シノが任務の合間を縫って書庫にこもっているのは、それが原因だった。
 油女として生きることに誇りを持っている。蟲との対話を第一に考え、血の繋がる親子でさえ必要以上の対話は厳禁。そうやって、今の今まで生きてきた。蟲達はそういった一族の生き方に応えるかの如く、宿主の命令に従順に働き、木ノ葉を支えてきた。人との対話にかまけた結果、蟲達の不興を買ったのだろうか?巻物を握る手に、ぐっと力が入る。
 花とみつばちは、相性がいいんだよ。
 あの言葉を、どうしても信じたかった。








※こっからちょっと動きます。




2009/06/09