花とみつばち



   九.


 所用を済ませた帰り道、本屋の店先に佇むシノを見かけた。目の前に置かれた棚に並んでいるのは雑誌類だ。シノにも俗っぽいところがあるのねえ、などと思いながら、サクラは歩く。そういえば、声をかけそびれてスネられた、なんてナルトが言っていた。シノはああ見えて寂しがりなところがあるのかもしれない。いのの言う「可愛い」とはこういうところなのだろうか。わかるような、わからないような。シノが驚かぬよう、足音をなるべく響かせながら近いた。
「シーノっ」
 とん、とコートを羽織った背中に手を当てる。シノはゆっくりとこちらに顔を向け、ぼそりと一言。
「春野か」
「こないだ、いのと一緒に任務だったんだって?いい仕事をしてくれたって、師匠が喜んでたわよ」
「当然だ。個々の能力を十分に発揮すれば、結果はおのずとついてくる」
 その言い方がとてもシノらしくて、サクラは笑う。
 シノといの。一見するとちぐはぐな組み合わせだが、どうやら上手く回っているらしい。これだから、人と人との繋がりはわからない。二人のことをサイが知ったら、観察対象リストに追加されることだろう。
 伝えたいことは伝えたし、貴重な休日は刻一刻と過ぎていく。そろそろこの場を去ろうと思うのだが、どうにもシノの様子がおかしい。黙りこくったまま、じいっとサクラを見ている。サングラス越しにも、視線の強さがわかる。そして、数秒の沈黙。気圧されて思わずのけぞりそうになるが、そこをぐっと堪え、何?と聞いてみる。
「どこか行きたいところはないか?」
「へ?」
 突然の問いかけに間の抜けた声が漏れ出てしまうが、それも無理はないだろう。なにせ、話題が飛びすぎる。
「オレが春野をそこへ連れて行くとか、そういうことではなくてな。なんというか、まあ、調査の一環だ」
 先ほど、棚の前でぼうっと突っ立っていたシノの後ろ姿を思い出す。その手の雑誌を読んで自力で調べようとしたはいいが、あまりに情報量が多すぎて途方に暮れていた、といったところだろうか。いや、それにしたって、妙な調査だ。最近仲が良いと聞いているし、いのが絡んでいるような気がして仕方ない。野次馬根性が首をもたげた。
「調査の一環、ね。うん、よし、協力しましょう」
 そう言うと、サクラはくるりと踵を返す。
「どこへ行く気だ」
「立ち話もなんだし、お茶屋に行きましょ」




「みたらしとあんこ、一本ずつください。シノは何か頼む?」
 するとシノはメニュー表も見ずに、注文を取りに来た店員へ向けてこう言った。
「新作はあるか?」
「はい、季節のフルーツをあしらったあんみつがございます」
「それをお願いしよう」
 新作はあるか?なんて、こういう類の店に通い慣れていないと出てこないだろう。いつだったか、プリンを持って店に遊びにくるのだと、いのが言っていた。この分だと、プリン以外にも手土産のレパートリーが増えているのではなかろうか。体型管理に余念がないあの娘にとっては、嬉しい悲鳴に違いない。
「で、調査って?」
「うむ。人間の女性が好んで行きたいと考える場所を調べている。生態観察と考えてくれていい」
 生態観察という重々しい響きに吹き出しそうになるが、茶化すのは厳禁。あの寡黙なシノが、妙な言い訳を並べ立ててまで尋ねてきたのだ。だとすれば、こちらも本気で応えねば失礼だろう。サクラは、手持ちの筆記用具をテーブルの上に並べる。
「とにかく、具体的な場所を挙げて欲しい」
「ふーん、具体的にか。となると、適当に誰か思い浮かべた方がイメージしやすいんだよね。そうだなぁ……身近な対象として、いのを設定してみようか」
「そこで何故、山中が出てくる?」
 今の今まで保っていた冷静さが、ここで一気に崩れる。声や顔つきから、動揺しているのは明白だ。こっそりとカマをかけてみたのだが、案外簡単に引っかかってくれた。やはりいの絡みだったか。こういう時、女の勘は外れないのだ。
「何よ、山中さんじゃ不満?じゃあ、春野さんに変えよっか?とはいっても私はさ、特に行きたい場所ってないんだよね。困ったな」
「いや、それならば、山中で構わない」
「なら、山中さんで決定、と」
 むしろその方向で、という心の声がはっきりと伝わってくる。
 シノの印象といえば、寡黙と無表情。声に抑揚はなく、目や口元を隠しているせいもあって感情を読み取ることが難しい。顔を突き合わせればやかましい同期達の中では、最も忍びらしい忍びといえよう。だからこそ、こんなに感情を露にしてくるシノを見るのは、初めてだった。
 いのと最近交わした会話を思い出し、行ってみたいと零していたお店と普段の行きつけをリストアップする。そして、それぞれどんなお店なのかを手短に説明しつつ、お勧め商品などを紹介してみた。口数は変わらず少ないものの、シノはしきりに頷き、時折質問を寄越しながら熱心にメモを取っている。その様子は、新しい情報に触れる時のサクラ自身と重なった。たとえ取るに足らないことだとしても、知識を得ることが楽しくて仕方ない。この人はきっと、同族だ。芽生えた親近感は、サクラを饒舌にさせる。
 うまくいけばいいと願う。不器用そうなシノのことだ、ちょっと遠回りすることになるかもしれない。間違えることだってあるだろう。だけど大丈夫。相手がいのなら心配はいらない。いのは、それを受け入れる度量のある女だ。
「がんばれ」
「何か言ったか?」
「ん?なんでもない。いい店って、わかりにくい路地にあったりするのよ。後で地図におこしてあげるね。どんなところか見てみたいでしょ?調査なわけだし」
「そうしてくれるとありがたい」
 テーブルの横を、店員が通り過ぎる。サクラは、お茶のおかわりと団子の追加を頼んだ。話はもうしばらく続きそうだった。







※シノくんは、別に人間嫌いなわけじゃなくて、むしろ興味深いと思ってて。でも春野さんは、普段の服装やら言動で、人を拒絶しているなーという印象をアカデミーの頃から持っていて。でも、ちゃんと話してみれば、すぐに誤解はとけるよね、という。人と人とが繋がっていくのって、面白い。




2009/05/27