花とみつばち



   八.


 安っぽい宿の屋根裏を、一匹の鼠が走る。
 時折足を止め、すんすんと鼻を動かしているのは、餌を求めているのか、はたまた道を探しているのか。首を右に左に動かし、己の現在地を確かめた後、小さな穴へ身体をねじ込ませる。薄く漏れてくる灯りと、男達の低い声。ビンゴだ。ターゲット、補足。
 人体以外への心転身は、精神に負荷がかかる。しかも今回の潜伏先は、薄暗い、かび臭い、埃くさい、と三拍子揃ってる。集中力の持続には自信あるが、少しでも気を緩めると視界が急激に狭くなるのだから、参る。そうは思えど、これが仕事だ。気合を入れなおすと、鼠は身体を低くし、注意深く部屋の中を観察する。
 さて、洗いざらい見せてもらいましょうか。




「まっずいなぁ……」
 心転身の術を解くなり、いのは歯噛みする。いのの身体を支えつつ身構えていたシノは、その深刻な声色にそっと眉を潜めた。
「思った以上に、事が大きい。奴ら、霧隠れとつながってる。今日中にとっ捕まえないと、情報握ったまま逃げられるわ。逃走ルートは頭に叩き込んだ。状況の伝達、お願いできる?」
 不穏な輩の動向を探るつもりが、芋づる式に大きな獲物が引っかかった。果たして、どこまでを今回のターゲットに据えるのか、火影の指示を仰がねばなるまい。
「承知した」
「で、こっちはこのまま追跡を続行。シノはそっちが片付いた後、私と合流するって算段でいい?」
「異論はない」
 シノが頷くと同時に、いのの忍服に蟲が一匹止まる。追跡用の蟲だ。この蟲を辿れば、いのの現在地を一瞬で割り出せる。
「オッケイ。それじゃ、散!」
 それを合図に、シノは木ノ葉へ、いのは逃走ルートへと分かれていった。
 霧隠れとの内通を状況証拠で押さえるか、あるいは後追い無用、今回は小物のみを捕獲とするか。それはシノが持ち帰るはずの命令を待つとして、当面の大きな問題はひとつ。先ほど偵察を行ったところ、向こうには逃がし屋がついていることが判明した。逃がし屋は、金を積めば里抜けにさえも手を貸す。しかもあの手合いは、ほとんどが忍崩れの上、現地の地形を調べ尽くしているはず。地の利が向こうにある分、厄介だった。ぎり、と奥歯を噛み、いのは先を急ぐ。




「こんの……引っかかるかっての!」
 起爆トラップを避けて進路を取ったはいいが、足を踏み入れた場所はチェイントラップの巣窟だった。迂回をすることも考えたが、事は急を要する。今こうしている間にも、情報は霧へと逃げていく。最短ルートで進むしかない。
 かといって、がむしゃらに先を急ごうとすれば、トラップの餌食になるのが落ちだ。
 このトラップを仕掛けた逃がし屋野郎は、粘着質でいやらしい性格をしているに違いない。何重にも仕掛けられ、それらのことごとくに毒や起爆札が仕込まれている。移動速度があがらないことに苛立ちを覚えるが、ここで慎重さを欠いてしまえば元も子もない。
 手ごろな太さの枝を選びながら身軽に飛び移ると、ちょうど膝の高さにワイヤーが見えた。咄嗟に側転でそれを避けるも、手をついた苔の裏側にトラップの起動スイッチが仕込んであった。
「ったく、ほんっといい性格してるわ」
 医療忍者の回避術をバカにしてもらっては困る。降ってくる千本をかわし、多方向から飛んでくるクナイをすべて弾く。音もなく地面に着地をすると、足は前へ。そんないのの背中を、再度クナイの雨が襲った。
「……時間差っ!?」
 完全に死角だ。反応が遅れる。まずい。
 上へ逃げても間に合うかどうか。舌打ちするいのの背後に、人影がすっと現れた。クナイは蟲の群れに吸収され、土の上に落ちる。
「シノ!」
「少々てこずった。すまない」
 相当急いだのだろう、蟲使いはいつになく息を切らせていた。
「今回はターゲットのみ補足。先に仕掛けてあるトラップは、蟲たちに潰させている」
 こうして互いに背中を合わせていると、実家の花屋に居る気分になるのだから不思議だ。この人の背中は、とても心地よい。安心する。
「シノ君」
 一瞬だけ、とん、と背中に身体を預ける。
「この任務終わったら、デートしよう」
「デート?」
「火曜日の午後、空けとくから。今度は店じゃなくて、甘栗甘の前に14時集合」
 戦場に立っているにも関わらず、シノは呆けてしまう。何が何やらわからぬうちに、勝手に決められてしまった。ポン、と肩を叩かれる。
「遅れんじゃないわよ」
 そう言って柔らかに笑ういのは、見惚れるほど綺麗だった。







※NARUTOの世界観を考えると、こういう商売もあるよなあ、と思って。任務考えるのめんどっちくて、ついつい。見逃してやってください。




2009/05/19